文・写真/市川美奈子(海外書き人クラブ/台湾在住ライター)

2025年、台湾映画界最高峰の映画賞である金馬奨(Golden Horse Awards)で最多11部門にノミネートされ、さらに最優秀作品賞・最優秀脚本賞・最優秀美術賞・最優秀衣装デザイン賞の4部門を受賞し大きな注目を集めた映画が、2026年5月8日、日本に上陸する。その映画の中国語タイトルは「大濛(A Foggy Tale)」、日本語タイトルは「霧のごとく」。

「1秒先の彼女」などで知られる陳玉勳(チェン・ユーシュン)監督の作品。

白色テロにより反政府分子として捕らえられた兄が台北で処刑されたと知った少女・阿月(アグエー)は、故郷の嘉義から、なけなしの金と兄の形見の時計を手に、遺体を引き取るため一人台北へ向かう。

「霧のごとく」劇中写真。阿月(アグエー)を演じるのは「天才女優」との呼び声が高い方郁婷(ケイトリン・ファン)。

しかし遺体を引き取るには高額な手数料が必要で、途方に暮れてしまう。怪しい男に騙され、遊郭に売り飛ばされそうになったその時、彼女を救ったのは人力車の車夫・趙公道(ザオ・ゴンダオ)だった。

「霧のごとく」劇中写真。趙公道(ザオ・ゴンダオ)と阿月(アグエー)。

中国・広東出身の公道は、国民党軍の元軍人として台湾に渡って以来、故郷へ帰ることもかなわず、その日暮らしの生活を送っている。白色テロで軍の仲間を喪い、人生に行き場を見いだせずにいた彼は、阿月の想いに心を動かされ、手を差し伸べることを決意する。先の見えない時代の激流の中で出会った二人の運命が大きく動き出していく……。

本作では、多くの市民が反政府と疑われ逮捕・処刑された「白色テロ」の時代を真正面から描いている。

白色テロとは権力者が自らの支配を維持するために行った恐怖政治のこと。台湾における白色テロは、1949年5月20日の戒厳令施行から、国家暴力の法的根拠となった「懲治叛乱条例」が廃止される1991年6月3日までの42年にわたる弾圧や言論統制などを指す。なお、1949年から1987年までの38年間、台湾では戒厳令が敷かれていた。これは世界史上最も長く続いた戒厳令である。

「霧のごとく」は、個人の物語としてはフィクションだが、ある時代の記憶としてはノンフィクションだと言えるだろう。白色テロの犠牲となったある一家に焦点を当てることで、この時代に満ちていた緊張感や欺瞞、そしてその先にある希望と再生を描いている。だが驚かされるのは、白色テロ時代の描写について「実際にはもっとひどかった」という声があることだ。

この時代、台湾では一体どんなことが起こっていたのか――当時の社会の様子は、台湾東部の「緑島(りょくとう/リューダオ)」で知ることができる。

かつての流刑地「緑島」とは

緑島は、台湾本島の東海岸沖約33kmの太平洋上にある火山島。自転車で1時間ほどで一周できてしまう小さな島だ。行政区分としては台東(たいどん)県に位置する。

かつてここには、政治犯や思想犯が収容されていた。つまりここは「流刑地」だった。

台東市から緑島までは、19人乗りの小型飛行機と船が出ている。飛行機だったら15分、船だったら1時間。上空から見る島や周辺の海は息を呑むほど美しく、流刑地という響きとは、にわかには結び付かない。

上空からの緑島とその周辺。海の色が鮮やかだ。

緑島周辺には世界一と言われるサンゴの群生地があり、ダイビングのメッカとしても有名だ。このため緑島を訪れる観光客は、台湾の近代史に興味がある人と、マリンスポーツ愛好家とに二分される。島内の民宿では、台湾の近代史に関する本を熱心に読んでいる青年の隣で、タンクトップに短パンの男女のグループが翌日のダイビングの計画を練っている。属性が異なる観光客同士が島内で交錯する、不思議な島だ。

島の西側、つまり台湾本島に面した側には民宿やレストランが多い。
周辺の海域では多くの珊瑚や熱帯魚が見られる。(写真提供:台東観光旅游網)

白色テロの時代について言及する上で、どうしても欠かせない場所がある。島内北部にある、通称「緑洲山荘(りょくしゅうさんそう)」。正式名称は「緑洲山荘国防部緑島感訓監獄」だ。「山荘」という呼称は名ばかりで、実際には監獄だった。1972年に完成した緑洲山荘には、台湾各地の軍事監獄で服役していた政治犯や思想犯がまとめて移送され、感化教育と思想改造が進められた。

