映画『陰陽師0』(おんみょうじぜろ)は、夢枕獏のベストセラー小説『陰陽師』シリーズを原作に、主人公・安倍晴明(あべのせいめい)の若き日を描いたオリジナル作品。監督・脚本を務めたのは、ドラマ『K-20 怪人二十面相・伝』『アンフェア』シリーズなど多くの人気作品を手がけてきた佐藤嗣麻子(さとうしまこ)さんだ。夫である映画監督・山崎貴(やまざきたかし)さんの作品『ゴジラ-01』でアカデミー賞・視覚効果賞を受賞した「白組」がVFXを担当している。
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1200年前の遺構を再現
映画の舞台は約1200年前の平安京だ。平安京は中国を始源とする制度「都城制(とじょうせい)」に基づき建築された最後の都市。794年(延暦13)から1869年(明治2)まで続き、その後、現在の京都市街地が形成される。
この1000年以上も昔の平安京を、米アカデミー賞を受賞した「白組」が3DCG(3次元コンピューター・グラフィックス)で再現。過去の様々な文献や資料をもとに、当時の建物や街並みを見事に映像化している。
とくに焼失し現存していない平安京の宮城門「朱雀門(すざくもん)」と、帝の居城である京都御所「清涼殿(せいりょうでん)」は、佐藤監督がどうしても作品に登場させたかった場所。共に映像作品としてビジュアル化したのは史上初めてのことだという。
「朱雀門は奈良にある復元された朱雀門をドローンで撮影し、3DCGで再建しました。奈良・平城京の朱雀門は扉が3つですが、京都・平安京にあった朱雀門は扉が5つ。ですので忠実に扉を5つに増やしています。帝の居城である清涼殿は京都御所に出向いて取材を重ね、地図などで計測しながら映像化しました。清涼殿内部はセットで背景はCGです。テレビドラマですとスタジオの広さの関係で、どうしても室内が狭くなってしまいますが、今回の映画では実際の広さが出せたと思っています」
作品に華を添える斎王・徽子女王
映画では実在した皇族の女性で「斎王(さいおう)」となった徽子女王(よしこじょうおう/929‐985)がヒロイン役として登場する。斎王とは天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた未婚の皇族女性のこと。660年以上続き、60人以上の斎王が存在。その中に徽子女王もいた。
「徽子女王は、三十六歌仙(和歌の名人36人)であり、琴の名手としても有名な女性だったのでヒロインに選びました。ならば、いとこである楽の天才、博雅とは面識があっただろうと考え、帝と博雅と徽子女王の三角関係のストーリーを作りました。時代設定も徽子女王が帝の元へ行く948年を舞台にしています」
「徽子女王は19歳の設定です。斎王というのは皇族の姫がなるのですが、幼い頃に親元を離れて一度伊勢に行くと基本、帰ってこれません。両親の愛情を一身に受けなければいけない時期に親元を離れてしまって、多分、心の傷がトラウマになっていると思います。歴史的な資料では孤独で寂しい人のようでしたので、映画の中ではそのトラウマも乗り越えて解放され、映画の中で唯一、悟りを開いたような存在にしています。そうすれば、今度、どんな悲しい出来事があっても、心の中は幸せで平和だったと思えるからです」
斎王の歴史的背景がわかると、さらに映画が楽しめる。
映画を彩る平安装束の美学
作品の制作にあたり、佐藤監督が特にこだわったのが衣装だという。十二単衣(じゅうにひとえ)や束帯(そくたい/天皇などが公事の際に着た正式の服装)などの着付けを伝える「衣紋道(えもんどう)」を習い、日本を代表する衣装デザイナー・伊藤佐智子さんと衣装作りに取り組んだ。
「衣紋道で着付ける人のことを『衣紋者(えもんじゃ)』と言います。通常は前衣紋者と後衣紋者の二人で着付けます。衣を傷つけないように爪を短く切り、前衣紋者はずっと膝立ちで着付けをするので膝が痛くなります。衣紋道を少しかじったことで、撮影時に徽子女王の袴の紐がほどけた時など、ほぼ私が直していました(笑)」
衣紋道が始まったのが平安後期。この頃から衣服は糊付けされて硬く重く一人では着れない装束(しょうぞく/皇族・貴族の衣服)になったという。一方で、それより約150年も前の平安中期は、誰でも一人で着ることができる軽い、柔らかい素材で作られていたそうだ。本作品ではできる限り当時のものを忠実に再現している。
