人生、たったひとつの後悔
現在、ピン子さん夫婦は仲がいいことで知られている。
「夫は結婚当初から、私の理解者でありファンなんですよ。どんな仕事も常に応援し、ドラマも映画も舞台も必ず観ている。私がほめられると、夫も喜ぶ。どんなことがあっても私の味方をする。
プロポーズは夫からで、私は“どんなことがあっても、仕事が最優先だよ”と言ったのに、それでもいいと言ってくれた。かつて、他の女性のところに行ったのは、寂しかったからかもしれませんね。だって、私はどんなときも仕事優先で、家にほとんどいませんでしたから。今でも仕事は大好きですし。最優先ですけれどね。
仕事といえば、私も古風なもんだから、夫の前で、本(台本)を読む姿は見せたことがありません。意外かもしれませんが、料理上手なんですよ。夫にレトルト食品を食べさせたことがないのが自慢です。漬物も、実家から分けてもらった糠床で今も漬けているんですよ」
35年間使っている糠床には、ベランダの家庭菜園で収穫したものが入っている。
「キュウリやナス、唐辛子、カボチャ、トマトなどを育てています。採れたての新鮮な野菜だから、とてもおいしい。夫も“さよちゃん(ピン子さんの本名)の料理は世界一だ”とほめてくれます。
あとは、程よい距離感です。静岡・熱海に住んでいる私と、東京の病院で働く夫とはほぼ週末しか会いません。このくらいの距離感のほうが、うまくいくんですよ」

ピン子さんは全力で、仕事に、人生に向き合ってきた。後悔はあるのだろうか。
「たった一つの後悔は、高倉健さんのこと。私は健さんが大好き。芸能界に入ったのも、健さんをひと目見たいことも理由のひとつだったのよ。
長い下積みを経て、俳優として認められるようになった40代、健さんから“会いたい”と連絡があったんです。指定されたホテルの料理屋に行くと、ご本人がいらっしゃった。そして、“一緒に映画をやってください”とおっしゃる。恋焦がれていた健さんから、そんな申し出をいただいたとき、胸が高鳴るどころか、心臓が口から飛び出すかと思ったわよ。
でも、撮影時期が『渡る世間は鬼ばかり』と被っている。さんざん迷ってお断りしましたが、健さんは“どうにかなりませんか?”と粘ってくれたんです。
本当に出たかった……けれど、私はドラマの俳優。これを受けたら、共演者やスタッフの皆さん100人以上に迷惑がかかる。だから、断腸の思いで断った。
これがたった一つの後悔です。あのときのことを思い出して、無理をしてでも“健さんと共演すればよかった”と悔しくて。それが唯一の後悔」
人生最高の推し・高倉健さんとの共演よりも、“泉ピン子”であることを選んだともいえる。
「そうかもしれないわね。だって私は“ピン(最上の)”子ですから。今、私は77歳、私の芝居の師匠の森光子さんも杉村春子先生も、90歳近くまで芝居を続けていました。あと10年以上、現役でいられるってことでしょ。
どんな役でも、ぜひご依頼ください。ギャラも安くしておくよ!(笑)」
終始、パワフルで舌鋒鋭いピン子さんの口調は、常に相手を気遣う優しさに溢れている。昭和・平成・令和と綺羅星のように輝くスター達と共演し、困難を乗り越え、唯一無二の地位を確立したピン子さん。第一線を走り続けてきたピン子さんの言葉は、深く温かい。その真髄を最新エッセイ『終活やーめた。 元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』(講談社)で味わってほしい。あなたの背中を押すヒントがきっと見つかるはずだ。
泉ピン子さんの最新刊『 終活やーめた。 元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』
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取材・文/前川亜紀
