亀岡市の明智光秀像。

1989年の『春日局』は、1981年に『おんな太閤記』を執筆した橋田寿賀子さん2作目の大河ドラマ。主人公の春日局は大原麗子さん、織田信長が『おんな太閤記』と同じ藤岡弘(現・藤岡弘、)さん、森蘭丸に内池学さん、羽柴秀吉が藤岡琢也さん、明智光秀が五木ひろしさん、斎藤利三に江守徹さんという布陣となりました。濃姫はキャスティングされませんでした。

『春日局』は最終的に平均視聴率が32.4%という高視聴率を記録した作品ですが、「本能寺の変」が描かれた第1回の視聴率は、元旦に放送した影響で14.3%と、歴代でもワーストに入る数字で終わりました。元旦に第1回を放送した作品は以後登場しません。

「本能寺の変」の物語は、信長から中国出陣を命じられた明智光秀が、領国の丹波亀山(現・亀岡市)に立ち寄る場面から描かれます。主人公はおふく(後の春日局)のため、その父親である斎藤利三の屋敷が舞台になります。

「本能寺の変・四国説」の片鱗が初めて登場

信長に中国攻めの援軍となることを命じられた明智光秀は、居城である丹波亀山城に立ち寄ります。重臣斎藤利三も、家族の待つ屋敷に戻りました。大河ドラマの「本能寺の変」絡みで亀山での様子が描かれるのは初めてのことです。

利三の屋敷には、画家の海北友松(演・吉幾三)と僧侶の東陽坊長盛(架空の僧侶/演:ガッツ石松)が訪れ、「あれほど信長に疎んじられ、コケ扱いにされてよう黙っておるわ」などと放談しています。

「殿は信長さまより近江、丹波の領主に遇されておる。何をもってそのような」と利三は反論します。

友松「じゃが、この15日に安土にきた家康殿と穴山梅雪殿の馳走役を光秀殿はお受けなされたそうじゃな。なんでも饗応の料理を信長が気に入らず、散々信長に怒鳴られたあげく、途中でお役御免になったそうじゃないか」

海北友松と東陽坊長盛、斎藤利三とのやり取りで、本能寺の変に至る動機が簡潔に説明されます。

東陽坊「今始まったことではない。何度も信長に足蹴にされるような目にあいながら、それでも男か光秀は!」「光秀ほどの男が信長づれに……悔しいではないか!」

光秀の動機が一気に語られる

翌日、明智光秀は斎藤利三、娘婿の明智秀満(演・磯部勉)、そのほか家臣の主だった者、それに連歌師・里村紹巴(演・戸沢佑介)らとともに、亀山城から愛宕山へ向かいます。

「そのとき光秀の胸中には既に大きな決意が秘められていたのである」とナレーションによる説明がありました。

「御神意を占いたい。くじをお願い申す」と幾度もくじを引く光秀。額には汗がにじんでいます。斎藤利三は「何を迷うておられます? なんぞお迷いなさることでも?」と声をかけます。この時点で利三はまだ、光秀の心の内に秘めた思いを知りません。

『おんな太閤記』同様に光秀と家臣のやり取りを通じて、信長を討たねばならない動機が説明されます。光秀は家臣らに対してこういいます。

光秀「我らが護り神の前でそなたたちに話しておきたいことがある。斎藤利三、明智秀満。そなたたちにはわしの覚悟を知っておいてもらいたい。信長を、織田信長を討つ。われらが護り神のご神意にもかのうたのじゃ。好機じゃ。神のくだされた好機じゃ。今をおいて信長を討つときはない!」

利三「信長さまへのご遺恨でございますか」

光秀「利三が遺恨と思うももっともじゃ。信長に仕えてこれまで、どれほど衆目の面前で信長から辱めを受けてきたかしれん。じゃが、信長は癇癖の激しい男。気に入らぬときは誰といわず当たり散らす。そのようなことをまともに恨んでいては、とても側近の務めは果たせはせん」

秀満「しかし、丹波八上城において波多野秀治兄弟を攻めし折り、父上は父上の母御を人質として八上城中に送られ、引き換えに波多野兄弟を信長のもとに送って和を結ばれました。じゃが信長は人質の波多野兄弟を殺し、その報復に父上が八上城へおくられた人質の母御も敵の手にかかってあえないご最期を遂げられ、父上は母の命まで戦の手立てにして功を急いだ卑怯者とのそしりを……」「母御を殺したのは和睦の約定を破った信長にございまする。その恨み我らとて忘れておりません」

光秀「そのような昔のこと」

秀満「こたびの家康の饗応役のこととて、父上は京・堺から珍しきものを取り揃えられ、お役目大事とお務めなされました。なにひとつ手抜かりなきものを、信長は魚が腐って悪臭がするといいがかりをつけ、お役目途中のご罷免。父上のご胸中いかばかりかとご無念はごもっともにございます」

光秀「中国攻めを果たしたら、丹波、近江の所領は召し上げ、石見、出雲へ国替えが決まった。わしを京から遠ざける腹じゃ。天下がおさまればわしなど邪魔もの。いま、信長を討てば、この光秀が天下をとるのも夢ではない」「案ずるな。毛利どのとは義昭さまを通して、この日のための策を講じてある」

