文/鈴木拓也

東京の四大寄席の1つに数えられる新宿末広亭。
明治30年代に誕生し、太平洋戦争末期の空襲で灰燼に帰したが、ほどなく復興。戦後から現代までの演芸文化を牽引してきた「落語の聖地」である。
この寄席に足しげく通いつめて、その様子をウェブメディアに連載し、最終的に1冊の本『新宿末広亭 令和の定点観測』(朝日新聞出版 https://publications.asahi.com/product/26027.html)にまとめ上げたのは、演芸評論家の長井好弘さんだ。
定番の演目に新風を吹き込む真打
末広亭は、各月を1日~10日(上席)、11日~20日(中席)、21日~30日(下席)と3期に区切り、10日ごとに演者を入れ替えて興行する仕組みをとっている。また、(3部構成の1月初めを除き)どの日も昼の部と夜の部に分かれている。
長井さんは、2024年10月から翌年の9月にかけての毎月、上席、中席、下席の昼夜の部をすべて鑑賞するという挑戦に打って出た。ただし、10月6日の夜の部、10月9日の昼の部、10月13日の夜の部…というふうに同じ番組の重複を避けたので、1年の間に鑑賞したのは全部で73番組、1232高座におよぶ。
「古希を過ぎたばかり」の長井さんは、埼玉県三郷市の自宅から1時間以上かけて通い、前書きでは「本当にくたびれた」と述懐する。しかし、内容にはくたびれた雰囲気は微塵も感じられない。臨場感あふれる筆致で寄席の風景を描き出し、400ページを超える大著に仕上がっている。
さて、その「定点観測」の初回は、真打に昇進した古今亭志ん橋(しんきょう)の披露目の席であった。前座の芸が続いた後、トリの志ん橋が登場。演目は、花魁の喜瀬川が、会いたくない客に「自分は死んだ」という嘘を伝言させる「お見立て」だ。
志ん橋が演じる喜瀬川は、口調も仕草もあだっぽくて、怪しい魅力を振り撒くのである。「私、あの人嫌(いや)、嫌い」「だって、嫌なんだもん」とクールに言い放ち、「喜助どん、後生だから」と手を合わせ、色っぽい目つきで相手を凝視する。これで見世の若い衆の喜助がポーッとなり、「わかったよ。やるよぉ」と答えてしまう。
(本書18~19pより)
「お見立て」は廓噺(くるわばなし)の中では、よく演じられる定番。そのため、「正直、観客としては、「また『お見立て』か」と思うこともある」という。しかし、志ん橋が、色気いっぱいの新境地を見せたことで、長井さんは、この噺の「寿命が少し伸びた」のではと観測する。
客席でケータイが鳴ったら…
本書は、演者たちの芸に関してばかりでなく、観客席で起こるハプニングについてもしばしば言及がある。
その1つが、突如として客席でケータイが鳴るというもの。
運営側はケータイを鳴らさないよう呼びかけるものの、「注意を聞いていない、聞いても電源を切らない、電源を切る方法を知らない等々あって」、噺の最中にそれが鳴る。それをたしなめるのは、演者の役割だ。
12月下席の昼の部で、桂幸丸が古典落語「抜け雀」を演じていると、どこかからケータイが鳴る。
幸丸は、「ケータイ鳴ってるよ、誰か切り方教えてやって」と、うまく切り返す。心の中ではイラっとしたかもしれないが、笑いを誘うリアクションをとるのは、さすがプロ。もしかすると、どの演者も、「ケータイが鳴ったら、こう対応する」というレパートリーをいくつか持っているのかもしれない。
さらに、ケータイのトラブルをネタへと昇華させたのは、春風亭昇咲(しょうさく)だ。
「寄席の客席で携帯を鳴らすのは大罪です。今日は、その辺を追及した、半ドキュメンタリーの啓蒙落語をお届けします」
末広亭でウケなかった昇咲は、ショックを抱えたまま次の会へ向かったが、トンネルを潜ったら、タイムスリップした。見れば、落語会でやっちゃいけないルールを破った極悪人が処刑されようとしている。(1)ケータイを鳴らす (2)メモをとる (3)オチを先に言う (4)新作とわかると寝る――さて彼の「大罪」は――
(本書366pより)
そのオチは本書では明かされないが、思わず続きを知りたくなる。
さて、ケータイ問題について、長井さんの立ち位置は明快だ――「電源は切る」。これには、まったくもって同感だ。
観客の少なさ自体がネタになる
本書を読み進めると、演者が、噺の中に観客を巻き込むシーンが時々あるのが興味深い。
それは、客いじりとはまた違うもので、どちらかと言えば「参加」させるものだ。例えば、古今亭駒治の新作落語「楽しい山手線」は、山手線に急行を走らせるなら、どの駅に停車させるのがふさわしいかという内容。噺の途中で、駒治は観客に呼びかける。
「客席の拍手の多い駅が当選ですよ~。拍手は頭の上でしてもらうから、不参加の人はわかっちゃいますからね~」
結果は、五反田駅ゼロ。ほぼ同票の日暮里駅と神田駅で決選投票(?)となり、神田駅が勝利した。
「だいたい五反田は人気がなくて、後の二つのうち、日暮里が勝つことが多いですが、今日は神田でした」
(本書108~109pより)
その後に登場した、柳家小ゑんは、「暮れのクソ忙しい時によく来てくれました。お客さん、やればできるじゃないですか」と混ぜ返す。
客の入り自体を、話のネタにする演者も多い。特に、悪天候などで客数が芳しくなく、受けも今一つだと、演者は斜め上の方向へ饒舌になる。
「いいですね、客席の真ん中あたりだけポカッと空いた、この空気感」(晴太)
「人数に見合った雨だれのような拍手、ありがとうございます」(王楽)
(本書164pより)
こう言いたくなる気持ちは分かる気がする。客が入ってなんぼの商売だから、閑散としていれば不安・焦燥は、どうしても募る。その感情のガス抜きの手段として、計算した上で口を滑らせるのだろう。
他方、たまに大入り満員になることもある。6月上席は、人気の演者がトリを取るせいか、連日の大盛況。「1階席、桟敷とも、ぎっしり」と観客で埋まった。それはそれで、演者は調子を崩すらしい。柳家さん助は、大観衆を前に動揺したのか、ミスを連発し、軌道修正にしどろもどろになる。長井さんは、それを「情けなくもおかしい」と温かい目で評している。
* * *
本書を通読して感じたのは、ベテラン勢が競演する「ホール落語」と、なんでもあり的で演者の技量の幅が大きい末広亭の空気感の違いだ。無論、どちらが上等だとか優劣をつけるものではないが、末広亭には、ほのぼのとした雰囲気があってほっこりする。そのニュアンスも含めて、うまく行間に落とし込まれており、寄席愛好者でなくとも引き込まれる。寄席に通い始めて何十年という方にも、初めて行こうと考えている方にも、おすすめしたい1冊だ。
【今日の教養を高める1冊】
『新宿末広亭 令和の定点観測』

定価3300円
朝日新聞出版
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。











