文・写真/梅本昌男(海外書き人クラブ/タイ・バンコク在住ライター)
内戦で多くの人命が失われたシリア。そして、6か所の世界遺産も全てがユネスコによって「危機遺産」に指定された…。
2006年、中年バックパッカーとしてアラビア半島を南下していた私は、約1か月間かの地に滞在した。私は中近東情勢の専門家ではないが、シリアの人々の温かさや壊滅的な被害を受けたとされる遺跡の往時の素晴らしい姿を皆さんにお伝えしたい。
トルコのイスタンブールでシリアの観光ビザを取得し、長距離バスに乗って国境を目指した。シリアの入国管理官たちの態度は横柄で、私はバスが自分抜きで発車しないかと焦りながらスタンプが押されるのを待っていた。
ようやく許可が下りた私は走ってバスに駆け戻り、他の乗客たちに「スタンプ押して貰った! ごめんなさい、待たせて!」と大声で謝った。すると、彼らが拍手で出迎えてくれるではないか。
そして、ようやくシリアに入った途端に迎えてくれたのは、山羊を放牧させているおじさんの姿。近代国家であるトルコからいきなり数世紀前にタイムスリップしたかのようだ。
「どこに行くんだ、アレッポか?」
乗客の一人が聞いてきた。シリアの北部に位置するアレッポは、首都ダマスカスに次ぐ国内第二の都市だ。
「宿決まっているのか? うちに泊まればいいぞ!」
ご厚意は有り難かったが、あまりに突然の話で戸惑い丁重にお断りした。しかし、シリアにしばらく滞在すると、こういった親切を当たり前のように何回も受ける事になり、「ああ、この国の人々にとっては客人をもてなすのは当たり前なのだな」と理解し始めた。
夜になってアレッポに到着。街の中心にあるオスマントルコ時代の時計塔を目印に安宿を探し始めた。シリアではシングルルームで500円くらいが相場だった。宿を決めて近くの安食堂でやはり格安の夕食(100円程度)を食べて眠りについた。
翌日、アレッポの観光の目玉であるアレッポ城を目指した。世界遺産に登録されている‟古代都市アレッポ”の中心となる場所だ。
この城、紀元前10世紀に神殿として丘の上に建てられ、その後、12世紀には十字軍、13世紀にはモンゴル軍などと戦う難攻不落の城塞として活躍したそうだ。城を囲む濠は今は水がないが、それでも激戦を物語る投石機に用いた大きな石が城の片隅に残されていた。
私が訪れた時はちょうど城壁の修復作業中だった。懸命に大きな石を削っていたが、それらの努力も内戦の影響で泡に帰したかと思うと切ない…。
威風堂々たる大きな門をくぐると、モスクやハンマーム(公衆浴場)、円形劇場などが往時のまま残っている。
そして、ここから見るアレッポの景色が最高だった。地元の人々の憩いの場にもなっているようで、やはりみんな愛想が良かった。
アレッポ郊外には、別な世界遺産の‟シリア北部の古代村落群”の一部である聖シメオン教会もある。シメオンという修行僧を偲んで、5世紀に建てられたものだ。車で約1時間ほどのカラート・サマーンという村にあるが、保存状態は極めて良かった。
地元の高校生の一団がハイキングに来ていたり、家族が散歩兼ランチをしていたりと、ここでも笑顔が一杯だった。あれから早15年、あの時、笑顔で応えてくれた人々がどうなっているのかが気になる…。
文・写真/梅本昌男(タイ・バンコク在住ライター)
タイを含めた東南アジア各国で取材、JAL機内誌アゴラなどに執筆。観光からビジネス、エンタテインメントまで幅広く網羅する。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。