文/梶 尚志(総合内科専門医、医学博士)

最近むせることが増えたと感じていませんか
食事中にお茶でむせる。薬が飲み込みにくい。硬いものを避けるようになった。会話中に口が乾く。こうした変化を「年だから仕方がない」と考えていないでしょうか。実は、口の機能の衰えは、脳の健康とも深く関係しています。
オーラルフレイルとは何か
近年、歯科や老年医学の分野で注目されている「オーラルフレイル」という言葉があります。これは、体に身体機能が極端に低下したフレイルという状態があるのと同じように、歯の本数が減る、噛む力が弱くなる、舌の動きが悪くなる、飲み込む力が落ちる、滑舌が悪くなる、口が乾くといった、口の機能の小さな衰えが積み重なった状態を指しています。病気というより、健康と要介護のあいだにある「黄色信号」と考えるとわかりやすいでしょう。
オーラルフレイルが問題なのは、単に口の機能が落ちるということだけではありません。噛みにくくなると、肉、魚、野菜、海藻、きのこなどを避け、やわらかいパン、麺類、ご飯、お菓子に偏りやすくなります。その結果、たんぱく質、ビタミン、ミネラルが不足し、さらに筋肉量が落ちます。体重は変わらなくても、体や口の筋肉だけが減ることもあります。筋肉が落ちると活動量が減り、外出や会話も減ります。この流れは、次第に認知機能の低下にもつながっていくのです。
咀嚼・嚥下機能の低下と脳の関係
口と脳の関係を考えるうえで重要なのが「噛む」という刺激です。噛む動作は、あごの筋肉だけでなく、歯根膜、舌、頬、唾液腺などの口の機能と脳を連動させる複雑な運動が合わさったものです。2023年に発表された咀嚼機能と認知機能に関する研究では、噛む力の維持が認知機能に関係する可能性が示されています。(※1)
(※1)*Ma Therese Sta Maria Jpn Dent Sci Rev. 2023
ただし、噛めば認知症を必ず防げるという単純な話ではありません。噛める口の力を保つことが、栄養摂取や、日常の会話、そして、様々な社会参加を支えるという点が重要です。
飲み込む力の低下も見逃せません。「むせ」は、食べ物や飲み物が気管に入りかけたときに起こる防御反応です。たまにむせる程度なら誰にでもありますが、食事のたびにむせる、声がガラガラする、食後に咳が続く、発熱を繰り返す場合は注意が必要です。誤嚥性肺炎のリスクが高まるだけでなく、「食べることが怖い」という心理につながり、食事量の低下や低栄養、筋力の低下を招きます。
歯周病と炎症の関係
もう一つの重要な視点が、歯周病と炎症です。
歯周病は歯ぐきだけの病気ではありません。歯周病菌や炎症性物質が血流を介して全身に影響し、糖尿病、動脈硬化、心血管疾患との関連が知られています。認知症との関係についても研究が進んでおり、歯周病と認知機能障害の関連を示す発表があります。(※2)
(※2)* Lata Goyal et.al Evid Based Dent. 2023
一方で、最近は、胃がんや胃潰瘍の原因として有名な、ヘリコバクター・ピロリ菌の感染症と歯周病との関連がいわれています。口腔内にもヘリコバクター・ピロリ菌が住みついている場合があるからです。つまり、口から始まる消化機能の低下と胃の消化機能の低下が、栄養素の吸収を妨げている原因となり、それが、また、オーラルフレイルの原因となるといった、負のループが起こっているわけです。
もちろん、歯周病だけで認知症が決まるわけではありません。認知症は年齢、遺伝、血管、睡眠、運動、栄養、聴力、社会参加など多くの要因が重なって起こります。ただし、歯周病という慢性炎症を放置しないことは、全身と脳の健康を守るうえで合理的な対策です。
認知症予防の土台となる「口と脳を守る栄養」
噛む力・飲み込む力を支える たんぱく質
栄養面では、まずたんぱく質が基本です。噛む力や飲み込む力に関わる筋肉も、材料は、全てたんぱく質からできています。ですから、肉、魚、卵、大豆製品を毎食に少しずつ取り入れましょう。肉が噛みにくい場合は、ひき肉、つくね、卵とじ、煮魚、豆腐、茶碗蒸しなどにすると食べやすくなります。やわらかくすることは悪いことではありませんが、やわらかい主食だけに偏らず、必ずたんぱく質を摂取できる工夫が大切です。
骨と免疫を支える重要な栄養素 ビタミンD
