文/晏生莉衣
LGBTQ支援はロンドン、リオ大会のレガシー。東京2020はどうなりますか?【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編14】ラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピックと、世界中から多くの外国人が日本を訪れる機会が続きます。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。

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この連載では、世界各地でLGBTQプライド月間が祝われる中、数回にわたって「ピンクトライアングル」(レッスン13参照)など関連トピックスを取り上げてきました。同性婚の流れを振り返ると(レッスン11参照)、同性婚合法化された国が一番多かったのは2013年です。どの国も短期間の議論で合法化が決まったわけでなく、同性パートナーシップ制度というステップを踏んだり、司法の判断を仰いだりと、各国に様々な事情がありますから、2013年に合法化が重なったという偶然の一致かもしれません。

それでも、タイミング的に一つ注目されるのは、その前年にロンドンで開催されたオリンピック・パラリンピックです。

ダイバーシティ五輪で勢いづいた、世界の同性婚合法化

2012年のロンドン大会のテーマは、Diversity(多様性)とSocial Inclusion(社会的包括性)でした。男女を問わず、誰でも使えるジェンダーニュートラルな施設が選手村に作られ、性的少数者のアスリートを支援する環境が整えられたこの大会には、23人の性的少数者の選手が参加したと伝えられています。ゲイの人たちが聖火リレーの走者に選ばれたり、閉会式のセレモニーでジョージ・マイケルさんなどLGBTQのアーティストが多数参加したりと、競技以外でも多彩な大会となりました。

その一方で、当時の日本ではまだこうしたテーマに関心が薄く、LGBTQ、またはLGBTという言葉(レッスン12参照)すら知らない人がほとんどではなかったのではないでしょうか。最近のオリンピック・パラリンピックの歴史からも、性的少数者の存在に関する日本社会の関心の低さというものが感じられます。

そんな日本とは対象的に、世界では、ロンドンオリンピック・パラリンピックを契機に同性婚合法化の動きが勢いづきました。ロンドン大会の翌年には、イングランドとウェールズで同性婚が合法化され、次の開催国ブラジルも2013年に合法化します。続いてスコットランドが合法化。二つのオリンピック・パラリンピック開催国を始め、ロンドン大会終了後から次のリオ大会までに、世界で計11か国が同性婚を合法化したのです。ロンドン大会以前は、2000年のオランダの初の合法化から約12年間で11か国だったのと較べると、4年弱でそれと同数の国が合法化したというのは驚くべきペースです。

オリンピック憲章であらゆる差別を禁止

しかし、逆流が起こりました。広がりを見せるLGBTQ人権保護の波を押し返そうとするかのように、2014年のソチ冬季大会を控えるロシアで、同性愛に関する肯定的な情報を未成年者に広める行為を禁止する法律が制定されました。違反すれば罰金刑、外国人の場合はそれに加えて拘留と強制送還の恐れもあることから、ソチ大会に出場する選手やスタッフはもちろん、ソチを訪れる外国人観戦客も神経をとがらせながらの参加となりました。大会中のカミングアウトなどは絶対にしてはならない危険な行為となったのです。

これに大反発した一部の欧米諸国の首脳がソチ大会の開会式をボイコットする騒ぎになり、国際オリンピック委員会(IOC)が動きました。2014年12月のIOC総会で、オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」中、「オリンピック憲章で定める権利や自由は、いかなる差別も受けずに与えられなければならない」とし、許されない差別の例として、人種や宗教などによる差別とともに、「性的指向」による差別を加える改訂を行ったのです。

こうした動きを受けて、2016年のリオ大会では多様性が息を吹き返します。性的少数者の参加はロンドン大会を上回り、オリンピック、パラリンピック合わせて60人以上の選手やコーチが参加したと言われています。

