取材・文/ふじのあやこ
時代の移り変わりとともに、変化していく家族のかたち。幼少期の家族との関係を振り返り、自身も家族(パートナー)を持つようになったからこそわかるようになった思いを語ってもらいます。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、都内にて旦那さまと子どもとの3人で暮らしている美緒さん(仮名・40歳)。美緒さんは神奈川県出身で、両親と3歳上に姉のいる4人家族。自分の思い通りに事が進まなければ怒声を浴びせる父親を一度も「お父さん」と呼んだことはないそう。それでも実家を出なかったのは母親を一人にしたくなかったからだと当時を振り返ります。
「私も姉も、就職してからも実家から通い続けました。父親は高校生までは学校の生活態度や成績を報告するための会話が必要でしたが、大学や就職してからは同じ家だけど会話はほぼありませんでした。それでも実家に居続けたのはあの怒声に一人で耐える母親の姿を想像したくなかったから。それに姉は私よりも5年も早く就職しているのに実家で生活を続けていたので、家を出るなら私よりも姉のほうだと思っていました」
外面で乗り切れた結婚式。バージンロードが苦痛だった
結婚を決めたのは28歳のとき。大学のアルバイトで知り合った男性で交際は6年に及び、断る必要もなかったからだと言います。
「彼は同い年でとても優しい男性でした。付き合っている期間で一度も怒ったことがなかったし、何かあっても感情的にならずに話し合いができる人でした。
両家の顔合わせも、結婚式もそつなくこなしましたよ。父親は外面は良かったんで、別人のように穏やかな人を演じてくれました。バージンロードで生まれて初めて父親に触れたんですが、嫌で仕方なかったですね。でも、相手の親族の前だからと、形式的なことだと割り切ってできたんですから私も外面を気にしている人間なのかもしれません」
義両親も優しそうな人で、結婚して3年後には妊娠が発覚。幸せな結婚生活を思いきや、妊娠時に旦那さまの浮気が発覚します。
「夫は私だけにじゃなく誰にでも優しくて、その部分も好きだったんですが、浮気につながってしまって。付き合っていた時も怪しいと思うことはありましたが、証拠がなかったから追及はしませんでした。でも、妊娠時には証拠も見つけてしまって。証拠はメールです。受信メールはなかったんですが、受信数が最大数から減っていたので削除していることがわかって、送信メールを調べたら黒だとわかりました。最終的には相手の女性や第三者を入れての話し合いにまでなって、別れないことを決めたんです。自分のためというより、生まれてくる娘のためでした」
【メンタル不調で父親の外面が剥がれるも、母親は面倒を見続けると言った。次ページに続きます】