『宝船 浪の音 純米酒』。宮城県産ひとめぼれを原料にきょうかい7号酵母で仕込んだ純米酒。軽快な口当たり。720ml 1223円。
専務取締役の佐々木洋さん。昭和51年、宮城県閖上生まれ。国立宮城高専で材料工学を学んだのち蔵を継いだ。杜氏は弟の淳平さん。

東日本大震災が発生した平成23年3月11日午後2時46分、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にある佐々木酒造店の佐々木洋さん(44歳)は、酒蔵から数キロ離れた場所で打ち合わせをしていた。慌てて車で戻ると、明治時代に建てられた土壁と木造からなる古い蔵は無残にもつぶれ、割れた酒瓶がそこら中に散乱していた。

敷地内の被害を確認し、酒蔵の前で避難誘導をしていると、ほどなく東側から「津波だ! 逃げろ!」と大声を出して走ってくる人たちがいた。佐々木さんは、このとき、祖母からたびたび聞かされていた「閖上は津波が来る場所。津波が来たら、酒蔵の屋上に逃げなさい」という言葉をとっさに思い出す。建物は、昭和53年の宮城県沖地震ののちに新たに建てられた鉄筋コンクリート造りのもうひとつの酒蔵だった。

先祖が興した場所に必ず戻る

明治4年(1871)創業当時の佐々木酒造店の俯瞰図。初代佐々木新助が手広く事業を展開する中で酒造りを始め、屋号を「浪の音」に。

屋上に駆け上がった佐々木さんは、瓦礫に挟まれ流されていく人々を助けようと手をさしのべ続ける。しかし、大濁流を前になすすべがない。縦に浮いた車の角にしがみつき流されてきたひとりの中年女性を屋上へと引き上げるのが精一杯だった。その後は朝方まで、助けた女性とともに故郷の惨状を屋上から眺め続けることになる。港町にあった建物はほぼすべて流され、700人以上の人が亡くなった。もちろん酒蔵の製造設備は全滅だった。

佐々木さんが振り返る。

「屋上にいてまず最初に頭に浮かんだのは、阪神・淡路大震災の被災風景でした。次に、関東大震災、東京大空襲と浮かび、復活した東京の姿、ブルーシート生活からよみがえった神戸の人たちのことを思った。そういう災害から立ち上がった人の強さ、生き方が自分の中に映像として残っていたんですね。屋上で助けた女性は、少しパニックになっていたので、絶えず話しかけていたんですが、気がついたら、“ここを復興させて、自分はこの場所にもう一回戻ってきて、酒を造ろうと考えている”ということを彼女に自然に話していたんです」

佐々木さんには、戻るべき理由があった。

「うちの銘柄は『浪の音』で、創業した明治4年からこの海辺で酒を造ってきた。危ないからと山の中に避難して『浪の音』を名乗るわけにはいかない。先祖がここで興した酒造りは、ちゃんと浪の音が聞こえる場所で醸していかなければならないと思ったんです」

震災直後の酒蔵。明治時代に作られた門以外は瓦礫の山と化した。地元ボランティアがこの中から無事だった酒瓶を探し出した。

限られた環境下でのノウハウ

佐々木さんのそんな強い思いは、まず「震災復興酒」という形で表れた。瓦礫を撤去しながら、蔵の中に残った酒瓶、遠くに流されはしたものの割れなかった酒瓶を集め、ラベルを貼り直し、震災から約5か月後に販売したのだ。わずか260本ほどだったが、それは、復活への狼煙だった。

東多賀村(現・閖上)の村長も務め、地域に貢献し、酒蔵も成長させた2代目佐々木多利治。当時の金看板も瓦礫の中から見つかった。

翌平成24年3月11日には、やはり密閉タンクにまるごと残っていた酒を知り合いの酒蔵の設備を借りて瓶詰めし、出荷した。

この年、佐々木さんは、新たな環境下での酒造りに挑む。名取市復興工業団地の一角で酒造りを始めるのだ。壁も天井も波状の薄い鉄板、床は平板なコンクリートというガレージのような急造の建物での酒造りだった。

仮設蔵ではほとんどが手作業だった。

佐々木さんが述懐する。

「夏は外より暑く、冬は外より寒いという環境でした。醸造の先生方に訊いても、“気持ちはわかるけれども、こんな劣悪な環境では誰もやったことがない。人の口に入って、安全なものができるとは到底思えない”というものでした。でも私は、逆に、誰もやったことがないんだったら、私たちのやることが今後の実績、データとなって次につながっていくんじゃないか、と思ったんです」