リオ大会で活躍した選手に、女子柔道のブラジル人選手、ラファエラ・シルヴァさんがいます。柔道王国の日本ではよく知られた柔道家ですが、シルヴァさんが性的少数者のアスリートの一人であることをご存知でしょうか。シルヴァさんが開催国第一号の金メダルを勝ち取ると、ブラジルは大熱狂に包まれました。しかし、それまでのシルヴァさんは、地元の貧困地区出身で人種的マイノリティだというバックグラウンドから、母国で差別や嫌がらせを受けることが多い選手でした。そのシルヴァさんが、逆境を跳ね返して金メダリストになったあと、勝利は支えてくれた同性パートナーのおかげだと語ったのです。さらにもう一つの「マイノリティ」ステータスがつくことを恐れず、誇りと勇気を持って発言したトップアスリートに、世界のLGBTQ当事者や支援者から大きな称賛が寄せられました。

リオ大会は、シルヴァさんのカミングアウト以外にも、ゲイカップルやトランスジェンダーの聖火リレー走者や、大会中の性的少数者によるオープンなプロポーズなど、LGBTQの話題にあふれたものとなりました。そして翌年の1年間で、世界でさらに4か国が同性婚を合法化しました。

ホストシティTOKYOに迫られたLGBTQ対応

そして決まった東京2020。ロンドン大会以降、開催国での同性婚合法化が続いたとはいえ、では同様に日本も東京2020が終わったら同性婚合法化?、というのは、国レベルの同性パートナーシップ制度さえない現状からすると、その確率は極めて低いというところでしょうか。それはともかくとして、オリンピック・パラリンピック開催都市には、オリンピック憲章に則った大会運営が求められますから、大会組織委員会や東京都は、競技施設の建設だけでなく、本格的なLGBTQ対策を急いで講じなければならなくなったのです。

その一環として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、大会に物品やサービスの調達をする企業に対して、LGBTQに関する条件をつけました。性的指向と性自認による差別・ハラスメントの禁止と「社会的少数者」の権利の尊重を調達コードに盛り込むことで、LGBTQの人たちを公平に扱わない企業は、東京2020という国際ビックイヴェントにかかわることができなくなる体制が、2017年に作られたのです。

また、東京都議会は2018年10月、性的少数者の人権の尊重を盛り込んだ条約を成立させました。この条例では、「性自認及び性的指向を理由とする不当な差別的取り扱い」の禁止と、ヘイトスピーチの防止・規制が定められていて、こうした条例は都道府県としては初めてということです。

日本ではここ数年、LGBTフレンドリーをアピールする企業が続いていますが、その大きな理由が、このオリンピック・パラリンピック開催なのです。特に開催都市東京では、個人商店から中小企業、大企業、非営利団体に至るまで、東京都で事業を営むすべての事業者が、この新しい条例を守らなければなりません。前々回のレッスンで、性的少数者の人権保護について、日本にはヨーロッパにおけるEUのような強力なリーダーシップがないことを指摘しましたが、良くも悪くもこの「東京2020プレッシャー」が、LGBTQ人権意識後進国の日本で、一時的にでもこの問題への取り組みを前進させる推進力になっています。

そして、条例の対象は東京都の事業者だけではありません。都民も同じく「性自認及び性的指向を理由とする不当な差別的取扱いをしてはならない」ことをご存知でしょうか。東京都民の方々は、条例を今一度よく読んで、十分に理解されることをお勧めいたします。

本当に必要なものはなにか

さらに、ロンドン大会からの流れを受けて、東京2020の選手村にも、性別に関係なく誰でも使える施設が設置されることになっています。しかし、世界のスポーツ界では、差別禁止のルールやジェンダーニュートラルな施設を整えることは、いまや当たり前のこと。ロンドンからリオと、カミングアウトした参加者数が増える一方という状況から、東京大会でも性的少数者の輪がさらに広がることが予想されますが、東京2020は、そうしたマイノリティのアスリートを差別や中傷から守ることができるのでしょうか。

