今も残る白洲次郎に所縁のポイント10選
白洲次郎・正子夫妻が、東京郊外の鶴川村(現在の町田市能ヶ谷)に土地付きの茅葺農家を購入したのは昭和17年(1942)のこと。以来、40年以上に亘って次郎が住み続けた終の棲処は、現在、「旧白洲邸 武相荘」として一般に公開されている。現在も往時の姿を留めるこの場所には、かつての主たちの気配が今も色濃く漂い、訪れるものを魅了する。ここでは、次郎の息吹を感じさせてくれる所縁のポイントを紹介する。
1)かつてのガレージには、往時の名車が佇む
「カフェ」として、また来訪者の休憩所として使われている、かつてのガレージ。一角には、次郎が神戸一中時代に乗っていたのと同型の1916年製ペイジSix-38が展示されている。
2)納屋の軒下には愛用の農耕機具
戦時中、鶴川の家で自給自足の暮らしを開始した次郎は、農作業に励んだ。戦後になるといち早く、当時は珍しかった外国製の芝刈り機や脱穀機を入手。道具好きだった一面が窺える。
3)室町時代の三重塔。ここにも秘密がある。
母屋前の庭には、正子遺愛の石仏などが鎮座しているが、この三重塔もそのひとつ。この塔の下には、正子の手で次郎の遺髪が供えられたという。正に供養塔だ。
4)大工仕事に精を出した次郎の品があちこちに
「ミュージアム」と呼ばれる母屋などへ通じる正門の横には、次郎が木工制作した新聞受けがある。古い臼を利用したところが、ご愛嬌。「しんぶん」の字も次郎による。
5)知らねば気がつかぬ所にも次郎の痕跡が
かつては納屋であり、現在「バー&ギャラリー“プレイファスト”」となっている展示室へと至る階段横の柱に掛けられた鍵札。これも次郎の手製である。
6)「レストラン」の照明器具として今も現役
木工制作が大の得意だった次郎は、家具や靴べら、サラダサーバー等々なんでも自作。これは庭で切り出した竹で制作したライトスタンド。母屋とレストランにふたつ現存する。
7)新婚旅行のエピソードを想起させる石塔
「散策路」の入口に、正子が晩年に据えた「鈴鹿峠」と刻まれた石塔がある。次郎と正子は新婚旅行の際、濃霧に包まれたこの峠を車で越えたのだった。
8)年代物のかき氷機。夏は次郎が氷を削った
農耕機具など、次郎が愛用した、さまざまな道具類が置かれる納屋の下には、次郎自らが氷を削ったというかき氷機が鎮座。実は、妻・正子はかき氷が大の好物だった。
9)マッカーサーとの交流を物語る次郎デザインの椅子
GHQとの折衝役を務めた次郎は、最高司令官だったマッカーサーに、自らデザインした椅子を職人に作らせ贈呈。この展示品は近年、製作されたレプリカ。
10)鶴川街道から「武相荘」へと続く道筋にある電柱に注目
GHQとの折衝役となった際、白洲家にはまだ電話が来ておらず、「それでは困る」と、吉田茂の指示で即座に電話線が引かれた。今も「白洲線」と呼ばれ、この札が貼ってある。
往時の風情が漂う白洲夫妻の終の棲処
かつてこの地が武蔵国と相模国の境にあったことから、白洲次郎がそこに己の性質をも紐づけて命名した「武相荘」。現在は記念館として公開されており、かつての居住空間である母屋は「ミュージアム」となってふたりの遺愛の品々が展示されるほか、「レストラン」では所縁のメニューが、「ショップ」では関連のグッズや書籍の数々が販売されている。ここを訪れれば、ふたりの豊かな暮らしぶりが体感できることはもちろん、何より自然に溢れた武蔵野の里山空間が心地よく、とても貴重な遺構であることを実感する。
旧白洲邸 武相荘
【開館時間】10時〜17時(入館は16時30分まで)
【休館日】月曜(祝日・振替休日は開館)、夏季・冬季休館あり
【入館料】1100円 ※レストラン、ショップゾーンは入場無料。団体での訪問は、事前に要予約。
【住所】東京都町田市能ヶ谷7-3-2
問い合わせ:042・735・5732(ミュージアム)、042・708・8633(レストラン)、042・736・6478(ショップ)
【ホームージ】https://buaiso.com
撮影/篠原宏明
※この記事は『サライ』本誌2022年6月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。