文/印南敦史

写真はイメージです。(写真:photoAC)

詳しくは覚えていないが、私が長谷川あかりという名をよく耳にするようになったのは、おそらく数年前のことだ。

なんのことはない。料理好きな娘が、「長谷川あかりさんがこう言ってた」「長谷川あかりさんのレシピでは」などと、妻に対して熱心に話している声がよく聞こえてくるようになったからである。

つまり私はそれまで、この方のことを存じ上げなかったのだ(すみません)。しかし、そうこうしているうちに娘がやさしい味の料理をつくるようになったので、「なるほど、これが“長谷川あかり流の味”なんだな」と理解したのであった。

その後、テレビで話している姿をたまたま目にし、「こんなに若く、そしてハキハキと快活な人だったのか」と新鮮に感じもした。料理家に詳しいわけではないが、明らかに新世代が生まれているのだなと思った。

だから、初のエッセイ集だという『タコ セロリ アボカド』(長谷川あかり 著、文藝春秋)に興味を持つのも、私にとっては当然の話だった。しかも読んでみれば、料理ができない私でさえ納得できるようなことが、わかりやすく書かれていた。

たとえば、結婚後の思い。当初は自分の料理でパートナーに喜んでもらえることをうれしく感じていたものの、いつの間にか「毎日ちゃんとしたごはんをつくらなければ」というプレッシャーを感じるようになっていたというのだ。

やる気がないという意味ではないし、理想の食卓のイメージも頭に浮かんでいるものの、疲れが先に立ってしまったということだ。ありそうな話である。

そのため自分を責めた時期もあったようだが、このままではいけないと感じた結果、「これ以上はしなくていい」というルールを自分のなかに設けることにしたのだそうだ。

根底にあるのは、「家庭料理はあくまでも生活のなかのほんの一部だ。物理的に不可能なことは、最初からやろうとしなくていい。する必要もない」という考え方である。その結果、滞っていた「生活の料理」がスムーズに回り始めたのだという。

たとえば、一番負担が大きい夜ごはんは、最大でも一汁二菜までと決めた。これより減ることはあっても、増やすことはまずない。夫の帰宅に合わせてお米を炊き始め、その間に深めのフライパンでメインのテキトー調理に取りかかる。だいたい酒蒸しか、何かを弱火でじっくり焼くかの二択だ。火にかけておく間に、旬野菜の簡単な和え物と、残り物や乾物を放り込んだ汁物を作ったらそれでおしまい。ほとんど毎日、これだけで十分。
(本書15ページより)

これで必要な栄養素をまかなえるし、お米を食べるのだから、お腹も満たせる。それに20〜30分ほどでできるため、疲れていても苦痛を感じずに料理と向き合えるという。“食べる側”からしても、まったく違和感のない考え方だ。

こういった「しなくていい」というルールを設けてからは時間的にも精神的にも余裕が生まれ、穏やかな気持ちを取り戻すことができたのだという。

ちなみに「これ以上はしなくていい」と決めたルールには、他にも以下のようなものがあるそうだ。

・メインに使う食材はたんぱく源+野菜の2素材、副菜は野菜1素材でいい
・炊き込みごはんの日は一汁一菜で十分
・切り干し大根やひじき煮、きんぴらごぼうといった、市販のお惣菜でも手に入る副菜は作らない(生野菜の和え物が基本)
・毎日違う料理を作らなくていい
・おいしすぎなくていい
・そもそも毎日料理しなくていい
(本書16ページより)

これらを目にしただけでも、なんだか食欲をそそられてしまう。そして、「おいしいもの」とは必ずしも高級なものではないということを、あらためて実感できるのではないだろうか。

つくり手であれば、さらにそういった実感を得ることができるだろう。事実、余計な思い込みを削ぎ落としたことによって、著者は自分や家族の心身とフラットに向き合えるようになったという。

さらに、しなくていいことを明確にしたら、相対的に「したいこと」が浮き彫りになったそうだが、それもまた納得できる話である。

家庭料理はずっと続いていく。だから、外食のように完璧な仕上がりなんて必要ない。食べ終わった後に、「あともう少し食べ続けていたかったな」と思えるような、やさしい味のシンプルな料理がちょうどいい。いつも同じような味付けになってしまっても、それが我が家の味として定着していくなら、それこそが理想の形ではないか。
(本書17ページより)

私も常々、どんなに手の込んだ料理よりも、妻が余ったご飯でつくってくれた塩握りがいちばんおいしいと感じている。だから、素人なりに共感できる。

なお本書のことを話したら、娘から「読みたい、気になってたから」という返答があった。渡そうと思っているが、ここにはレシピも掲載されているから、またなにか、おいしいものをつくってもらえるかもしれない(いやいや、そろそろ自分でつくってみろよ)。

『タコ セロリ アボカド』
長谷川あかり 著
1760円
文藝春秋

文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

 

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