
懐石料理をいただくと、大抵の場合、食前酒がついてきます。あらためて「食前酒」の意味を調べてみたところ、「食欲を増進するために食前に軽く飲む酒」(『デジタル大辞泉』《小学館》より)と書かれていました。しかし正直に申すと、「なるほど、食欲が増してきた」と実感したことが筆者はほとんどありません。作法だから、飲んでいるという感覚です。
飲食店に入って「何になさいます?」と問われたら、「とりあえずビール」という人は多いでしょう。けれど、その選択はいつも正しいとは限らず、もしかすると料理の美味しさを十分に引き出せていないのかもしれません。
ワインの取材を重ねるうちに、食事とアルコールの相性は思いのほか大切であることが少しずつ見えてきました。選ぶ酒によって、料理の味わいは変わるものです。
日本古来の食事には、「やっぱり日本酒が合う」と思う人も多いでしょう。この記事では、あえて「鮎の塩焼き」に合うワインを教えてもらいました。
「鮎の塩焼き」に合う一本は?
「鮎の塩焼きにおすすめするワインは、ロゼです」
そう話してくれたのは、京都で149年続く老舗ワイン商「ワイングロッサリー」の6代目、吉田まさきこさんです。今回、吉田さんが鮎の塩焼きに合わせて選んだのは、ドイツ・ファルツ地方の「フリードリッヒ・ベッカー プティ・ロゼ2024」。
「魚料理にロゼ」と聞くと、少し意外に思われるかもしれません。けれど吉田さんは、鮎は身だけでなく、内臓まで味わう魚だから、白ワインだけでは受け止めきれない魅力があるといいます。

鮎の身には白、内臓には赤。その間をつなぐのがロゼ
「鮎は魚ですから、普通に考えると白ワインが合うだろうと思いますよね。実際、身の部分だけを食べるなら白ワインが合うと思います。ただ、鮎の特別なところは、内臓まで食すこと。内臓の部分は、白ワインよりもむしろ赤ワインのほうが合うんです」
鮎の塩焼きは、頭、内臓、尻尾と食べる部位によって味わいを変えます。ほろりと柔らかい身には白ワインの爽やかさがほしくなる一方で、内臓のほろ苦さや旨みには、もう少し厚みのある赤ワインの要素がほしくなる。吉田さん自身、鮎を食べながら、「では、そんな味わいを持つ鮎を一本のワインで合わせるなら何がいいだろう?」と考えたといいます。
白でもなく、赤でもない。その中間にあるロゼだからこそ、鮎という魚の二つの顔を受け止められる。今回の一本は、そんな発想から選ばれました。
なぜ「フリードリッヒ・ベッカー プティ・ロゼ」なのか?
吉田さんによれば、ロゼワインには白ワインのように軽やかなものもあれば、赤ワインに近いしっかりしたものもあり、味わいの幅はとても広いといいます。その中で、この「フリードリッヒ・ベッカー プティ・ロゼ2024」(以下、プティ・ロゼ)はちょうど中間にあるタイプです。
「プティ・ロゼは赤ワインの旨みを残しつつ、白ワインのような爽やかさも兼ね備えています。ですから、鮎の塩焼きのように、『白が欲しい、でも赤も欲しい』という料理にすごく合うんです」
鮎の持つほのかな青さや川魚らしい爽やかさには、きりっと冷えたロゼがよく合います。時間が経つにつれて、プティ・ロゼの温度が少しずつ上がると、今度はベリー系の華やかな香りが立ち、赤ワインのような表情も見せてくれます。
鮎の柔らかい身から内臓の濃い旨みへと食べ進める流れに、ワインの表情の変化がちょうど重なる。そこが、プティ・ロゼの面白さなのです。
フランスとの国境にまたがる、特別な土地
プティ・ロゼが造られるファルツ地方は、ドイツ南西部とフランスの国境に接する地域です。中でもフリードリッヒ・ベッカーの畑は、国境をまたいで広がっていることで知られています。

醸造所のあるシュヴァイゲン村は、歴史の中でたびたび戦火に見舞われた場所です。1871年までと1918年から1940年まではフランス領、1945年以降はカナダ占領軍統治下にも置かれました。
こうした複雑な背景から、フリードリッヒ・ベッカーの畑は30%がドイツ、70%がフランスのアルザス側にあります。
1955年に結ばれた独仏両国の特別な取り決めにより、フランス側の畑で収穫した葡萄を使っていても、醸造所がドイツ側にあれば、ドイツワインとして販売できます。そのため、フリードリッヒ・ベッカーのワインもドイツワインとして世に出ているのです。
国境沿いならではの土地の個性も、このワインの大きな魅力のひとつだといえるでしょう。