ビタミンDも口と体のフレイル対策にとても重要です。ビタミンDは骨を造ることに働くだけでなく、腸管免疫を高めることにもつながる大切な栄養素です。魚、卵、きのこ類を取り入れ、日光を浴びすぎない程度でお日様にあたる機会もつくりましょう。高齢者では外出の頻度が減って屋内生活が長く、ビタミンDが不足しやすいため、必要に応じて血液検査で確認することも必要です。
味覚と粘膜の健康を守る栄養素 亜鉛
亜鉛も見逃せない栄養素です。亜鉛は味覚、粘膜、免疫力、そして傷の修復など、細胞の再生に関わります。味がわかりにくい、食欲が落ちた、口内炎ができやすいといった変化の背景に、亜鉛不足が隠れていることがあります。亜鉛は、牡蠣、牛肉、豚レバー、卵、チーズ、納豆などに含まれます。ただし、亜鉛の過剰摂取は銅不足を招くことがあるため、サプリメントを長期に使う場合は医師に相談しましょう。味覚が鈍ると食事量が落ち、さらに栄養不足が進むため、味の感じにくさも栄養失調の大切なサインです。
“噛む力”を守る食べ方
では、噛む力を守る食べ方とは何でしょうか。ポイントは「噛める範囲で、噛む機会を増やす」ことです。すべてを刻み食や流動食にすると、かえって口の筋肉を使う機会が減ります。たとえば、魚は焼くより煮る、肉は薄切りやひき肉にする、野菜は大きめにやわらかく煮る。硬すぎず、しかし舌やあごを使って食べる形にすることが大切です。
また、食前に耳の下やあごの下を軽くマッサージし、舌を前後左右に動かすなど、簡単な口の体操も役立ちます。食事中は急がず、一口量を少なめにし、飲み込んでから次の一口を入れる。むせやすい人は、テレビを見ながらの食事をやめ、食べることに集中するだけでも変わります。
そして、歯科受診を先延ばしにしないことも大切です。歯が欠けた、入れ歯が合わない、歯ぐきから血が出る、口臭が強い、噛むと痛い。口は栄養と脳の健康を守るゲートキーパーの役割を担っています。ですから、これからは、歯科、医科、栄養が連携する時代になっているわけです。
オーラルフレイルのサインを見逃さない
家庭でできる簡単な目安として、「タコやイカ」「たくあん」などが以前より食べにくくなっていないかを、ご自身でチェックしてみてください。もちろん無理に硬いものを食べる必要はありませんが、避ける食品が増えている場合は、口の機能が落ちている可能性があります。また、食事時間が長くなった、食べこぼしが増えた、飲み込んだ後に声が湿った感じになる、体重が減ってきたという変化も重要です。
一方で、家族ができる支援もあります。「ちゃんと噛んで」と注意するより、食卓の環境を整えることが大切です。椅子に深く座り足裏が床につく姿勢にし、急がせず、一口ごとにしっかり飲み込める環境を整えましょう。
早めの相談が「食べる力」を守る
また、口の衰えは見た目ではわかりにくいため、定期的な歯科健診が大切です。虫歯や歯周病の治療だけでなく、入れ歯の調整、舌や頬の動き、唾液の状態、嚥下の相談まで含めて、口を「栄養の入り口」として診てもらうことが理想です。
むせが強い場合は、内科、耳鼻咽喉科、歯科、歯科衛生士、管理栄養士などに相談すれば、嚥下機能の評価や食の形態の調整ができます。「食べる力」は生活の質を底上げする力となります。早めに手を打てば、食べられる食品の幅がさらに増えていきます。
「最近むせる」「硬いものを避けるようになった」は、単なる老化ではなく、体と脳の栄養状態を見直すサインです。口は食べる器官であると同時に、会話し、笑い、人とつながる器官です。噛む力と飲み込む力を守ることは、人生の楽しみと脳の健康を守ることでもあるのです。
文/梶 尚志(かじ・たかし)

梶の木内科医院 院長・七夕医院総院長。
総合内科専門医、腎臓専門医、家庭医、日本抗加齢医学会専門医、健康スポーツ医。
1989年、富山医科薬科大学(現富山大学)医学部卒業。2000年、岐阜県可児市に梶の木内科医院開設。年間約5万人の患者を診察する中で、通常の診察では解決できない不調が多いことに危機感を感じ、改善策を模索。分子整合栄養医学との出会いをきっかけに、不調の原因が栄養状態にあることを確信する。2025年7月、新たに栄養療法に特化した七夕医院名古屋分院を開設。大人から子どもまで栄養学的なアプローチで治療と生活指導を行い、不調の改善に取り組んでいる。

梶 尚志著
1595円
あさ出版