「徽子女王が着る細長は、着付けを習いにいった所にあったものを参考にしています。十二単というのは女官などの制服で、姫は着ません。なので、姫には細長を着せました。普通は結婚式の時などに着る晴れ着で、心を寄せる博雅に会うときにおめかしをしていたという設定です」
今回の映画で着用しているのは夏の装束である。夏の単袴(ひとえばかま/裏地のない袴や上着)は位の高い人ほど裸に近く重ね着をしなかったようだ。絵巻物には女性のバストが出ているような着方もよく描かれている。
「夏の装束の普段着は単袴に紗(しゃ)を羽織っているスタイルで、透けて肌が見えている絵巻物もたくさんありました。さらにこの時代はまだ下着がありませんでしたので、忠実に表現すると胸が出てしまいます。ですので、映画での徽子女王は単袴を胸の上まで上げて隠しています。これは、溝口健二監督作品の『新・平家物語』からヒントを得ました」
安倍晴明や陰陽寮の学生達が着ている装束は「狩衣(かりぎぬ)」という男の公家が常用した略服だ。本作品では軽やかな素材の着物を着崩している様子が描かれている。
「平安中期の装束の素材は絹と苧麻(ちょま/麻の一種)が主流で、平民である陰陽寮の学生達は苧麻の狩衣にしました。狩衣の肩の縫い位置は、最初、歴史に忠実な位置で作ったのですが、アクションをすると取れてしまうという現象が起こり、通常の狩衣よりは前に縫い付けてあります」
晴明の狩衣はアクション用は麻、アクション以外のところでは高野山の霊木を素材にした布「樹木布(じゅもくふ)」で作られている。樹木布は自然災害で倒れたり森林保全のために間伐されたりした杉や檜を繊維にしたものだ。
最後に-
「夢枕獏さんの小説『陰陽師』を最初に読んだ時、『闇が闇であった時代』という文章にしびれました。19歳から獏さんのSFファンの集に参加し親交を深め、35年前に獏さんから『いつか映画化してほしい』と頼まれ、その約束をようやく果たすことができました。本作品は、現在のSNSなどで広がるフェイクニュースを『呪』に置き換えて、偽情報や思い込み、人の心を操ることなどが、大きなテーマになってます。『平安時代はこうである』という先入観の呪(しゅ)を祓ってから見ていただけると嬉しいです」
映画の背景にある歴史を知るとより楽しめる『陰陽師0』。現在、大ヒット公開中だ。
佐藤嗣麻子
1964年生まれ。岩手県出身。映画監督、脚本家。ロンドン・インターナショナル・フィルム・スクールにて映画制作を学ぶ。監督作品に『ヴァージニア』(93)、『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(95)、『K-20 怪人二十面相・伝』(08)、『アンフェア the answer』(11)、『アンフェア the end』(15)など。脚本に『SPACE BATTLESHIPヤマト』(10)、『独身貴族』(13)、『ハイエナ』(23)など。
夢枕獏
1951年、神奈川県生まれ。小説家。『陰陽師0』の原作者。77年にデビュー。以後、『キマイラ』『闇狩り師』『陰陽師』などのシリーズ作品を発表。89年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、98年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞など数々の賞を受賞。雑誌『BE-PAL』(小社刊)2024年8月号より『古代史を遊ぶ・忘竿堂主人 伝奇噺』新連載スタート。
『陰陽師0』
陰陽寮の学生である安倍晴明(山崎賢人)。誰とも打ち解けない彼に、貴族の源博雅(染谷将太)が依頼を持ち込む。それは皇族の女性を悩ませている怪奇現象を解決してほしいというものだった。やがて晴明は、博雅とともに謎の解明に乗り出す。
脚本・監督:佐藤嗣麻子
出演:山崎賢人、染谷将太、奈緒、安藤政信、村上虹郎、板垣李光人、國村隼/北村一輝、小林薫
2024年4月19日(金)より全国公開。ワーナー・ブラザース映画配給。(C)2024映画『陰陽師0』製作委員会
※山崎賢人の崎は「たつさき」が正式
取材・文/松浦裕子