甘口ワインの時代に、辛口で勝負した反骨心
いまやフリードリッヒ・ベッカーはドイツを代表する名手ですが、その出発は決して平坦なものではありませんでした。
「昔のファルツ地方は高級ワインの産地というよりは、甘くて安いワインをたくさん作っていた地域でした」(吉田さん)
第二次世界大戦後、焼け野原となった村の復興を支えたのは協同組合で、その中心にいたのがベッカー家でした。当時は甘口ワインが売れる時代で、協同組合の主力も貴腐ワイン。しかし、フリードリッヒ・ベッカーさんは、その流れに乗るのではなく、「ここはもっといいワインができる土壌がある」と信じ、自らが愛するピノ・ノワールに賭けて1973年に協同組合から独立しました。
周囲の猛反対を押し切っての出発だったといいます。
そのとき、周囲からは「酸っぱくてまずい葡萄」とまで評され、激しい非難を浴びたそうです。それでも情熱を持って努力を重ね、独立から約20年でドイツのピノ・ノワールのトップドメーヌ(※ぶどう畑を所有し、ぶどうの栽培からワインの製造まで一貫して行う生産者のこと)となりました。今ではドイツ最高峰のワインガイド『ヴィヌム』や『フォルスタッフ』でも、最高評価を得ています。
2025年2月にフリードリッヒ・ベッカーさんが逝去し、現在は息子のフリッツ・ベッカー(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッカー)さんがワイナリーを継承。父親が築いたドイツ最高峰シュペートブルグンダーのスタイルを受け継ぎながら、近年はシャルドネでも高い評価を獲得しています。

「このラベルは、イソップ寓話の『酸っぱいぶどう』をモチーフにしているんです」と吉田さん。
周囲から「酸っぱいワイン」と揶揄されたことを受け、その皮肉を込めて「酸っぱい葡萄」のキツネをラベルにしている。

「レスリング選手のように大柄な体格の持ち主ですが、造るワインはとても繊細です」と吉田さん。
日本に来ると、必ずラーメンを食べるという。
鮎の内臓を食べないなら、白ワインでもいい
もし鮎の内臓を食べないのであれば、吉田さんは白ワインも十分に合うと言います。
「その場合は、ソーヴィニヨン・ブランのような、少し青っぽいハーブの香りがある品種を選ぶといいと思います」
鮎に蓼酢(たです)を添えるような青く爽やかな香りとの相性を考えれば、白も合うとのこと。内臓も食すならロゼ、身だけを食す場合はソーヴィニヨン・ブランと覚えておくと、鮎の塩焼きを一層美味しく召し上がることができるでしょう。
「鮎の塩焼き」との相性を「萬亀楼」若主人がテイスティング
さて、吉田まさきこさんが選んだ「フリードリッヒ・ベッカー プティ・ロゼ 2024」は、「鮎の塩焼き」とどのように響き合うのでしょうか?
享保7年(1722)に創業し、有職料理の伝統と雅な京文化を今に伝える「萬亀楼」の若主人・小西雄大(こにし・たけひろ)さんに、実際にテイスティングしていただきました。


写真は、嵐山を流れる清滝川。
「白では収まりきらないところを、ロゼが受け止めてくれる」
ロゼワインを口にした小西さんは、鮎との相性について、次のように話してくださいました。
「鮎は身だけなら白ワインがよく合うと思います。ですが、頭から内臓まで丸ごと味わうとなると、白だけでは少し物足りないですね。その間を埋めてくれるのが、ロゼなのだと感じました」

蓼酢の爽やかさ、鮎の内臓のほろ苦さ、そして炭火の香り。こうした要素が重なる一皿に対して、プティ・ロゼは軽やかすぎず、重たすぎず、ちょうどその中間で寄り添ってくれる。小西さんの話からは、そんな印象が伝わってきます。
吉田さんも、内臓まで食すのであればロゼが合うと話していましたが、その見立ては、若主人の小西さんの舌でもしっかり裏づけられました。
炭の積み方ひとつで、鮎の仕上がりは大きく変わる

また、活け鮎の場合、尾やひれへの化粧塩はしない。

焼いてくださったのは、板前の佐藤航(さとう・わたる)さん。
小西さんによれば、鮎の塩焼きは焼き台の炭の積み方からすでに勝負が始まっているといいます。
「鮎は頭側の方が骨が強いので、頭側の火力が強くなるように意識しています。反対に、尻尾側は身が薄いので、火が強く当たりすぎると焼けすぎたり焦げやすくなってしまうので、気を遣っていますね」
頭と尻尾で火の当て方を変え、うちわであおぐ角度や距離、風量を変えながら、全体が均一においしく焼き上がるようにする。こうした細やかな仕事があってこそ、鮎は一匹の中でさまざまな表情を見せてくれるのです。

さらに鮎は、10分ほどかけてじっくりと焼きます。
「急いで焼くと、表面だけ焼けて中まで火が入らず、口の中に骨が残ってしまうんです」と小西さん。
最初は火力を上げて魚体を固め、その後少し火を落として芯まで火を通し、最後に炭の香りをまとわせる。皮はぱりっと、中は柔らかく、そこへ骨の食感と内臓の苦みが重なるよう、焼きの工程そのものが緻密に組み立てられています。