ここで、過去にカミングアウトした一人のオリンピアンの経験を参考にしたいと思います。水泳界のレジェンド、オーストラリアのイアン・ソープさんです。世界記録を次々と更新し、驚異的な泳ぎで多くのメダルを手にしたソープさんの活躍をご記憶の方は多いと思いますが、ソープさんは引退後の2014年になって、同性愛者であること公表しました。若くしてトップスイマーとなり、国民のヒーローになったソープさんは、期待される金メダリスト像とゲイである自分とのギャップにずっと悩み続け、自分がゲイでなければよいのにと、強い自己否定に陥ったと語っています。華々しい栄光の影に本当の自分をひた隠しにしたのは、周囲の理解を得られないのではという不安からで、その苦しみから選手生活後半ではうつ病やアルコール依存症になり、自殺も考えたと告白しました。公表後、ソープさんはLGBTQ人権のために活動し、彼の貢献もあって、オーストラリアは2017年、同性婚を合法化しました。

ソープさんのこうした経験が教えてくれるように、性的少数者のアスリートには、同じ競技をする選手や指導者、スタッフはもちろん、ファンやスポンサー、そして一般の人々の理解と支えが必要です。マジョリティとは違う自分をそのまま認めて受け入れてくれる友人、偏見や差別にはいっしょになって戦ってくれる仲間が必要です。人種的マイノリティや難民出身など、あらゆるマイノリティの選手に同様のことが言えます。

では、これまで以上の性的少数者アスリートの参加が予想される東京2020の会場で、そうした選手を暖かく迎え、応援する雰囲気を生み出すことはできるのでしょうか。観客、あるいは対戦相手や審判が、マイノリティの選手への差別的な言動を取るようなハプニングがあった時、どうすればよいのでしょうか。それがおかしいと思う感覚をすべての観客が持っているとは、残念ながら限りませんし、ヒートアップした会場では、差別的なブーイングなどは、なにかのきっかけで簡単に広がってしまいます。性的少数者を含め、マイノリティの選手が練習中や競技中に差別的な扱いを受けた場合、どのような救済措置が用意されているのかという点も気になります。

さらに、会場外での差別発言やヘイトスピーチ、そして日本ではこれまであまり見受けられていませんが、言葉の暴力だけではなく、LGBTQの人たちに対する身体的暴力や殺人事件は、世界では珍しいことではありません。リオ大会は多様性の祭典として大成功を収めましたが、そのブラジルでは、LGBTQの人々への凶悪なヘイトクライムもまた、頻発しています。

国レベルで性的少数者への差別を禁止する法律がない日本では、差別したということだけでは取り締まりの対象にはなりません。さきほど挙げた東京都の条例は処罰を設けていませんし、都民以外、ましてや訪日中の外国人はまったくの対象外です。傷害事件などになればもちろん警察は動きますが、現状では、今ある法律をもとに対応するしかないのです。

こうした中、来年の東京大会運営側はどんなLGBTQ保護対策を立てているのでしょうか。多くの日本人がこの国際イヴェントにかかわることになりますが、ヴォランティアなどへのトレーニングを含め、これから東京2020開催までの残された期間で、十分な事前準備がされることが望まれます。

TOKYO2020に向けたフレンドリーな提案

最後に、別の視点から提案を一つしたいと思います。オリンピックでは、フランス人のクーベルタン男爵が近代オリンピック開催に尽力したことから、フランス語が第一公用語となっています。ですから、オリンピックの開会式のアナウンスは、“Mesdames et Messieurs,”(メダム ゼ メシュゥ)というフランス語で始まります。メダムはマダム(Madame)の、メシュゥはムッシュゥ(Monsieur)の複数形です。フランス語にあまりご縁のない方でも、このアナウンスはおなじみのものでしょう。