土地の酒を力水にして町は生きている

九州の森伊蔵酒造から譲られた手詰めの瓶詰機。その後、台風被害にあった福島の酒蔵へと渡った。

限られた資金の中で、佐々木さんは、自ら設備の設計を行なった。寒暖差は、天井や壁に発泡ウレタンフォームを吹き付けることでやわらげた。醸造のための機器は、宮城県の酒造技術の指導者が全国の酒蔵に声掛けをしてくれたところ、兵庫県東灘の『櫻正宗』より甑(こしき:日本酒の原料米を蒸すための蒸し器)などの製造設備を譲り受けた。九州の焼酎メーカーも手詰めの瓶詰機を譲ってくれるなど手をさしのべてくれた。

平成24年12月17日、即席の仮設蔵での仕込みが始まり、翌年1月14日、最初の酒が搾られた。

「嬉しかったですね。3月11日からの思いがここにエッセンスとして出てきたな、自分たちの意地が液体化したな、という感じでした。いろんな感情が混ざりすぎて、酒質云々より心の味でした。こんなに早く復旧できて、飲めるものが造れたことが嬉しくて、味覚より感情のほうが優ってました」

完成した酒には、「たくさんの方にいただいたお力で閖上を復興させている、この美味しい味になっている」という思いを込めて、『閖(ゆり)』と命名した。

『純米酒 閖 宮城酵母仕込み』。名取市産減農薬ひとめぼれを使用。720ml 1610円(300mlは713円、1.8Lは3035円)。

実績をつくり閖上で再興

もっとも、「心の味」を喜んでいたのは、最初の1年だけだった。

「この環境下でよく頑張っている、涙ぐましい、震災で大変だろうから、という同情目線で酒造りを見られてしまうのは、技術者として、職人として、やはり複雑な思いも出てくるわけです。限られた環境の中で、我々がどういった挑戦をし、どういうものを造れるのか、1年が過ぎた頃から真剣に考えるようになりました」

佐々木さんは、弟で杜氏の淳平さん(41歳)らとともに酒造りに一層打ち込み始める。そして、その一途な姿勢は、東北清酒鑑評会優等賞(平成30年度)へと結びついていく。

「認められたことはもちろん嬉しかったんですが、それよりも、日本醸造史にない仮設蔵という環境下で酒造りをして、実績を残せたことが大きかった。これからまた震災や天災に遭ったとしても、我々のノウハウを持てば、美味しいお酒を造ることができるということを証明できたわけですから」

佐々木さんの念願だった閖上での酒造りが始まったのは、令和元年10月1日、日本酒の日。震災から約8年半、区画整理を待って、ついに新しい蔵の歴史が始まったのだ。

100年後を見据えた酒蔵

佐々木さんが新しい酒蔵に思いを込めたのは、「未来」だ。

「私に続く蔵元たちが引き継げる建物にしたかった。100年後にもこの蔵が自由自在にそのときどきの酒造りができるような思想をこの建物に埋め込みたかった。たとえば、どの部屋も簡単に拡張できるようなユニットにし、新たな光ファイバーをいつでも通せるようにダミーの配管を這わせたり、いろんな可能性を盛り込んだ設計にしたんです」

製造現場の壁面、天井はすべてステンレス製。抗菌基準も将来に備えて高めに設定した。すべてが100年後を見据えた設計だ。

震災前に比べ、閖上での酒造りに対する佐々木さんの意気込みは、さらに高まっている。初代が残した「地酒はその土地の液体化」という言葉が震災を経た佐々木さんの心に深く突き刺さる。

「私たちの身体を構成するのは、自分たちの土地でとれる米であり、湧き出る水です。そして、それを液体化したものが地酒。そのお酒を力水にして、町は生きているんだということを震災後、さらに強く意識するようになりました」

まもなく創業150年を迎えんとする酒蔵は、5代目の高き志によって、いままた新しいステージへと大きく動き始めている。

以前の蔵とほぼ同じ場所、海岸から1.5kmほど離れた場所に建てられた新社屋。販売所が併設されていて、すべての酒が買える。

佐々木酒造店

宮城県名取市閖上1-230-E10 電話:022・398・8596 営業時間:10 時~17時 定休日:水曜 交通:JR名取駅からバスで約15分
平成31年4月、佐々木酒造店の向かいにオープンした「かわまちてらす閖上」。飲食店や海産物などの店が入り、にぎわう。
地元の農園産古代米を使用した「紫黒米甘酒豆乳ラテ」(1杯300円)も店頭で販売する。

文・一志治夫(いつしはるお)ノンフィクション作家。昭和31年、長野県生まれ。近著に『美酒復権秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦』(プレジデント社)。

撮影/福田栄美子

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※この記事は『サライ』本誌2021年3月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。

 

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