人の顔には、それぞれの人生が刻まれる… そんな風に表現されることがあります。若さの輝きは時間とともに落ち着いていくものですが、経験や体験、積み重ねた仕事、乗り越えてきた出来事は、その人ならではの表情として滲み出ます。いわば「渋み」のある魅力です。
そして不思議なことに、そうした人が口にする言葉には、簡単には消えない重みがあります。今日ご紹介するのも、そんな時代を越えて残ってきた一文。あなたの毎日に、静かな力をくれるかもしれません。
今回の座右の銘にしたい言葉は「知足安分」(ちそくあんぶん) です。

「知足安分」の意味
「知足安分」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「満足することを知らないと、どんなに豊かであっても安らぐことがないということ。置かれている状況を自分に見合ったものとして不平不満を抱かないこと」とあります。
「足るを知り、自分の分を安んじる」という意味を持つ四字熟語です。
「知足(ちそく)」は「足りることを知る」、「安分(あんぶん)」は「自分の置かれた立場や分(ぶん)に満足する、安らかに受け入れる」ということ。
ひとことで言えば、「今あるものに感謝し、身の丈に合った暮らしを大切にする」という心の姿勢です。現代社会では、常に「もっと上へ」「もっと多く」と求め続けることが美徳のように語られることもあります。しかし、人生の後半を生きるにあたって、この「知足安分」の精神は、むしろ本質的な豊かさへの道しるべになるのではないでしょうか。
「もっと」を追いかけるのではなく、「今ここ」に目を向ける。それが「知足安分」の教えです。
「知足安分」の由来
「知足安分」の思想的な根っこは、中国の古典にあります。
特に「知足」という言葉は、老子(ろうし)の思想と深く結びついています。老子の著書『老子道徳経』には、こんな言葉があります。
「知足者富」(足るを知る者は富む)
何を得たかではなく、今あるものに満足できるかどうか。それが本当の豊かさだ、という考え方です。
「安分」については、儒教的な「分を守る」という考え方とも重なります。自分の立場をわきまえ、それに満足して生きることが、結果として心の平和につながるという教えです。
この二つが組み合わさった「知足安分」は、日本でも江戸時代以降、武士や庶民の生き方の指針として広く親しまれてきました。質素であることを美徳とし、精神的な豊かさを大切にする日本文化とも、とても相性のいい言葉です。京都の龍安寺にある有名なつくばい(手水鉢)には、「吾唯足知」(われ、ただ、たるをしる)という四文字が刻まれていますが、これも同じ精神を表したものです。

「知足安分」を座右の銘としてスピーチするなら
「知足安分」を座右の銘としてスピーチするときには、「なぜ自分がその言葉を大切にしているのか」という個人的なエピソードや気づきを交えることが重要です。
また、「知足安分」はともすると「もう成長を諦めた」というネガティブなニュアンスで受け取られかねないため、「前向きな心の平穏」であることを強調しましょう。以下に「知足安分」を取り入れたスピーチの例をあげます。
これからの人生を語るスピーチ例
私の座右の銘は、「知足安分」という言葉です。
若い頃の私は、仕事でもプライベートでも、常に「もっと上へ、もっと多く」と、手の届かないものばかりを追い求めて走ってきました。もちろん、その向上心が自分を成長させてくれた側面もありますが、同時に、他人と比べて落ち込んだり、いつも何かに焦っていたりしたように思います。
しかし、50代を過ぎ、これからの人生をどう生きるかと考えた時、ふと「もう十分にいろいろなものを手に入れているのではないか」と気づいたのです。
温かい家族がいて、時々こうして集まれる友人がいて、美味しいご飯が食べられる健康な体がある。この「知足安分」、つまり「足るを知り、自分の境遇に満足して心穏やかに生きる」という言葉に出会った時、スッと肩の荷が下りたような気がしました。
これは決して「これ以上頑張らない」という諦めではありません。今ある幸せにしっかりと目を向け、感謝することで、明日を生きるための新しいエネルギーを満たしていく。そんな前向きな生き方だと捉えています。
これからの人生は、むやみに外に何かを求めるのではなく、今ここにある豊かさをしっかりと味わいながら、穏やかで笑顔の絶えない時間を重ねていきたいと思っております。
最後に
「知足安分」という言葉は、決して「現状に甘んじなさい」という教えではありません。
今あるものに目を向け、それを大切にしながら生きていく。その姿勢の中にこそ、本当の豊かさがある…という、人生の知恵です。足りないものを追いかけ続けると、心はいつまでも休まりません。けれど、今あるものに目を向け、自分の分を受け入れた時、人はようやく静かな豊かさに気づくのです。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com











