母親に気兼ねなく自分のことを話せるようになった
恐れていた父親がその場にいなかったこと、姉と母親が話していたことで、哲平さんも自然と母親や姉と話をすることができたという。そこで母親は姉と哲平さんに「守れなくてごめんなさい」と謝罪をした。
「母親は祖母の介護をすることを許してくれなかった父に一度は従っていたと言いますが、伯母の協力もあり、物理的に父から逃げたことで父の支配から離れることができたそうです。ずっと離婚することを悪という思いが母親の中にあり、『子どもよりも夫を選んでしまっていた』と謝罪をしてきました。そんな母親の話を聞いて、姉は『離れられてよかった』とだけ言っていました」
母親と哲平さんは近場で暮らしていることがわかったものの、なかなか2人きりで会うことはできなかった。哲平さんからも、母親からも連絡を取ることはなかったという。地方で暮らす姉が母親に会いに来るタイミングで哲平さんも含め3人で会うことを何年も続けていたが、コロナ禍でようやく母親と2人で会えるようになれたと当時を振り返る。
「コロナ禍の影響によって地方で暮らす姉が母親の様子を見に行けなくなり、代わりにと姉に頼まれたことでやっと母親と2人で会うようになりました。3人での会話の中心はいつも姉だったので、2人で何を話せばいいのか不安だったんですが、意外とスムーズに会話を続けることができたんです。自分の話をこんなに母親に伝えることができたのは、生まれて初めてだったかもしれません」
母親と哲平さんはそれぞれが1人暮らしを現在も続けている。一緒に暮らすことは考えていないとのこと。その理由は「親を生活の一部に入れたくない」からと哲平さんは答える。
「一緒に暮らすと、どうしても過去に一緒に生活をしていた母親と今の母親が重なってしまうからです。それに、過去の母親を思い出すと、父の姿もちらついてしまう。もう母親との関係は修復できたから、これ以上は進みたくないという思いがあります」
大人になってからの親と再び同居する場合、価値観の違いやプライバシーが確保しづらいなど、様々な弊害があると言われている。哲平さんと母親はそれぞれが初めて自由を得て、それを体験している最中だ。「親子だから」はお互いに新たな支配を作ってしまう。近居がそんな2人に最も適した家族のかたちに映った。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
