それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
寛政5年(1793)、漂流民大黒屋光太夫らは、江戸城吹上で将軍徳川家斉に拝謁しました。このとき、ロシアで知られている日本人として、光太夫が中川淳庵とともにあげた人物とは、誰でしょう?
(い)桂川甫周
(ろ)塙保己一
(は)徳川家斉
(に)林子平
正解(い)
桂川甫周は医学者・蘭学者であった。寛政5年(1793)9月、将軍がロシア漂流民大黒屋光太夫にあってロシアの事情を尋問したとき、光太夫は「ロシア人も桂川甫周と中川淳庵の名は知っている」と答えた。
【クイズ2】
18世紀以降、日本と通商を求める列強は、漂流民の送還を幕府との交渉のきっかけにしようとしました。では、文化元年(1804)、長崎に来航したロシア使節レザノフ一行に伴われて、11年ぶりに帰国した漂流民は、誰でしょう?
(い)ジョン万次郎
(ろ)尾張国の漁師、音吉
(は)仙台の水夫、津太夫
(に)ジョセフ・ヒコ
正解(は)
寛政5年(1793)、仙台より出航した「若宮丸」の難破で、ロシアに漂流した人物に津太夫がいる。彼はこの船の水主をしていた。漂流の後、ロシア使節レザノフによって日本に送還された。
【クイズ3】
上総出身の巨漢力士小柳常吉は、嘉永7年(1854)、ペリーが再来航した折、米俵4俵(約240kg)をひとりで持ち上げ軽々と運び、アメリカ人の度肝を抜いたといいます。そのとき怪力の理由を問われた小柳は、何と答えたでしょう?
(い)子どものころから相撲に興じていたから
(ろ)上等の米を食べ、良い酒を飲んでいるから
(は)母親が丈夫に生んでくれたから
(に)欧米人に負けないように鍛錬しているから
正解(ろ)
小柳常吉は身長五尺八寸(約174cm)、体重約四十貫(約150kg)の巨体力士だった。小柳がひとりで一度に米俵4俵を軽々と運んだのは、アメリカ人饗応の席での出来事だった。水兵の中から、ボクシング経験者ひとりとレスリング経験者ふたりが小柳に挑戦したが、歯が立たなかったという。
【クイズ4】
18世紀以降、日本との通商を求める列強は、漂流民の送還を口実に幕府と交渉しようとしました。では、天保3年(1832)に遭難し、天保8年にアメリカの商船モリソン号で日本に送還されながら追い返された漂流民は、次のうち誰でしょう? その後、彼は上海、シンガポールで暮らしました。
(い)奥州・若宮丸の津太夫
(ろ)尾張・督乗丸の重吉
(は)尾張・宝順丸の音吉
(に)摂津・歓喜丸の久蔵
正解(は)
音吉は江戸時代の漂流民。尾張国小野浦に生まれ、14歳のとき水主として乗った江戸行きの船・宝順丸が難破、14ヶ月もの漂流のすえ、アメリカの太平洋岸オリンピック半島に漂着した。その後英国の船会社の協力によってマカオへ移住、そこで日本最初の聖書の邦訳に協力。天保8年(1837)アメリカ商船モリソン号に乗り込んで帰国を目指すが、砲撃を受けて退去を余儀なくされ、帰国は叶わなかった。
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いかがでしたか? 1級と2級からの出題だったので少し難しかったかもしれません。全問解けた方は自信を持ってくださいね!
※問題の出典:『第4回 江戸検問題公式解説集』『第3回江戸文化歴史検定(2008年度)江戸検出題問題公式解説集』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)