そして、そのあとには、英語の“Ladies and Gentlemen, ”(レディース アンド ジェントルメン)と続くのが、お決まりのこととなっています。

ここで問題提起となるのが、この“Ladies and Gentlemen, ”です。本連載では、社会の変化による新たな価値観を言葉に反映させようという、英語とフランス語のムーヴメントを取り上げ、そこからさらに、性的少数者の人権保護について考えてきました。そして、 “Ladies and Gentlemen, ”という英語圏で長らく使われてきたフレーズについては、ロンドンやニューヨークの公共交通のアナウンスでは使用を廃止し、“Everyone”(皆様)というようなジェンダーニュートラルな呼びかけをする方針を決めたことを、レッスン6で紹介しています。

この連載をずっと読んでくださっている方には復習になりますが、男性形だけの職業の名称を男女共通で使えるものに改めるために生まれた「ジェンダー ニュートラル ランゲージ(Gender Neutral Language)」は、現在、英語圏では主流となっています。女性の社会進出によるジェンダー平等という価値観にもとづき、現在は、LGBTQの人々への配慮も加わって、多様性と包括性の表現言語として使われています。多様性と包括性はオリンピック・パラリンピックの専売特許ではなく、このジェンダー ニュートラル ランゲージのコンセプトでもあるのです。日本で昨今、ダイバーシティやインクルーシブというカタカナ英語がよく使われるようになった背景にも、こうしたグローバルな意識改革があります。

そして今、この言葉のスタンダードの変化は、英語圏を超えてさらに広がりを見せています。性的少数者人権の先進国オランダの首都アムステルダムでは、2017年、市職員に対して、「レディース アンド ジェントルメン」ではなく、「アムステルダム市民の皆様」というようなジェンダー ニュートラル ランゲージを使用するよう指示が出され、これに続くように、オランダ国鉄がロンドンの公共交通同様、男女分けをしない「ベストトラヴェラーズ」のような表現を用いることを決定しました。スペインの空港でも同様の表現に変える方針が発表されています。

しかし、こうしたジェンダー ニュートラル ランゲージ導入のパブリックな動きが顕著になったのは2017年以降のことなので、それ以前に開かれたロンドン大会、リオ大会では、多様性をテーマとしながらも、“Ladies and Gentlemen,” という従来型の男女二分法のアナウンスがされていました。

そこで提案です。東京2020のアナウンスでは、“Ladies and Gentlemen,”ではなく、“Everyone,”というように、誰も区別することなくすべての人をウェルカムするような呼びかけにしてはいかがでしょうか。性別はもとより、国、人種、民族、宗教、その他あらゆる違いを超えて、わたしたちは皆、同じ人類 ―― そんなフレンドリーなメッセージを、多様性を歓迎する平和の都TOKYOから、世界へと発信する試みです。

ただし、フランス語は、レッスン9で説明した通り、男性形、女性形という文法のジャンルで成り立っているため、ジェンダー ニュートラルというわけにはいきません。それでも、フランスでは、長い間使われてきた“ Bonjour à tous”(「皆さん、こんにちは」)という男性形で呼びかける挨拶に、女性形を加える(“Bonjour à tous et à toutes”)風潮が定着してきましたから、さらに一考して、みんなに呼びかける表現を生み出したいものです。パラリンピックではフランス語は公用語ではありませんが、使用する言語について、同様の試みが望まれます。

大会では開催国の言語も使用されますが、日本語の一般的なアナウンス、「皆様」「ご来場の皆様」「観客の皆様」などという表現は、どれも素晴らしくジェンダーニュートラルなので、変える必要のないモデルヴァージョンですね。

オリンピック・パラリンピックはどこの都市で開催されようと、世界から注目が集まります。言葉、態度、行動で、人類の多様性をリスペクトし合う ―― 寛容と共生の精神にあふれた平和の祭典が実現し、皆の誇りがレガシーになる。そんな東京2020を期待したいと思います。

文・晏生莉衣(あんじょうまりい)
東京生まれ。コロンビア大学博士課程修了。教育学博士。二十年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事後、現在は日本人の国際コンピテンシー向上に関するアドバイザリーや平和構築・紛争解決の研究を行っている。

 

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