
写真家。琵琶湖をのぞむ田園にアトリエを構え、自然と人の関わりを「里山」という空間概念で追う。琵琶湖の漁に関する著書に『おじいちゃんは水のにおいがした』(偕成社)。
トンネル水槽の魚に目を輝かせる今森さん。「どれも子どもの頃からなじみのある魚ですが、下から見たことはなかったなあ」
「固有種の宝庫・琵琶湖に展開する生きものたちの世界を垣間見られます」
全国各地の里山を撮り続けてきた写真家、今森光彦さんの原点は、日本最大の湖にして世界屈指の歴史を誇る古代湖、琵琶湖だ。
物心がついたときから釣り竿や網を手に魚を追いかけていた。琵琶湖に流れ込む無数の水路。澄んだその水が来る方向を見やると、雛段状に水を湛えた田んぼが美しい森の新緑を映していた。
「僕のイメージの中で、里山は水と対なんですよ。森から水がしみ出て田んぼを潤す。そこから流れ出た水は川と合流し琵琶湖へ注ぐ。こうした繋がりの中でさまざまな生命が育まれ、農業、漁業、商業といった産業を支えてきました。琵琶湖を誇りに思うのは、僕が子どもの頃の人と自然の関係が今も見られること。日本の奇跡といってもいいんじゃないでしょうか」

田んぼの水路を再現したコーナー。稲作と生きものとの関係がわかる。「こんなところで遊んだんですよ」
滋賀県立琵琶湖博物館は2020年にリニューアルされた。人気の水族展示室はこの1階にある。
「オープニングには来ているんですが、じっくりと見れていなくて。へえ、こんな素敵なトンネル水槽になっているんですね。おっ、これはワタカじゃないですか。子どもの頃よく釣りました。美味しくないから持って帰らないんですけど、引き味が強いので大好きでした。
あそこに泳いでいる大物は野ゴイですね。琵琶湖には体高のあるコイと棒みたいなコイがいて、僕らは後者を野ゴイと呼んでいました。捕まえたらひとまず盥に入れるんですが、細長いのでつの字になるんです。楽しかったなあ。そうか、あれからもう60年か」
近年わかったコイの新事実
少年時代に還ったように、今森さんは群泳する魚たちに目を輝かせる。野ゴイを捕まえたときのこの思い出話は、じつは生物学的にも興味深い証言を含んでいる。
日本のコイには2タイプあることは以前から指摘されてきたが、DNAデータに基づく解析から、体高のあるコイはユーラシア大陸から移殖された飼育型で、細長いコイは在来の野生型であることが確定した。2005年のことだ。
その後の調査で両種は各地に分布することがわかったが、交雑が進行していることも判明。そんななか唯一、在来系統が高い率で残っていた水域が琵琶湖だ。水の深さが棲み分けを可能にしたようだ。
琵琶湖に関する基礎知識から淡水生物をめぐる最新動向まで、幅広い知識が得られるのも琵琶湖博物館水族展示室の特徴である。

琵琶湖が誕生したのは400万年前。40万年前までは他の水系との接続がほとんどなく、独自に進化したり、琵琶湖にのみ生き残った種も多い。ニゴロブナ、ホンモロコ、イワトコナマズ、ビワマスはいずれも琵琶湖固有種で、極めて味の良い魚としても知られる。



食文化が消えれば、漁業も自然環境も残せない

湖岸の桟橋を再現した水槽。木の杭の間をコイ科の魚の群れが悠然と泳ぐ。人の生活と自然は、かつてこのように密接していた。
今森さんの言葉にもあるように、琵琶湖沿岸では、今も昔ながらの暮らしが営まれている。
だが、琵琶湖は水質悪化や外来種のような今日的問題とも無縁ではない。沿岸を代表する生業である漁業の現状について、水産担当学芸員の寺井章人さん(41歳)が解説してくれた。
「鮒ずしの原料として知られるニゴロブナは回復傾向にあります。ニゴロブナに限らず、淡水魚では多くの種類が産卵期の春に田んぼのような浅い水辺を目指します。ところが稲作を効率化するための工事が進んでから、魚たちが田んぼに遡上しにくい形状の水路になってしまいました。
そこで、水路に板を差し込むなどして流れの段差を小さくする『田んぼのゆりかご』という事業が、行政、農家、地域住民の連携によって始まったのです」
形こそ変わったものの、弥生以来の田んぼと魚の関係は守られた。こうした努力が評価され、2022年、琵琶湖は国連食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産」に認定されている。認定名は〈森・里・湖に育まれる漁業と農業が織りなす琵琶湖システム〉だ。
このような官民協働の成果もあり、ニゴロブナの資源量はこのところ安定してきているという。ただ、手放しでは喜べないと寺井さんは顔を曇らせる。
「獲ろうと思えば獲れるのですが、漁師さんたちのモチベーションが上がらないんですよ。鮒ずし屋さんからの注文が年々減っているのです。つまり味を理解できる人がいなくなってきた。じつはこのあたりが大きな課題なのです」
「命への配慮」とはなにか


では、もうひとつの琵琶湖固有種、ホンモロコのほうはどうか。
「ホンモロコが減り続けた原因は、産卵場のヨシ帯が減ったことや外来魚の食害、過剰繁茂した水草が枯れて腐敗したことによる水質悪化など複合的なものとされてきましたが、近年明らかになった要因が水位操作です」
ホンモロコはヨシの茎などに卵を産む。位置は水面ぎりぎりで、3cm以上減水すると卵が乾燥するリスクが高まることがわかった。
「大雨の被害を防ぐことは重要ですが、生きものにも配慮した水位調整を検討していただいた結果、資源量は顕著に回復しています」
日本の淡水漁業は、全国的に見るとかなり危機的な状況にある。琵琶湖とて安泰というわけではないが、今森さんはこう語る。
「この魚屋さんの展示、いいですね。今もひとつの町に1軒くらいこんな店があります。残ってほしいですね。ホンモロコの素焼き、イサザの佃煮、エビ豆……。食文化の消長と、漁業、環境は深いところで繋がっていますので」
豊かな自然は美しく楽しい。そして美味しい──。これは生粋の琵琶湖人、今森さんの確信だ。



写真提供/琵琶湖博物館 金尾滋史、鹿熊 勤
滋賀県立琵琶湖博物館
滋賀県草津市下物町1091
電話:077・568・4811
営業時間:9時30〜17時(最終入館16時)
定休日:月曜(祝日の場合は開館)、臨時休業あり
料金:一般840円
交通アクセス:JR琵琶湖線草津駅下車、西口2番バス乗り場から近江鉄道バス琵琶湖博物館行きで約25分
取材・文/鹿熊 勤 撮影/藤田修平
※『サライ』2026年6月号より












