越前町織田信長像。

「本能寺の変」を扱った大河ドラマの中で、もっとも古い作品が1965年の『太閤記』です。信長役が高橋幸治、秀吉役が緒形拳。明智光秀は佐藤慶さんが演じました。

この作品での信長人気が凄くて、助命歎願がNHKに殺到、「本能寺の変」の回は当初8月末の放送を予定していたそうですが、10月までずれ込みました。2か月延びたという逸話が語り継がれています。現代なら考えられないスケジュールだったのかと思います。

『太閤記』は大河ドラマ3作目でした。最初期の頃の大河ですから、それ自体がもう「歴史」として扱われる対象のような気さえします。実は、『太閤記』の映像はほとんど残っておらず、残っている映像は公式には「本能寺の変」を扱った第42回のみといわれています。これはNHKオンデマンドで視聴可能です。

この回は、「天正10年6月2日。明智光秀が反逆の志を抱いて桂川をわたった。夜の白々明けである。桂川から本能寺まであと半時の道のりである」という『新日本紀行』のようなナレーションから始まります。本能寺の変は、光秀の反逆というのが大前提です。昭和40年の研究状況でしたら、反逆という前提もやむを得ないかと思います。

この回には注目のシーンがあります。明智軍が一本道を縦隊で行軍しているシーンです。今、あんなシーンを撮影することができる場所はなかなかないと思われます。本作は、ヘリコプターによる空撮を多用したことが知られています。おそらくこのシーンもヘリによる空撮だと思いますが、「戦国のリアル」を感じさせる名場面といえるでしょう。

その行軍中、当時37歳の佐藤慶さん演じる光秀が全軍に号令をかけます。「皆に伝えよ。我が敵は本能寺にある。敵の名は、織田信長」!!!

信長正室「濃(こい)」が本能寺に滞在

ここで場面が変わり、備中高松城攻め最中の羽柴秀吉の陣中で秀吉が石田三成(演・石坂浩二)に早朝にもかかわらず肩をもんでもらうシーンが差し込まれます。秀吉が「いまごろ上様はお目覚めかの」というや、本能寺の信長の寝所に転換します。すずめのさえずりで起床した信長。森蘭丸と朝のやり取りを交わします。蘭丸を演じるのは片岡孝夫さん。現在の十五代目片岡仁左衛門さんです。

信長の寝所には枕がふたつ並べられていて、どうやら同作では濃(こい)と呼ばれた信長正妻(演・稲野和子)が同宿していたという設定でした。

濃は信長より早くおきて、髪をすかしていました。信長と会話を交わすのですが、信長がやおら「人間50年、下天のうちをくらぶれば~」の幸若舞『敦盛』を詠じます。

「本能寺の変」を扱った大河ドラマが16作もあると、『敦盛』の扱いも様々です。『太閤記』のように光秀謀反を知る前に『敦盛』のシーンをしたり、亡くなる直前であったり。もちろん『敦盛』が出てこない作品も多いです。そうこうしているうちに、馬の蹄の音とともに明智軍先鋒が本能寺に到着します。

ここからのシーンが斬新です。光秀重臣の斎藤利三(演・高桐真)と進士作左衛門(演・小沢重雄)の台詞から再現しましょう。進士作左衛門が本能寺の門扉に手をかけようとした瞬間からの場面になります。

斎藤利三「待て」
進士作左衛門「なぜ止められる。斎藤殿は今になって気後れされたか」
利三「愚かなことをいわれるな。光秀さまをお諫めする時期はもう終わったのじゃ。今、わしは信長さまのみしるしを頂戴するまで二度と馬には乗って帰らぬつもりじゃ」
斎藤利三、門を二度叩き、
利三「門のうちに物申―す。門のうちに物申―す」
門番「誰か。何の用か」
利三「われら、丹波亀山の城主、明智光秀が軍勢1万3000の先鋒隊でござる。この度、信長さまの御仰せをいただき、中国へ出陣仕る途中、この寺に立ち寄り申した。われらが軍勢ご覧の上、お言葉を賜りたく存じ申す。門を開かれえ」
門番「明智殿か?」
利三「さよう」
門番「今、開け申す」
別の門番「待て、待て、待て。われらそのようなこと、先に承ってはおらん」
門番「では奥へ行って尋ねてまいろう。しばらくお待ちなされ」

