島内散策ツアーで見た、生々しい生活の痕跡

坑道見学を終え、しばし休憩のあと、ガイドさんの車に乗り、島内散策ツアーが始まった。池島は中心部から南東側が石炭製造施設で、港から離れた北西エリアに鉱員住宅がある。高台の一帯は、炭鉱開発以前は田畑が広がっていたという。

島の歴史を遡ると、鎖国をしていた江戸期、外国船や密貿易、宣教師の密入国を監視するための『池島小番所』が置かれていた。島民たちは明治、大正、昭和と半農半漁の生活を営む。明治以降、多くの男性は海運業の船員となり出稼ぎをしていたという。

車窓から見た火力発電所の廃墟。潮風にさらされ、劣化のスピードは早い。「立ち入り禁止エリアに入っている人を確認することがあります。事故があってはならないので、島内の施設は撤去が進んでいます」。撮影:筆者

炭鉱以前から人が住んでいた地域を『郷地区』と言い、ここには、飲食店、居酒屋、理髪店、パチンコ店、スナックなどが集まる歓楽街だったが今は植物に飲み込まれている。車から入り口を見たが、一人で地域の中に入るには勇気がいる。ただ、ここにはまだ人が住んでいるという。

ガイドさんの運転するワゴン車が、鉱員住宅に到着した。昭和時代の団地を思わせる建物に入ると、平成初期で時が止まったような空間が広がっていた。ラジカセ、インスタントコーヒー、キャラクターのクッション、ホットカーペットも残っており、生々しい。展示品は時々入れ替えているという。

廃坑になった2001年当時のものもあれば、最も繁栄した1970年代のものもあり、混在して展示されている。池島小中学校の卒業アルバムもあった。別室にはオルガンがあり、豊かな生活が営まれていたことがわかる。「テニスコートがあったので、習っている人も多かったですよ」とガイドさん。撮影:筆者
炭鉱はほぼ24時間稼働していた。三交代制で勤務するので、玄関扉の前には「安眠中」の旗が下げられる。鉱員の給料は当時の一般的な会社員の2倍近くあり、家賃も光熱費もほとんどかからない。訪問販売がよく来ていたという。撮影:筆者
住宅の扉に貼ってあった、石炭労協(2004年解散)による石炭消費を促すステッカー。筆者は1977(昭和52)年に東京で生まれ育ったが、生活の中で石炭に触れたことがない。撮影:筆者

住宅を出ると、道路沿いに多くのパイプが伸びていた。質問すると「これは水道管です。地中に埋めるよりも管理しやすいので、こうなっているのです。だから夏は水が温かくてね。釣り好きの鉱員も多く、夏に魚を捌くときは、冷蔵庫で水を冷やして使っていたんですよ」(以下「」・ガイドさん)

水は火力発電所に併設する、海水淡水化装置(国内初)から送られてきた。「水は豊富でしたが、各部屋には風呂がありません。各団地に共同の風呂があり、家族はそこで入浴していました。男性は炭鉱で働いた後に、お風呂に入ってから帰宅していました」

特別に案内いただいた、『第二立坑事務所』にある200人が入れるという巨大な浴場。浴槽は4つあり、作業着を洗う洗濯槽が壁を囲むように約100基ならぶ。坑内は採掘の時に出る粉塵やダイナマイトの煙などで、全身が真っ黒になる。撮影:筆者
風呂がある第二立坑事務所前にある、女神像『慈海』は1983(昭和58)年建立。唯我独尊のポーズをとりつつ、海底深くの採掘現場(『蟇島』という島方向)を見ているため、俯いている。社内報の表紙は彼女が飾ることが多かったという。奥にある青い櫓のようなものが、海底721mまで鉱員や火薬を搬入する第二立坑。約100秒で海底と地上を繋いだ。かなり錆びているが、再塗装の計画はないという。撮影:筆者

最後に島の西側にある「8階建て」と呼ばれる鉱員住宅に移動した。1963(昭和38)年竣工の25、27、29、31号棟だ。鉱員住宅は1番から番号が振られ、欠番を含めて135番まであり、全部で約50棟。全て鉄筋コンクリート造だ。新しさは番号の大きさに比例する。役職者は100番以上の棟に住んでおり、係長以上は風呂もついていた。ガイドさんは鉱山レスキューの資格を持っており、坑道内へのアクセスがいい14号棟に住んでいたこともあったという。

島のシンボル的な「8階建て」の一部。全4棟あるが、いずれもエレベータがない。この建物の入り口は5階にあり、山の斜面から渡された通路を渡り、建物内に入るのだ。これにより、8階に住んでいても3階分の移動のみになるという工夫がされていた。撮影:筆者

