ロシアのウクライナ侵攻開始の4か月前。2021年10月18日に中国・ロシアの艦艇10隻が津軽海峡を悠々と通過していた事実は、日本を取り巻く軍事環境が風雲急を告げていることを雄弁に物語る。青森県の地元紙東奥日報の斉藤光政編集委員は、取材テリトリーの庭先である津軽海峡で起きた「異変」に敏感に反応し、2022年5月から「新冷戦考」という大型連載企画を開始。世界を股に掛けた取材で、「日本の防衛力の今」をあぶり出した。 以下、斉藤光政記者のリポートである。

左が米軍の「HIMARS」。右は陸自の「88式地対艦誘導弾」。

目の前の制御盤にずらりと並んだディスプレイが、自分たちのいる位置を表示していた。津軽海峡の西方入り口から、十キロほど海峡に入った地点。深度計は百二十メートルちょうどを示している。(略)

海流の速度は6ノット。津軽海峡の西口から東口に向かって流れている。流れの強い川の中にいるのと同じだ。唯一の気休めは、着底しているこの場所が公海である点だ。(略)

日本政府はお人好しにも、津軽海峡の中央部分を公海と定めている。その公海部分の北側すれすれに自分たちが乗る原子力潜水艦は着底しているのだ。つまりは、何人からも攻撃されない……。

冒頭から引用で恐縮だが、安東能明さんのミリタリー・ポリティカル小説『着底す CAドラゴン2』(中公文庫、2014年)からの一文である。

この作品は警察庁最強のエージェント、矢島達司の活躍を描くサスペンスシリーズの第2弾だが、中国海軍の原子力潜水艦を〈主役〉に据えているのがみそである。それも、射程8000キロに及ぶ核弾道ミサイル12基を装備する戦略型原潜(排水量8000トン)と呼ばれるタイプである。

文中にあるように、そんな物騒な戦略型原潜がなぜ津軽海峡の底に居座っているのか? じつは、日本海から津軽海峡を抜けて太平洋に進出し、米国の喉元であるベーリング海に潜り込もうとしていたからである。

ここで再び疑問。なぜ中国原潜はベーリング海に向かっていたのか? 米国の政治的中枢であるワシントンDCを核弾道ミサイルの射程にダイレクトに収めることができるから。つまりは、いつでも米国本土に核攻撃を加え、社会システムを崩壊させることができるよ、という政治的、軍事的シグナルというわけだ。

ところが津軽海峡にさしかかったところで、肝心の原潜内に強毒性の特殊なインフルエンザが蔓延し、操艦不能状態に陥ってしまった。緊急避難行動としてやむなく着底してみたものの戦略型原潜という最高機密ゆえに、上空には海上自衛隊の八戸、大湊基地から駆けつけたP3C哨戒機、哨戒ヘリコプターがブンブン飛び回り、航空自衛隊三沢基地(いずれも青森県内に所在)を飛び立った戦闘機や早期警戒機の姿も。はたまた護衛艦もバタバタ海面を駆け回る始末。

さらには横須賀基地(神奈川県)を拠点とする米海軍艦艇も加わり、もはやてんやわんやの狂騒状態。そうしたストレスについパニックを起こしそうになる中国原潜乗組員の視点から描いたのが、冒頭の一文というわけである。

あまりに露骨で挑発的な行為

有事に備え、弘前、西目屋で自衛隊統合演習。

この文を紹介したのには、もうひとつ理由がある。これほど明確に、津軽海峡の「公海」性について触れた小説をかつて目にしたことがないからだ。

9月4日に刊行したばかりの拙著『新冷戦考 日本の防衛力の今』をお読みいただければお分かりいただけるが、この津軽海峡の特殊性のひとつである「公海性」について、あえて1章割いている。

書くに至ったきっかけは2021年10月、中国・ロシア合同艦隊が白昼堂々と津軽海峡を押し通った〈軍事的事件〉にある。10隻という艦隊規模の大きさもそうだが、それ以上に中国とロシアのむき出しの敵対心を現地で目の当たりにし、ある種の衝撃を受けた。それは国民の多くも同じではないだろうか。日米同盟に対する強気の挑戦状にも映ったからである。

こうした国民の怒りと疑問が、中国とロシアに対する批判の声となって表れたのは言うまでもない。インターネット上の交流サイト(SNS)がいい例で、「日本の軒下を通る失礼な行動」「自宅の庭を凶器を持って歩かれたようないやな感じ」「あまりに露骨で挑発的」といった具合にである。

しかしながら、こうした文章を寄せた方々の多くは津軽海峡を日本領海と勘違いされているようにも見受けられた。だから、あえて拙著の中で1章割いたわけなのだが、はっきり言って津軽海峡は公海であり、扇情的とさえいえる中国・ロシア艦隊の通過だって、じつのところ領海侵犯には当たらない。

当然、国際法的にも問題はない。だから、防衛省も中国、ロシア両国に対して抗議することはなく、中ロ艦隊の監視・警戒活動に終始した。そして当日、次のような一文を発表するに至るのである。

中国海軍艦艇とロシア海軍艦艇が同時に津軽海峡を通過することを確認したのは、今回が初めてである。

中ロ合同艦隊の行動は国際法的に問題がないものの、信義的には疑問が残る。何より初めての行動だったのだから。だから「ビックリ」したというのが防衛省の本音なのだろう。

ここで、編集担当者から指示された行数に達してしまった。次回はなぜ、あんなにも狭い津軽海峡を、安東さんが指摘するように「日本政府がお人好しにも公海と定めている」のか─という疑問点について、軍事的見地からご説明したい。

斉藤光政(さいとう・みつまさ)
東奥日報編集委員。1959年、青森県出身。成城大学法学部卒。社会部次長、三沢支局長、編集局次長などを経て現職。2018年まで早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。旧軍・自衛隊・在日米軍関係の調査報道で知られ、平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞(2000年)、新聞労連ジャーナリスト大賞(2007年)、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(2009年)、むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞優秀賞(2020年)など受賞。2021年に世界遺産となった三内丸山遺跡(青森市)など歴史・考古学、サブカルチャー分野の取材も手がける。主な著書は『米軍「秘密」基地ミサワ』(同時代社)、『在日米軍最前線』(新人物往来社)、『ルポ下北核半島』(岩波書店)、『戦場カメラマン沢田教一の眼』(山川出版)、『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(集英社文庫)など。共著多数。

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