門番に来訪を告げる「本能寺の変」というのは極めて珍しい展開です。信長を討つために本能寺に来ているにもかかわらず、門番に門を開けるように要請したのです。ここで、同じく光秀家臣が、利三を制して本能寺への突入をはかるという流れです。

歯を磨き、顔を洗う悠長な信長

この時、信長はといえば、「表で騒ぐ声がする」と小姓たちに尋ねますが、小姓らは、「表御門の番士たちが喧嘩でも始めたのではございませんか」と光秀謀反にまだ気づいていません。信長も、「塩は?」と言って、歯を磨き始めるなど、実に悠長な時間が流れ、危機感が感じられません。「本能寺の変」というより、「忠臣蔵」の討ち入りでも見ているかのようです。

この段階で信長は顔を洗っているわけですが、蘭丸が戻ってきて、「光秀さまの謀反でございます」と伝えます。それでも信長は「はははははははは。光秀はそんな馬鹿者ではない」と一蹴して、信じようとしません。実は、このシーンを塀越しに進士作左衛門が見ているわけです。

ここで進士作左衛門が放った矢が信長の右腕に刺さります。ようやく謀反が真実だということを知った信長は、濃姫と侍女に「女どもは逃げよ」と命じます。しかし、濃は「お手伝いをいたします」と本能寺にとどまることを決意します。

『太閤記』では、濃姫は一貫して「おこい」「こい」と呼ばれていました。演じたのは稲野和子という文学座の女優でした。「こい」も薙刀を手に戦おうとしますが、戦闘のシーンは出て来ず、亡くなってしまいます。

この時の蘭丸と信長の会話が切ないのです。

信長「お蘭、防ぎの人数は?」
蘭丸「はい。戦える人数は、35、6名にござりまする」
信長「光秀の軍勢は少なくとも1万は超えていよう。1万と35、6名。これはもう戦(いくさ)ではない」
蘭丸「はい」

蘭丸を演じていたのが片岡孝夫(当時。現十五代目片岡仁左衛門)。片岡さんは大河ドラマでは他にも『春の坂道』(1971年)で豊臣秀頼役、『新・平家物語』(1972年)で高倉天皇役、『元禄太平記』(1975年)で浅野内匠頭役、『太平記』(1991年)で後醍醐天皇役を演じています。

濃が、「光秀、なぜこのような愚かなまねをしたのであろう」「たとえ上様を討ったとしても天下の形勢が変わるものでもあるまい」「このようなこと。諫めて止める家来がいなかったのか」などと言います。この段階でようやく信長は弓をとり応戦します。三矢射ったところで、蘭丸に促されて奥へと向かうのです。

炎と白煙の中で、美し過ぎる自害

さて、ここで信長の自害が描かれます。白煙に包まれて自害する信長のシーンが印象的でした。蘭丸が次の間で正座で控えているのが涙を誘います。炎と煙の中で、切腹しようとする信長の回想が始まります。秀吉との出会いのとき、桶狭間での勝利のとき、小谷城からお市の方(演・岸恵子)が救出されたとき、安土城の天主で秀吉と過ごしたときなどです。おそらく桶狭間の合戦の前に舞ったと思われる『敦盛』も回想されました。

この時、信長が蘭丸に発した「余が焼けて灰になるまで敵に渡すな」というセリフが印象的でした。

大河ドラマで初めて描かれた「本能寺の変」。信長は炎と煙の中で切腹して果てます。

ナレーションは「このとき信長49歳」。回想場面は映像だけで流れるのみ。静かに厳かに信長の切腹が描かれたのです。

大原誠さん著の『NHK大河ドラマの歳月』(日本放送出版協会)によると、本作では、栃木県塩原で桶狭間合戦の撮影を中心に10日間、3月に川崎市、5月に塩原で長篠合戦を撮影、8月にも10日間長野県飯山市の北竜湖一帯で高松城水攻め、山崎合戦、賤ケ岳合戦のロケ撮影が行われたそうです。さらに、9月には本能寺表門、裏門、大廊下、本堂、中庭などを本建築並みのスケールで建てたことが記録されています。

ロケが多用できたのは、緒形拳、高橋幸治、石坂浩二などの主要キャストが、当時まだ無名だったので出演料が抑えられたからとも伝えられています。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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