離婚は「嫌だよ」と父親は言った
母親が離婚するタイミングとして選んだのは、円佳さんの結婚式が終わって半年ほど経ったときだった。円佳さんに伝えたときにはまだ離婚はしていなかったものの、母親は実家から離れて暮らしていた。
「私の実家と私たち夫婦が暮らしていた場所は電車やバスなどで2時間ぐらいかかるところでした。車ならまだアクセスしやすいんですが、私たち夫婦のほうが都心寄りに暮らしていたこともあって、維持費もかかるので車を持っていませんでした。だから結婚前の同棲期間からそこまで実家に帰ってなかったんです。連絡を取り合うのも母親とだけでした。だからそんな状況になっているなんて知りませんでした」
別居の事実を知った円佳さんはすぐに実家に戻り、離婚について改めて父親から話を聞いたという。
「母親から離婚したいと言われて、父親としては離婚しないための別居だったみたいです。でも、母親の意思は固く、私が実家に戻ったときには父親も離婚を了承していました。
弱弱しく笑いながら『(離婚は)嫌だよ。でも、仕方ないんだよ』と言う父の姿を見て、私は必死で涙をこらえました」
家事のほとんどを母親がしていた。父親は料理などを作ることはできたが、掃除はまったくできなかった。実家はあっという間に汚れていき、月に2度ほど円佳さんが実家に行って掃除をする生活が始まった。
「うちの両親は共働きだったのですが、家事はほとんど母親がしていました。父親はたまに料理をするぐらいで、その後片づけも母親でした。だから、1人になった父は料理以外に何もできなくて。汚くなっていく実家を見かねて、私が掃除に通うようになったんです」
どちらかと仲良くすれば、もう一方を傷つける。娘は親と関わることに罪悪感を覚えるようになった【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。