「自分の言葉で伝えたいからタレントの道を選んだ」
21歳で女優という華やかな世界にデビュー。けれど多忙すぎる仕事が、ストレスを抱える原因に。自分らしくいるためにと、「コメンテーター」と「田舎暮らし」をセンタクしていた。
←たかぎ・みほ 昭和37年、東京生まれ。昭和59年、映画『Wの悲劇』で女優デビュー。以降、ドラマ『華の嵐』の主役を始め、NHK大河ドラマなどに出演。その後タレントに転身し、バラエティ番組やコメンテーターとして活躍。平成10年、栃木県那須高原に移住し、自然と共にある暮らしを実践している
21歳で女優デビューした。その5年後にはテレビの昼の帯ドラマ『華の嵐』『夏の嵐』の主役に抜擢され、それが大ヒット。お陰で休みのない日々が何年か続いた時、好きな自分でいられる時間が全くないことに気づく。高木美保さんが、当時を振り返る。
「女優は自己表現の場がありそうで、実は受け身の仕事なんです。台本があり監督がいて、すべてが演出され、作られた世界でした」
自分に合っていないと痛感し、33歳で女優からタレントへの転身を「センタク」する。活動の場をテレビのバラエティ番組やコメンテーターに移したのだ。自分の言葉で仕事がしたかったからだ。
タレントへの舞台に導いてくれた芸能界の大先輩がふたりいる。徳光和夫さんと島田紳助さんだ。徳光さんはその包容力でコメンテーターの場を与えてくれた。島田さんは兄のような気取りのなさで、大阪ローカル局のバラエティ番組に誘ってくれた。
「東京からのゲスト出演ということでしたが、週に1回の大阪通いが6年も続きました」
タレント活動を続けながら、17年前には栃木県那須高原に居を移した。芸能界から少し距離を置く生き方を選んだのだ。
「自然に優しい〝エネルギー自給環境共生型住宅”を建て、有機農業にも取り組んでいます。いわば〝芸農人”です 」
東京を離れる時は不安もあったが、今では自分の「センタク」が間違っていなかったと確信できる。今後は、子供に関わる仕事もしたい。
「子供の笑顔の裏には哀しみが潜んでいることもある。そんな子供たちのために絵本を書きたいと思って、今、絵を習っています。子供たちに〝自分は愛されているんだ”というメッセージが届けられれば嬉しいですね」
子供たちのための、さらには大人も読めるような詩画集を作るというのが、これからの夢だという。
←移住をきっかけに講演の仕事が増え、自然との共生やスローライフをテーマに全国を回っている。
←那須では自給自足を目標に有機農業にも取り組んでいる。経済効率より、自然と人と農業のつながりを大切にしたいという。
●こだわって建てた環境に優しい那須の自宅や実践している有機農業のことなど、那須での興味深い暮らしぶりは「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
http://towa-sentaku.jp/anohito/sarai/
提供/東和薬品