鳥山検校1400両の身請け

身請け話がまとまった瀬川(演・小芝風花)と鳥山検校(演・市原隼人)。(C)NHK

A:さて、前週に瀬川に会いにやってきた大富豪鳥山検校ですが、すっかり瀬川の馴染みになって「おそかりし由良助」「どうやら御生害には間に合いんしたようで」と軽妙な言葉遊びでやり取りできるほど親密になっている様子が描かれました。

I:「おそかりし由良助」というのは『初めての大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」歴史おもしろBOOK』によれば、〈「遅いよ、も~」みたいな意味。もう少し待っていたら間に合ったのに、という時に使う言葉ですね。由良助は、江戸時代に実際にあった赤穂浪士が主君の仇討ちをした事件をモチーフにした『仮名手本忠臣蔵』という読み物の主人公の名前。「由良助、遅いって!」という感じ〉ということのようです。さて、千両は超えるという瀬川の「身請け」ですが、現代でいうと1億3000万円ほどの巨額の金が動くということになります。

A:千両というと、蔦重の時代より半世紀ほど前、歌舞伎役者で給金が千両を超える役者が登場するようになっていました。いわゆる「千両役者」の誕生ですね。『助六』を初演した二代目市川團十郎が最初期の千両役者。民間の大衆文化の中からそれだけの給金を得られる人気役者が出たということで、「江戸の活気」を感じることができますね。

I:前週の当欄では、宴席料やご祝儀も含めて総額6000両ともいわれた姫路藩の榊原政岑(まさみね)の高尾太夫の身請けを伴う派手な遊興を知った将軍徳川吉宗によって越後高田藩への転封を余儀なくされたことに触れました。

A:吉原で派手に遊興していた榊原政岑が懲罰的な転封に処せられたという事実は、幕府主導の改革に反するように遊び惚けていると、榊原家はなんとか免れましたが、最悪の場合改易だってありうる事態であったということで、多くの大名に衝撃を与えたと思われます。『べらぼう』では、深川や新宿、品川などの岡場所などに押されて吉原の活気が失われていたという流れでしたが、大名などの「太客」が派手な遊興を控えるようになっていたことも「吉原衰退」の原因だったのではと思わされます。

I:蔦重の時代は、榊原政岑転封から30年以上経っているんですけどね。いったんマインドが「遊興回避」に向かうとそれを元に戻すのは大変ですよね。

A:時代の流れを逆流させるのは至難の業だってことですね。

「身請け拒絶」の瀬川に松葉屋がとった仕打ち。次ページに続きます

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