光秀と秀満ら重臣とのやり取りで、「八上城の攻防で人質に出した母親を見殺しにされたこと」「家康接待の際に腐った魚を供したことを叱責されたこと」「丹波・近江の領地を召し上げ、石見・出雲を切り取り次第与えること」というこれまでの作品でも描かれた光秀の「遺恨」が語られました。

愛宕百韻

光秀が愛宕神社で開催した連歌の会も描かれました。発句は惟任日向守明智光秀。

ときは今 雨が下知る 五月かな

光秀の句「とき」とは光秀が流れを汲む土岐氏を意味し、「ときは今 雨が下知る」は、光秀が天下を治めるという決意と願いが込められていましたが、出席者のなかで光秀の「決意」に気が付いた者はいなかったという設定でした。

このころ信長は、近衛前久ら公家衆と茶会を開いていました。数多くの名器を披露して上機嫌だった様子が描かれました。

明智光秀の軍勢1万3000が亀山城を出たのはその日の申の刻。今の午後四時でした。光秀は、斎藤利三、明智秀満、藤田伝吾、溝尾茂朝らの重臣に「桂川に至れば、全軍に武装を改めさせ、火縄に火をつけ、全軍に触れさせよ」と命じ、「敵は本能寺にあり」と号令を発するのです。

信長と信忠の密談内容

6月1日夜。本能寺では、信長とその嫡男信忠が光秀のことについて語り合っていました。嫡男信忠(演・草見潤平)は父信長の光秀に対する仕打ちがきついとやんわり忠告します。

信長「光秀になにができるというのよ。きまじめだけが取り柄の気の小さい男じゃ。それが光秀のいいところでもあるが。四国平定についてもじゃ。光秀は土佐の長宗我部元親と手を組む手はずを進め、秀吉は阿波の三好を支援するようわしに進言した。じゃが、長宗我部元親は、わしの力を借りて四国を己の手中におさめたいだけじゃ。わしに臣従する腹なぞありはせん。秀吉の推す三好のほうがはるかに信じられる。光秀は人を見抜く目がないのよ」

信忠「父上が秀吉の推す三好を助けて四国を平定なさるご採決で長宗我部を父上にとりなしていた光秀はまた面目を失うことになります。それがさわりにならねばよろしゅうございますが」

信長「悪いものを悪いというてなにがいかん。しょせん光秀は秀吉の器にかなわんわ。光秀とて承知しておろう」「わしの手勢として光秀にも働いてもらわねばならぬが、中国四国が片付けば、天下もおさまろう。光秀も用なしじゃ。光秀はな、今でも毛利におる将軍義昭を担ぎ出そうとしておるそうな。ま、光秀のしかるべき仕置、いずれは考えねばなるまいの」

近年、「本能寺の変の動機」に関して有力視されつつある「信長の四国政策変換説」が大河ドラマで初めて言及されたやり取りになります。本能寺の変の動機に関しては、1990年代に活発に議論されるようになりましたが、1980年代は低調でした。『春日局』の放送は1989年。橋田寿賀子さんの慧眼、恐るべしです。

その「四国説」。明智光秀が取次役として密に連絡を取り合っていた長宗我部元親は、四国統一を目指していました。当初、信長は長宗我部による「四国統一」を是としていましたが、もともと阿波を本拠としていた三好一族が秀吉と通じて、巻き返しをはかります。信長はこともあろうに前言を翻したという「事件」になります。

これまでにない本能寺

亀山城を出発した明智軍が桂川をわたる際に、斎藤利三から全軍に下知が飛びます。

「これより我らが殿は今日より天下様におなりになる。我らが目指すは織田信長の首じゃ。敵は本能寺にあり」

勢いよく本能寺に突入する明智軍。

本能寺の内部では、「蘭丸、蘭丸!」という信長の声が響きます。

信長「これは謀反か いかなる者の企てぞ」

蘭丸「明智が者と心得ます」

信長「光秀か……是非に及ばず」

信長は矢を射て、雑兵の首に3矢目で弦が切れ、槍に持ち替えて応戦します。

奥殿に退いて、切腹をしようとする信長のもとに明智の兵が信長めがけて矢を射ますが、信長から返り討ちにあいます。

そこに斎藤利三と兵4人がやってきます。

信長「利三か」

利三「利三こちらにて控えております」

どうやら信長に静かに腹を切らせようとします。

敦盛を詠じる信長。ふすま1枚隔てただけの次の間で敦盛を聞く利三ら。これまでにない「本能寺」が描かれました。

炎に包まれて切腹する信長。信長が炎の中で果てたのを見計らい、ふすまがあけられ、兵が「みしるし頂戴いたします」と信長の骸に近づこうとしますが、利三が制します。信長の首を挙げなかったのは、本来大失態なわけですが、利三は合掌して信長の冥福を祈ります。

「信長さまの最期、利三見届けましてございます」と光秀に報告します。

ナレーション「天正10年6月2日、織田信長は、炎の中で自害して果てた。6月2日の未明から午前八時にかけてのわずか4時間ばかりで天下は大きく変わったのである」

後に、徳川家の大奥に入り、3代将軍徳川家光の乳母を務めることになる春日局。彼女が明智光秀重臣の斎藤利三の娘であることを強く印象付ける回になったのです。徳川2代将軍の正室はお江。本能寺で討たれた信長の姪に当たります。なぜそのような「人事」が行なわれたのか――。その謎を解き明かしながら、物語は進んでいくのです。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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