伊勢神宮・内宮前にある「おはらい町」と五十鈴川
現在の伊勢神宮・内宮前にある「おはらい町」と五十鈴川
写真:photoAC

現在の三重県東部にあたる「伊勢国」。伊勢神宮のある国として知られていますが、戦国時代には織田信長、織田信雄(おだ・のぶかつ)、そして羽柴秀吉らの勢力争いに巻き込まれ、その支配者が大きく入れ替わった地域でもあります。

小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉・秀長兄弟と、伊勢国を領した織田信雄が対峙します。

どのような経緯で信雄は伊勢国を支配していたのでしょうか? そして、秀吉が勢力を伸ばす中で伊勢国はどのように変わっていったのでしょう。国名の由来とともに、戦国時代の歩みを見ていきましょう。

「伊勢国」の読み方と名前の由来

「伊勢国」は「いせのくに」と読み、「勢州(せいしゅう)」とも呼ばれました。現在の三重県東部を中心とする地域にあたります。

国名の由来については諸説あります。

『伊勢国風土記』の逸文には、神武天皇の東征に際し、この地を支配していた「伊勢津彦(いせ・つひこ)」が国を譲ったため、その名を取って「伊勢」と名付けたという伝承があります。

一方、「石城(いしき)」が変化したという説や、川瀬が多かったため「五十瀬(いそせ)」から転じたという説、海辺を意味する「磯」と関係するという説などもあり、未だはっきりしたことはわかっていません。

戦国時代の「伊勢国」の変遷

戦国時代の伊勢国は、初めから一人の大名が支配していたわけではありません。南伊勢では北畠氏、北伊勢では長野氏や関氏、神戸氏などがそれぞれ勢力を持っていました。

そこへ進出してきたのが、尾張(現在の愛知県西半部)を本拠とする織田信長です。

織田信長公像
織田信長公像
写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

信長が伊勢国を勢力下に

永禄10年(1567)ごろから、信長は伊勢への侵攻を本格化させます。

神戸氏には三男・信孝を、長野氏には弟・信包を養送り込みました。さらに、南伊勢を治めていた北畠氏には次男・信雄を北畠具教(きたばたけ・とものり)の養子として迎えさせ、家督を継がせます。その後、暗殺団を派遣して具教以下の北畠氏一族を排除し、伊勢国への支配を一層強めていったのです。

さらに天正2年(1574)、信長は北伊勢の長島一向一揆を攻め滅ぼします。こうして伊勢国は、信雄・信包・信孝ら信長一族を中心とする支配へと組み替えられていきました。

このうち信雄は、南伊勢を基盤として勢力を持つようになります。

信雄と秀吉が対立、小牧・長久手の戦いへ

天正10年(1582)、本能寺の変で信長が死去すると、織田家をめぐる力関係は大きく変わります。

信雄はやがて秀吉と対立し、徳川家康と手を結びました。そして、天正12年(1584)に始まったのが、小牧・長久手の戦いです。

長久手古戦場
長久手古戦場
写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

秀吉と家康の戦いとして知られていますが、そもそもの対立の中心には、信長の後継をめぐる秀吉と信雄の争いがありました。

戦いののち、信雄は秀吉と講和。信雄は、尾張と北伊勢5郡を領することとなりました。一方、南伊勢には秀吉配下であり、信長の娘を妻とする蒲生氏郷(がもう・うじさと)が配置されます。

伊勢国はここから、次第に秀吉の支配体制へ組み込まれていきました。

秀吉が「豊臣色」の濃い国へと再編

天正18年(1590)、秀吉が天下統一をほぼ成し遂げると、伊勢国の大名配置はさらに大きく変わります。

信雄は追放され、秀吉の養子・秀次がその旧領へ入りました。蒲生氏郷は会津若松へ移され、その後の伊勢には服部一忠、滝川雄利、岡本宗憲、富田知信ら秀吉に近い武将たちが配置されます。

こうして伊勢国は、信長一族を中心とした支配から、秀吉直属の大名を中心とする支配へと姿を変えました。

文禄3年(1594)には太閤検地が実施され、伊勢国の土地と石高が把握されます。

太閤検地は、国内の隅々まで実施することを目的に進められました。しかし、伊勢神宮は太古から「守護不入」であると主張し、秀吉に対して検地免除を求めます。その結果、文禄3年(1594)秀吉の朱印状によって宮川以東の神領は検地を免除されたのです。

この扱いは江戸時代にも受け継がれ、神宮領は「石高知れず」と記されました。

最後に

伊勢国は伊勢神宮を擁するだけでなく、畿内と東国を結ぶ交通の要地でもありました。そのため戦国時代には、信長、信雄、そして秀吉と、天下をめぐる争いの中で支配者が次々と変わっていきます。

織田信雄もまた、伊勢国を足場の一つとしていた人物でした。小牧・長久手の戦いを考えるとき、信雄の背後に「伊勢国」という広大な領国があったことを意識すると、秀吉との対立がより立体的に見えてくるのではないでしょうか。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。

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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)
『新版 角川日本地名大辞典』(KADOKAWA)

 

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