緑洲山荘から道路を挟んで向かい側。いまも残る「緑洲山荘」の文字。

装飾がほぼ皆無な、無機質なコンクリート壁の建物。四面を高い塀に囲まれており、なかなかの圧迫感がある。敷地内の至るところに、感化教育のための愛国スローガンがペイントされている。

威圧感のある構え。
感化教育のための愛国スローガン。(写真提供:台東観光旅遊網)

緑洲山荘は1987年まで監獄として使用され、2018年5月からは「国家人権博物館 白色テロ緑島紀念園区」の一部として一般公開されている。観光客が入場できるようになったいまでも、たやすく人を寄せ付けないものものしさを宿している。

中に足を踏み入れてみると、ここが監獄だったことを示す資料の多さに圧倒される。

獄舎は放射状に4棟に分かれており、雑居房、独居房、懲罰房など、合計113の部屋があった。最も多い時には約500人が収容されていたという。1部屋に10人以上が収容されていたこともあり、1人あたりが使えるスペースは1畳以下であった。収容は長期間に及ぶことも多く、これまでに最も収容期間が長かった受刑者は、1950年から1984年までの34年7か月もの歳月を緑洲山荘などの監獄で過ごしたという。

建物は放射状に4棟に分かれている。ここは第3棟の入り口。
当時の雑居房の様子が再現されている。

緑洲山荘にまつわる事件で台湾の人々に鮮烈に残っているのは、1979年12月10日に起きた「美麗島事件」だろう。雑誌『美麗島』が台湾の民主化を求めて主催したデモ活動が警官と衝突し、中心人物複数人が厳罰に処され、投獄された。当時緑洲山荘に収容されたメンバーの中には、のちに副総統になった呂秀蓮(りょ・しゅうれん)や、台湾南部最大の都市・高雄市の市長になった陳菊(ちん・きく)などもいた。

美麗島事件がひとつの契機となって結成された政党がある。それが民主進歩党だ。民主進歩党は、2000年の選挙で台湾史上初の政権交代を実現し、半世紀にわたる中国国民党の一党独裁に終止符を打った。その後、政権を明け渡した時期もあったが、2016年からは3期連続で政権を担っている。

平坦ではなかった民主の道

英国「エコノミスト」誌の調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)の「2025年民主主義指数」(Democracy Index 2025)の調査によると、台湾の民主指数は、調査対象であった167の国と地域のうち15位。最高ランクである「完全なる民主主義」(Full democracy)だと評価されている。

いまではアジアトップクラスの民主主義指数の高さで知られる台湾だが、台湾がそのような姿になったのは、1990年代に入ってからだ。まだ40年も経っていない。

この時代を「歴史」という一言で括ってしまうには、あまりにも早すぎる。

自由と民主の道を、自らの手で切り開いてきた台湾。だがその道のりは決して順風満帆なものではなく、並々ならぬものだった。

「霧のごとく」は、まもなく日本で上映される。この映画を見ながら、台湾が歩んできた道のりに思いを馳せてみては。

「霧のごとく」劇中写真。阿月(アグエー)と兄。

<映画「霧のごとく」>
監督・脚本:チェン・ユーシュン
キャスト:ケイトリン・ファン、ウィル・オー、9m88、ツェン・ジンホア、リウ・グァンティン、ビビアン・ソン
2025年/134分/台湾/原題:大濛/カラー/配給:JAIHO/Stranger
(C)  2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved.
公式HP:https://www.afoggytale.com
公式X:@afoggytale

【緑島へのアクセス】

台北松山空港から台東空港まで飛行機で約1時間、台東空港から飛行機(徳安航空)で約15分。緑島到着後は電動バイクの利用が便利。
電動バイクはオンラインの旅行会社KKdayなどで事前予約ができる。14歳以上であれば日本人でも免許不要で運転可能だ。
交通アクセス:https://www.eastcoast-nsa.gov.tw/greenisland/ja/tour/traffic

島の周辺にはエメラルドグリーンの海が広がる。
島の北西にある緑島灯台。緑島のランドマークだ。(写真提供:台東観光旅遊網)

文・写真/市川美奈子 (台湾在住ライター)
民間企業、外務省外郭団体などの勤務を経て、2023年4月から行政機関の職員として台湾に駐在。早稲田大学第一文学部卒。台湾の奥深さに魅了され、台湾各地のさまざまな街を旅行&取材。訪れた先々で、その土地ならではの美食を堪能するのが楽しみ。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の会員。

 

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