「私の人生に無駄なことはひとつもなかった」
外資系会社をリストラされたことから始まった「センタク」の時。書くということを選ぶまでには、失敗を重ね、無駄や寄り道を繰り返した。
←もろた・れいこ 昭和29年、静岡県生まれ。上智大学文学部英文科卒業。外資系化粧品会社勤務を経て、台本のノベライズや翻訳を手がけた後、作家活動に入る。『其の一日』で吉川英治文学新人賞、『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞受賞。近著に『波止場浪漫』がある。
40歳までは作家になるとは夢にも思っていなかった、と諸田さんは語り始めた。転機は30代半ば過ぎ。勤めていた外資系の化粧品会社をリストラされ、ほぼ同時期に離婚という現実に直面する。
「暮らしていく当てなどまるでなかった。おおげさにいえば、ひとりで野垂れ死にする覚悟でした」
何をしてよいかわからず、途方に暮れた。無駄な抵抗はしないほうがいい。今はじっと待とう。これまで培ってきたものが醸成された時、きっと何かを「センタク」できる。それが、書くことだった。
最初はノベライズ(台本を小説化すること)である。向田邦子、橋田壽賀子、山田洋次らの台本に、情景描写を書き加えて短編小説に仕上げる。が、ノベライズは人の言葉でしか書けない。3~4年も続けるうちに、自分の言葉で書きたいという欲求が募る。
こうして生まれたのが、ミステリータッチの時代小説『眩惑』で
ある。42歳になっていた。
なぜ時代小説だったのか。
「小説は人間を書くのだから、ジャンルにこだわってはいません。ただ、私は『風と共に去りぬ』や『レベッカ』のような波瀾万丈のドラマが好きだった。現代小説は心理的な内容になりがちですが、時代物であれば理想的な男や女を登場させて、ダイナミックに物語を展開できると思ったからです」
学生時代から歴史が得意だったわけではない。が、父は東洋史学を学んでおり、実家には資料が揃っていた。基本的なことは徹底的に調べ、緻密な取材も重ねた。
今思うと、人生に無駄なことはひとつもない。
「私は職を失ったし、離婚もしたし、いろいろな失敗を重ねてきたけれど、今はそんな失敗も、寄り道や無駄と思えることも、すべて肥やしになっている気がします」
失敗や無駄が栄養分となって、〝新感覚の時代小説家〟という見事な花が開いたのである。
←平成19年、桜田門外の変を背景に女の一生を描いた『奸婦にあらず』で第26回新田次郎文学賞受賞。デビューから10年が経っていた。
←会社勤務の10年余りの間に50回は外国を旅した。右はオーストリア・ウィーンの街角で。
←大学卒業後、化粧品会社のキャンペーンガールとして、全国各地を回っていた頃。これはこれで楽しかった。
●海道一の大親分、清水次郎長の末裔であることや最新作、これから書きたいテーマなど、こちらでご紹介しきれていない興味深い話は「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
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