コロナ禍のため多くの人が自粛生活を強いられるなか、一方的な価値観を武器に他人を叩く“自粛警察”が問題化された。
自分あるいは自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者との関係もないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に攻撃的な言葉を浴びせ、叩きのめさずにはいられなくなってしまう――。
『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子 著、アスコム)の著者によれば、それは「許せない」という感情が暴走してしまっている状態。しかも人は誰しも、そのような状態へと簡単に陥ってしまう性質を持っているという。
人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。(本書「はじめに」より引用)
だが「間違ったことが許せない」という思考パターンが止められなくなるのは、とても恐ろしいことだ。しかも、誰しもが「正義中毒」に陥る可能性があり、精神的に苦しいものでもある。
一方、年齢を重ねるごとにイライラすることが多くなってくるのも事実ではないだろうか? そういう意味でも、「正義中毒」は決して他人事ではないのだ。
そこで本書において著者は、脳科学的な見地から、なんらかの救いになるようなメッセージを提供しようとしているのである。
「人を許せない」という感情を抱いてしまうのは、「許す」ための大きな足がかりである前頭前野が、加齢に伴って萎縮してしまうからなのだという。
前頭前野は、分析的思考や客観的思考を行う場所。つまり前頭前野が衰えていない人は、普段から「自分はこう思う」「こうに決まっている」といった固定化された通念や常識・偏見をうのみにせず、常に事実やデータをもとに合理的思考や客観的思考を巡らせている人だと考えられるわけである。
したがって、日常的に合理的思考、客観的思考ができるようなクセをつけておけばいい。あるいは「そうせざるを得ない状況」に身を置いておけば、前頭前野は鍛えられ、衰えを抑制することが期待できる。
そのためには日常生活のなかで、どのようなことを心がけるべきなのだろうか?
(1)慣れていることをやめて新しい体験をする
新しい体験と聞くと大変そうにも思えるかもしれないが、要は「慣れている物事とは少し違う物事」を選ぶようにしてみるだけでいいようだ。
自宅から駅まで向かうときなど、決まった場所を移動する際に、意識的に道順を変えてみる。外食をするときには、いつも頼んでいるメニューではなく新しいメニューにしてみるなど。
そうした「日常とは異なる行動」が、前頭前夜の活動を促すのである。
(2)不安定・過酷な環境に身を置く
あえて不安定な、あるいは過酷な環境に身を置くことも重要。たとえば、計画を立てずに一人旅に出てみるのもひとつの手段だ。そうした状況では予期しないことが起こるものなので、乗り切るために前頭前野や脳全体に活力を与えるような活動をすることになり、それが充実感にもつながるのだ。
(3)安易なカテゴライズ、レッテル貼りに逃げない
「Aは○○だから」「知ってるよ、Bって××なんでしょ」というようなカテゴライズ(レッテル貼り)をしがちな人は要注意。レッテルを貼ることでまとめて情報処理ができれば、前頭前夜を働かせずに済むため脳は余計な労力を使わなくてよいことになるからだ。
そういった安易な逃げにはまり込むリスクを認識し、単純なレッテル貼りを気持ちよく感じてしまう裏側には脳の弱さがあるという背景を、しっかり理解しておくことが大切なのだ。
(4)余裕を大切にする
前頭前野を働かせるには、余裕が不可欠。自分の頭で考えるということは、前頭前野を働かせるということとほぼ同じ。そのため、他の領域にそれほどリソースを割かずに済んでいる状態、すなわち脳に余裕がある状態を保つ必要があるということだ。
一例を挙げると、通勤時間を短くすることも有効であるようだ。
イギリスの西イングランド大学が行った調査によれば、研究者らは、全体的な生活満足度には該当しないものの、通勤時間が1分増えるごとに、仕事とプライベート両方の満足度が低下し、ストレスが増え、メンタルヘルス(心の健康)が悪化することを報告しています。(本書197ページより引用)
どれも難しいことではないので、ぜひとも心がけたいものだ。
『人は、なぜ他人を許せないのか?』
中野信子 著
アスコム
発売日:2020年1月
価格:1200円(税別)
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。