TPOにあわせた洋服の選び方、体にあった洋服の選び方などを紹介する当ファッションコラムの第2回は、セットアップスタイルに不可欠なスポーツジャケットの代表例、ブレザーの着こなし方についてお話しいたします。
紺のブレザーにミディアムグレーのトラウザーズを合わせた、最もオーソドックスなコーディネート。ブレザー5万6000円、シャツ1万2000円、タイ9500円、トラウザーズ2万円(すべてニューヨーカー、価格は税抜き)。
ネイビーブルーの生地に金属製のボタンが付いたジャケットと、グレーのトラウザーズ(ズボン)を組み合わせた「紺ブレスタイル」が海外のビジネスシーンで認知されたのは、1950年ごろだったと思われます。このスタイルはアメリカ東海岸の有名大学の連盟アイビーリーグ出身のビジネスマンたちがビジネスシーンで着用したのがはじまりといわれており、1960年代前半のアメリカで流行しました。
そして、紺ブレに代表されるアイビースタイルを日本に導入したのがファッションデザイナーの石津謙介氏です。石津氏が創業したブランド『VAN』は1960年代、日本の若者の間に大ブームを巻き起こし、一世を風靡しました。これが日本の男性の服装に本格的な「流行」という概念が取り入れられた、最初の経験だったと思います。
しかし、ブレザーは本来、流行として着るものではなく、所属するクラブやチームのユニフォームとしての性格が強いジャケットでした。その起源にはふたつの有力な説があります。ここでは、拙著『「黒」は日本の常識、世界の非常識』(小学館101新書)にまとめました内容を、かいつまんでご紹介しましょう。
1.イギリス海軍で誕生
1837年、イギリスのヴィクトリア女王が軍艦ブレイザー号を閲兵した際、艦長が水兵たちを格好よく見せようと、海軍の紋章を施した金属製のボタンを付けた紺色のダブルブレステッドのジャケットを着させたのがはじまり。
2.イギリスの大学のボートクラブで誕生
1800年代の中ごろ、ケンブリッジ大学に創設されたレディー・マーガレット・ボート・クラブの選手たちが、オックスフォード大学との対抗戦に、クラブカラーの赤いジャッケットを着用して登場。その赤いジャケットがblazer=炎のようだったことからブレザーと名付けられた。
どちらの説が正しいのかは断言できませんが、いずれにしろ、ブレザーはもともとユニフォームの色合いが強いことだけは間違いありません。したがって、当時、ボタンはシンボルマーク入りのメタルボタンを使い、胸には所属する学校、連隊、クラブチームなどのエンブレム(ワッペン)が付けられていました。服地の色も特に紺に限られていたわけではありません。
それが1930年代にはレジャーウエアとして着用されるようになり、さらに1950年代のアメリカで紺色のブレザーがビジネスウエアとしても普及しはじめたというわけです。
現在、日本でももちろん、クリースの入ったグレーのパンツと合わせればビジネスにも使えるコーディネートになります。また、カジュアルに着用するのであれば、青や白のデニム(ジーンズ)をあわせてもいいと思います。
カジュアルにノーネクタイで着用するならば、シャツはオックスフォードのボタンダウンがおすすめ。ブレザー5万6000円、シャツ1万1000円、トラウザーズ1万9000円(すべてニューヨーカー、価格は税抜き)。
余談ですが、1964年の東京オリンピックでは、日本選手団は真っ赤なブレザーに身を包んで入場行進しました。このブレザーは大同毛織(現在のダイドーリミテッド)が生地を手配し、選手それぞれの体型に合わせて、たくさんのテイラーが手分けしてあつらえたそうです。2020年の東京オリンピックでは、ユニフォームとしてどのようなスポーツジャケットが登場するのか、みなさんも注目してください。
最後に僭越ながら、ブレザー着用の注意点をひとつ。
ブレザーは本来の役割のように、クラブメンバーがユニフォームとして着用するのであれば、クラブメンバーの結婚式や正式なパーティー・会合においてフォーマルウエアとして通用します。しかし、日本でも紺ブレがビジネスウエアとして定着したといっても、それがユニフォームとして着用されていないかぎり、あくまでカジュアルウエアにすぎません。したがって、正式なパーティーや結婚式での着用は、年齢を問わず避けるべきでしょう。
撮影協力:ニューヨーカー
問い合わせ先/TEL0120-17-0599(フリーダイヤル)
文/高橋 純(髙橋洋服店4代目店主)
1949年、東京・銀座生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本洋服専門学校を経て、1976年、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションのビスポーク・テーラリングコースを日本人として初めて卒業する。『髙橋洋服店』は明治20年代に創業した、銀座で最も古い注文紳士服店。
【関連記事】