出身は下層階級、織田信長の「草履取り」から天下人となる秀吉のサクセスストーリーはドラマチックなエピソードをはらみ、時を超えて庶民に親しまれてきた。そんな秀吉の英雄像はどこから生まれてきたのか。秀吉の伝記群を研究する、竹内洪介さんにその“出処”を聞いた。
「時代を反映してヒーロー像が移り変わります」竹内洪介さん(就実大学講師)
江戸期には庶民の憧れとして描かれた

『絵本太閤記』の挿絵を模写、江戸時代後期に描かれた。人物が歌舞伎役者風に強調されている。
秀吉伝説のルーツ


「秀吉のイメージづくりは存命中の桃山期に遡ります。秀吉は御伽衆(※)に命じて自身の伝記を書かせていました。それが『天正記』です」
江戸時代に入ると、『天正記』などの伝記をもとに医師で儒学者の小瀬甫庵が『太閤記』を著す(1626年頃)。一般に「太閤記」というと甫庵版を指すが、そこから数々の「太閤記」が派生する。
「甫庵の『太閤記』は儒学的な立場から書かれていてやや難解、秀吉を英雄として評価しながら、その失策も指摘し徳川の天下を讃美しています」
そんな、いわば上流階級向けの秀吉イメージが庶民に伝わってくるのは、江戸後期に出版された『絵本太閤記』(1798年頃)の登場の頃だ。講談本が基になっており、秀吉の天下取りまでのストーリーが挿絵とともに展開する。秀吉が信長の草履を懐に入れ温めた逸話や、墨俣(岐阜県)に一夜で城を築いたなどの伝説が盛られた痛快な読本として、幕末まで売れるロングセラーとなった。
「売れすぎて幕府から絶版させられます(1804年)。所持するだけで罪に問われることもあるのですが、しだいに権力のコントロールが利かなくなってきます」
※主君に仕え書物の読み聞かせや講釈する役。
戦後は立身出世の理想像
竹内さんは、いくつもの「太閤記」で語られる様々な秀吉像に真贋は求めないという。
「450年後のわれわれが、歴史上の秀吉を正確にとらえるのは、そもそも無理があると思います。私としては、秀吉を媒介としてそれぞれの時代が太閤をどのように映してきたかに興味があります」
幕末・明治には、朝鮮出兵をした「外征の英雄」として、国家意識が盛り上がる気運の中で高く評価された。戦後は、高度経済成長時にサラリーマンの立身出世の理想形として語られ、元首相の田中角栄は「今太閤」と称された。
「令和の今、豊臣秀長のように、秀吉を支えた努力家が評価される傾向があります。一方、秀吉は癖のある人物像が強調されがちです。英雄・秀吉の多面的な魅力は、時代を反映して変容し続けます」
大ベストセラーにして決定版

派生作も次々に登場


解説 竹内洪介さん(就実大学講師)

取材・文/宇野正樹 撮影/太田裕子
※この記事は『サライ』本誌2026年2月号より転載しました。