帰りがけにガイドさんが信号の前で車を停めた。「ここが池島小中学校です。まだ在校生徒がおり、先生たちもいます。この信号は、島唯一のもので、子供の学習用なのです」と教えてくれる。改めて、池島と端島(軍艦島)の違いを実感した。池島は今も約90人が居住している。郵便ポストには回収時間が記され、家庭菜園ではネギや青菜が育っている。

また島内には推定200匹の猫がおり、島の人によって世話がされていた。最近は、近くの離島・松島から3キロほど海を泳いで渡ってきたイノシシによる獣害に悩まされており、島内に罠が仕掛けられているという。

現在も稼働する池島簡易郵便局前にいた猫たち。車がほぼ通らないので、道の真ん中で猫がくつろいでいる姿も確認した。人がいなければ、猫たちは生きていけない。人が減り続ける島で、生殖能力が高い猫は今後どうなるのだろうか。これもまた島が抱える課題ではないかと感じてしまった。撮影:筆者

「島には炭鉱で命を落とした方の慰霊碑、西彼杵半島や長崎方面、五島列島まで遠望できる展望台池島神社、龍神さまの祠もありますし、池島の島内で最も高い四方岳からの眺めも素晴らしいですよ」

1日では巡りきれなかったので、次回は生活の場にお邪魔させていただく気持ちで伺いたいと思った。ボウリング場やスーパーマーケットだった建物、現役の消防署や公民館なども見たい。島民以外も入れる共同浴場(有料)にも興味がある。炭鉱施設内部は立ち入り禁止だが、石炭の出荷に使われた巨大なクレーン、石炭の貯蔵施設など、鉱山遺構が外から見られる部分も、時間をかけて見学したい。

ツアーを終え、池島で働いていた人の気持ちを想像しながら、改めて遺構を見た。池島の石炭は戦後復興と高度経済成長を支えた。しかし、石炭は国の方針もあり徐々に使われなくなっていく。1970年代のオイルショックで石炭が見直されたものの、一度できた流れを変えることはできない。それでも、鉱員たちは命がけの仕事を続けていた。閉山の不安と存続への希望に揺れながら、だ。鉱員とその家族はその日々をどう過ごしていたのだろうか。

1990年代、石炭業界全体で国への嘆願も行ったが、規模の縮小が行われ、2001年11月29日に閉山を迎える。これにより、関連会社社員も含め約1000人が職を失う。しかし、彼らは新しい仕事と共に、人生を踏み出していく。鉱員のその後の人生について、ガイドさんにその実態を聞く機会を改めて得たいと強く思った。

池島で働いていた炭鉱マンによる坑道ツアーは、2027年3月に終了する。以降、島はどのように変化するのか、誰にもわからない。「今」の池島を心に焼き付け、17時のフェリーで島を後にした。

【参考】
『池島全景 離島の《異空間》』黒沢永紀(三才ブックス)
『日本の島ガイド シマダス 1998年版』日本離島センター編(日本離島センター)
長崎県石炭鉱業百年の歩み(長崎県地学会誌 第 15号 1971年)
長崎市公式観光サイト 池島炭鉱跡
『平成20年度産炭国石炭産業高度化事業(炭鉱技術移転事業)に係る受入研修業務(インドネシア) 』(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)
『令和5年度エネルギーに関する年次報告』(エネルギー白書2024/経済産業省 資源エネルギー庁)
長崎市外海地域センター「池島」
「長崎市池島炭鉱体験施設条例を廃止する条例」(長崎市文化観光部)
昭和47年(1972年)【ヤマの記憶】「池島炭鉱」~海底炭鉱の採炭現場~(ユウガク | NBC 長崎放送)
鉱山の保安(経済産業省 九州産業保安監督部)
『「自然消滅を待っているとしか…」長崎・池島の炭鉱体験施設が廃止へ…老朽化など理由、島民らは危機感』(長崎新聞)
『九州の礎を築いた群像 三井松島産業編(3)閉山』(毎日新聞)

●取材・執筆/前川亜紀

1977年東京都生まれ。大学在学中より編集兼ライターとして『プチセブン』『CanCam』『VoCE』ほか女性誌に執筆、出版社勤務を経てフリーに。現在は著名人インタビュー、東京史、介護、恋愛、育児など幅広く執筆。近現代史、旅、酒などに詳しい。
facebook:@aki.maekawa Instagram:@akibibarock7

1 2

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2026年
9月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Youtube
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

市毛良枝『百歳の景色見たいと母は言い』

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店