8万社ともいわれる日本の神社のなかで、もっとも多いのは八幡様を祀(まつ)る神社であるが、その次がキツネを祀るお稲荷さんだ。それにしても、いったいどんな神様だろうか。
お稲荷さんはその字が示すように、稲の豊穣を守る神様だ。「稲(い)生(な)り」がその語源という。
稲のような食物を司る神を古くは「御饌津神(みけつがみ)」と言った。この神名に「三狐神(みけつがみ)」の字をあてたので、いつしか狐が稲荷神の使いになったという。
じつはこうした伝承はいくつもあって、狐は穀物を食べる野ネズミを襲うので、狐が稲の守り神になったともいう。
他にこんな説もある。
稲荷神社の総本宮は京都市伏見区にある伏見稲荷大社。かつて、と言っても2000年以上も昔、伏見の地には狩猟民たちがいた。そこへ朝鮮半島から稲作の先端技術をもった秦さんという人たちが入植してきた。
狩猟民たちは山の狼(おおかみ)を神の使いとしていたが、稲作の定着とともに狼は山に追いやられ、代わりに里にすむ狐が稲の神の使いとなったという。
北から南まで稲作文化が定着した日本列島、稲と狐との関係はますます強くなった。では狼はその後どうなったのか。
オオカミ信仰はかつて日本各地に点在していた。オオカミは人間を襲う獰猛(どうもう)な動物だが、同時に農作物などを食い荒らす野生動物も襲うので神聖視されるようになった。
しかし、稲作の発達によりオオカミ信仰はキツネの稲荷信仰(いなりしんこう)に取って代わられた。
オオカミ信仰といえば、いまは埼玉県秩父郡の三峰神社(みつみねじんじゃ)や東京奥多摩の大嶽神社(おおだけじんじゃ)などが名高い。祭神は大口之真神(おおぐちのまがみ)、たんに真神ということもある。大嶽神社のオオカミ像は非常にシンプルで、ペット犬のような愛らしさがある。
オオカミ信仰をいわば理論化したのは、山奥で厳しい修行をする修験者(しゅげんじゃ)とされている。彼らの説によると、三峰神社にイザナギ、イザナミノ尊(みこと)を祀(まつ)ったとき白いオオカミが神の使いとして現れたという。また日本武尊(やまとたけるのみこと)が山火事にあったとき、オオカミが救ったという。
日本のオオカミは明治になって絶滅した。イノシシやニホンジカなどが繁殖し畑や森林が荒らされるのは、オオカミが絶滅したためとする説がある。そこで外国のオオカミを日本に導入する案が何度か浮上しているが、それは文字通り野にオオカミを放つことになりかねない。
神様は祠(ほこら)のなかでそっとしていただいたほうがよさそうだ。
文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園」完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。
※本記事は「まいにちサライ」2013年11月21日、11月28日掲載分を合わせて加筆・転載したものです。