文/鈴木拓也
「美術」と「難しい」はセットで語られるほど、美術には難解なイメージがつきまとう。
日本人とは、文化的に隔たりのある西洋の美術は、特にその印象が大きいが、本当に難しいものなのだろうか?
そんな疑問を払拭し、西洋美術との距離感をぐっと縮めてくれる書籍が最近登場したので紹介しよう。
書名は『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』(世界文化社)。東京藝術大学の佐藤直樹准教授が開講する「美術史概説」の授業を1冊にまとめたものだ。「簡潔な説明を心がけていますので、敬遠する必要はありません」と序文で記されているとおり、西洋美術に興味のある方向けの入門書となっている。
この種の入門書は、通史の記述に終始しがちだが、本書は各時代の代表的な作品にフォーカスしているのが特徴。そのほうが「実は美術鑑賞のコツを得るには手っ取り早い」のだという。
さて、どんな作品があるか、ごく一部をピックアップしてみたい。
偽装された象徴主義で埋め尽くされる夫婦の肖像画
15世紀に活躍した画家ヤン・ファン・エイクの代表作《アルノルフィーニ夫妻の肖像》。ベルギーのブリュージュで活躍した商人と商家の娘の結婚の儀式を、画家が1枚の絵にとどめた。
左右対称の構図が、厳粛な雰囲気を醸し出していることが、まず指摘されるが、佐藤准教授が特筆するのは、「偽装された象徴主義」で埋め尽くさている点。これは、キリスト教の象徴的なモチーフが、絵の中の随所に仕組まれていることを意味する。
例えば、天井から下がるシャンデリア。その蝋燭の1本にだけ火が灯されている。これは、「全てを見たまう神の知恵を意味し、結婚の誓いに神が同席した」ことを表すという。
「偽装された象徴主義」はこれにとどまらない。
窓辺の果物は、アダムとエヴァによる堕落以前の「無垢」の状態を想像させます。足下の犬は「貞節」すなわち結婚の忠誠を表し、寝台の柱につけられた彫刻は、聖マルガレータが竜の腹から無事に出て来た伝説から「安産」が祈念されます。加えて、画面下部の脱ぎ捨てられた履物は、神聖な寝室で儀式がなされていることを示すものです。(本書63pより)
さらに、夫妻の間の壁掛け鏡にも注目。キリスト受難伝の10の場面が描かれた木枠にはまる凸面鏡には、夫妻の後ろ姿と画家本人とその弟子が写っているのが見える。また、鏡の上には「ヤン・ファン・エイクここにありき 1434」と、わざわざ署名がある。
こうした描写は、司祭が同席しない当時の結婚式が確かなものであることを、画家が保証する役目を果たしていると、佐藤准教授は解説する。
殺人を犯しながらも絵筆を放さなかった画家
バロック美術の先駆者で、後世に多大な影響を及ぼしたカラヴァッジョ。ローマの工房を経て20代半ばで独立。その後、《聖マタイのお召し》で有名になり、絵の注文が次々と入って裕福になる。しかし、暴力沙汰を含む数々の素行不良で悪名も馳せ、1606年には殺人を犯してしまう。
逃亡犯となったカラヴァッジョは、南イタリアを転々としながらも絵を描き続け、1610年に熱病で没するという波乱万丈の生涯を送った。
佐藤准教授によれば、殺人犯となってからの4年間の漂泊時代が、画家としての円熟期であったという。
その1作品が《ダヴィデとゴリアテ》。イスラエルの羊飼い・ダヴィデが、ペリシテ人の巨漢兵士・ゴリアテを倒して首をとったという、旧約聖書の有名なエピソードを描いたものだ。
絵の中では、ダヴィデが右手に剣を、左手にゴリアテの首を持っているが、その首はなんと自画像なのだという。そして、ダヴィデのモデルは、カラヴァッジョの逃亡を共にした少年だとか。
自分が愛する美少年による斬首の刑は、カラヴァッジョのナルシシスムとマゾヒズムの傾向、あるいは自己愛と自己処罰といった相矛盾する意識を垣間見せてくれるものです。口を開けたひげ面の「ゴリアテ=カラヴァッジョ」は、今にも懺悔の言葉を語り出しそうです。殺人という罪に対する後悔の念が、斬首という重い処罰で自分の分身に罪を償わせているのかもしれません。(本書135pより)
38歳で世を去ったカラヴァッジョは、弟子を持つことはなかったが、「カラヴァッジェスキ」(カラヴァッジョ派)という言葉を生むほど、ヨーロッパの画家たちに影響を与えた。その一例が、アルテミジア・ロミ・ジェンティレスキの《ホロフェルネスの首を斬るユディト》だ。
本作も旧約聖書を題材にしたもので、未亡人のユディトが、侍女とともに敵陣に潜入し、司令官を酔わせて斬首するという残酷な場面を描写している。カラヴァッジョは、1598年に同じモチーフの絵を描いているが、アルテミジアがこの題材を選んだのは、自身のレイプ事件が影を落としているようだ。佐藤准教授は、「男性社会に対するアルテミジアの心理がユディトの姿を借りて表されたと考えられています」と説明する。
画家の思いを二人の女性の擬人像に託す
19世紀初頭、ウィーン芸術アカデミーの教育に不満を抱いた学生たちが、「聖ルカ兄弟団」を結成。1810年には、その中の4人が「芸術の理想郷」ローマに移住し、活動を始めた。まもなく「ナザレ派」と自称することになるグループのメンバーの1人、ヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベックの《イタリアとゲルマニア》を見てみよう。
一見して、仲の良い二人の女性が描かれているだけ、と思われるかもしれない。しかし、実はイタリアとゲルマニアを象徴する擬人像なのだという。髪の毛の色から、左の女性がイタリアで、右の女性がゲルマニア。そして、各人の背後の風景にも、イタリアとゲルマニアらしい教会の姿が垣間見える。
ところで、イタリアの女性が、半眼で目を覚まそうとしているように見えるのはなぜか?
ルネサンス以降、長い眠りについていたイタリア美術を、ドイツからやってきたナザレ派たちが熱い心で目覚めさせていることを暗示するのでしょう。これこそが、ローマで活動するナザレ派たちの理想そのものなのです。それは、イタリアのことを正しく理解しているのは、フランスでもイギリスでもなく、自分たちドイツ人なのだという使命感と自負心でした。(本書183pより)
この時代の芸術思想であったロマン主義の主なテーマの一つが友情であったが、本作は「友情像の決定版」として、今もその名をとどめている。
* * *
以上、本書にある傑作の一部を紹介したが、作品にこめられた暗示・寓意を読み解く知識を持つことで、鑑賞は奥深いものとなることがよくわかる。西洋美術の鑑賞眼を磨くよすがとして、本書はきっと役立つはずである。
【今日の教養を高める1冊】
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)で配信している。