鮎の塩焼きは、炭の香りをまとって初めて完成する。

「嵐山の鵜飼が鮎を獲る姿を描写しています」と小西さん。
「鮎の塩焼きは、頭から食べると三段階くらい味が変わる」
「鮎は頭から食べるのが面白い」と小西さんは言います。
「頭の味、内臓の味、それから尻尾のぱりぱり感。それぞれの味わいは違うんです。全部食べると、『鮎を一匹いただいた』という感じがしますね」
鮎を頭から丸ごと味わうことで、皮の香ばしさ、身の柔らかさ、内臓のほろ苦さ、尻尾の食感まで、順に移ろっていく。その変化が、鮎という魚を食す醍醐味でしょう。さらに「内臓ごと食べることで初めて立ち上がる鮎らしい香りもあるんですよ」と小西さんは教えてくれました。
鮎の塩焼きには、蓼酢も添えられます。萬亀楼の蓼酢は、一般的なものよりもやや濃く、どろっとした仕立てです。
「一般的な蓼酢は、蓼を刻んで酢に放つくらいのスタイルが多いんですが、うちはそこにお酢と重湯、つまりお粥をペーストにしたものを入れています。重湯を入れることで、蓼の葉の香りが重なり、鮎の内臓の味わいにもよく合うんです」(小西さん)

家庭で鮎の塩焼きを買ってきたときの楽しみ方
この時期になると、スーパーなどの鮮魚コーナーでは、鮎が売られるようになります。すでに焼き上がった鮎の塩焼きを買ってきた場合も、少し手をかけるだけで、ぐっと美味しく楽しめるそうです。
小西さんが教えてくれた温め方は、まず購入してきた鮎をアルミホイルで包み、少量の水か酒を加えてフライパンで蒸し焼きにするというもの。全体が温まったら、今度はフライパンに少量の油をひき、皮目のみを香ばしく焼きます。このひと手間を加えることで、皮は香ばしく、身はふっくらと仕上がります。
「さらに骨は取り外してから召し上がっていただく方が、より食べやすくなりますよ」と小西さん。
また、自宅でできる蓼酢の作り方もお聞きしました。
「蓼の葉っぱを刻んで、お酢に入れるのが一番早いと思います、それで充分です。もう少し凝るのであれば、フードプロセッサーを使うのもいいですね。
もし、蓼の葉が手に入らなければ、胡瓜(きゅうり)をすりおろして酢・醤油などと合わせた『胡瓜酢』を作れば、蓼酢の代わりとして楽しめます」
自宅で炭火焼きにするのは難しくても、鮎に蓼酢を添えるだけで、その魅力はぐっと高まります。こうした一工夫を知るだけでも、家庭で鮎を味わう楽しみは一層広がりそうです。

竹籠の花入れには、ホタルブクロが生けられていた。
萬亀楼で生ける花は、すべて10代目当主の小西将清(こにし・まさきよ)さんが丹精込めて育てている。
最後に
目の前で生簀から取り出された鮎を金串でうねり打ちし、炭火で焼かれていく「鮎の塩焼き」をいただいたのは初めてでした。『日本書紀』にも登場する鮎は、日本の建国神話にも関わる特別な魚です。
「萬亀楼」は、御所の節会で供される有職料理の伝統を今に伝承している、日本で唯一の料亭。器、しつらい、焼きの所作、盛り付けに至るまで、どこか有職料理の作法を感じさせてくれました。
その萬亀楼において調理された鮎の塩焼きを食すことは、他の料亭では味わえない雅さがあります。
プティ・ロゼは、そんな萬亀楼の鮎料理の美味しさをさらに引き出してくれる一本でした。この夏、今度は仕事抜きでゆっくりと鮎とロゼを味わいに行きたいと思います。

■萬亀楼
住所:京都市上京区猪熊通り出水上ル蛭子町387
TEL:075(441)5020
営業時間:昼12:00~15:00、夜17:30~21:30
定休日:毎週水曜日、第1・第4火曜日(予約状況によって変更の場合有)、12月26日〜1月5日
HP:https://www.mankamerou.com

●ワイン監修/吉田まさきこ(ワイングロッサリー代表取締役社長)

ワイングロッサリー代表取締役社長。J.S.A.認定ソムリエ、シャンパーニュ騎士団公認 オフィシエ(将校)、アルザスワイン騎士団公認 シュヴァリエ(騎士)。
大学卒業と同時にワインの世界に足を踏み入れ、ヨーロッパを中心に世界各国のワイン生産地数十回以上訪問。特にブルゴーニュ、シャンパーニュ、アルザスでの滞在が長く、得意分野としています。
過去のワイン講師歴は、合計200回以上、延べ4000人の受講者を数えます。HP:https://kyoto.winegrocery.com Instagram:@winegrocery_official
●取材・執筆/末原美裕

ワイン初心者がプロフェッショナルからの教えを受けながら、取材を通して、一つ一つワインの知識を積み重ねていく過程を記事にしている。和食の一品とワインの至高のペアリングをソムリエ・料理人とともに検証する過程を描く。記事を読んでいる方とともにワイン通を目指します。
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●撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)











