文/鈴木拓也

行きつけの図書館の書棚の一部がニセモノで、それは秘密の部屋につながる隠し扉であったと妄想してみよう。
あなたは、「扉を開けてみたい」という誘惑に耐えられるだろうか?
太古の昔から、人間には、秘められた場所を探ってみたいという強い欲求があった。衝動に突き動かされて闇へと足を踏み入れ、英雄と扱われた者もいれば、命を落とした者もいた。
視点を変えれば、そうした場所をわざわざ造る人がいたのである。その動機は一様ではない。財産を隠匿するためといった理由は、わかりやすい。しかし、その見当もつかない所が多々あり、妖しい魅力を放って今も我々を引きつける。
それらを集めた1冊の書籍が、このたび翻訳刊行された。書名は、『驚異の隠し部屋 世界各地の内緒の部屋・秘密の抜け道・迷宮・秘宝』(ステファン・バックマン、エイプリル・ジュヌビエーブ・トゥーホルキー著、片山美佳子訳/日経ナショナル ジオグラフィック https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/26/05/26/02628/)という。
今回は、その一部を紹介しよう。
地下世界の構築にとりつかれた公爵
本書で最初に登場するのは、イングランドのウェルベック・アビーだ。
もとは修道院であったのが、後に貴族の屋敷として改築。19世紀前半の記録によれば、「とりたてて言うほど美しい建築物ではなかった」と評されていた。
それが激変したのは、第5代ポートランド公爵こと、ウィリアム・ジョン・キャヴェンディッシュ=ベンティンク=スコットが屋敷を相続してから。公爵は、極端に内向的で神経質な性格であり、34歳のときの失恋の痛手が追い打ちをかけた。職を辞してロンドンを離れ、この屋敷で隠遁生活を始めたのである。
あり余る財産を持っていた公爵は、「すぐに自分だけの王国の建設に着手した」。大勢の作業員を雇い、屋敷を増築するとともに、地下に広大な建築物を造り始めた。「地下世界」には、巨匠たちの絵画が飾られたギャラリー、舞踏室、ビリヤード室、図書室などがあり、長大な地下通路で母屋とつながっていた。各部屋は、頭上のガラス板を通して射しこむ陽光とガス灯によって照らされ、蒸気で暖められていたという。
極度の人嫌いであったのに、舞踏室やビリヤード室があるのは不思議だ。著者は、「おそらく公爵は舞踏室でひとりきりで踊り、たったひとりでビリヤードを楽しんだのではないだろうか」と推測している。
18年におよぶ「王国」の建設中は、作業員や使用人らとの交流はあったようだ。しかし、晩年になると召使いを除いて誰とも会わず、ひとりきりで過ごすようになった。
1879年、79歳で没して間もなく、第6代ポートランド公爵がここを訪れた。その時点で、屋敷の地上部分は荒廃していたという。先代の公爵は、「地下世界の建設に夢中になるあまり、地上の様子に無関心になっていたのだ」。今では、その地下世界も自然にかえりつつある。
悪霊を迷わせるために造った迷路
ロシアの白海にある小島、ボリショイ・ザヤツキー。
沖合から見える人工物といえば、強制労働者の収容所に転用された暗い過去を持つ、修道院ばかりである。
しかし上陸すると、古代からある奇怪なものに遭遇する。それは、芝と石からなる螺旋状の迷路だ。島内に、それが14か所ほど点在する。実用上の意味はなさそうな迷路が、なぜできたのか。
著者は、当時の漁師たちが、悪霊を避けるために造ったのだと解説する。古代において、気象や病気がもたらす厄災は、しばしば悪霊の仕業とされた。そこで漁師らは、船に乗る前に迷路を歩いた。ついてくる悪霊はそこで迷うため、安心して船出できる。そう考えられていた時代の遺物というのが、種明かしだ。
時代が下るにつれ、迷路は娯楽的なものへと変質していく。例えば、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿の敷地に生け垣の迷路を造らせた。迷路内の各所に、イソップ寓話のシーンをモチーフにした小像が置かれた。ここは、「息が詰まるような宮殿の礼儀作法から逃れて羽を伸ばす、憩いの場になっていた」そうだ。しかし、莫大な維持費がかかるため、後継者のルイ15世の最晩年には放置され、荒れ放題となった。最終的に、ルイ16世が果樹園へと造り変え、役目を終えた。
19世紀も末になると、完全に娯楽目的の鏡張りの迷路が各地で流行した。そのうち、今も残っているのは、プラハ産業展示会開催100周年を記念した、1891年の博覧会のために造られたもの。中は、「ゴシック建築のアーチ天井の通路が、どこまでも続いているように見える」という。
秘密の通路を使って脱出した王妃
政略結婚でルイ16世に嫁いできたマリー・アントワネットにとって、権謀術数渦巻くヴェルサイユは、息の詰まるような世界であった。
母国のシェーンブルン宮殿では、両親の愛に包まれて伸び伸びと育ってきた彼女は、人を簡単に信じる性格であった。それが時には命取りになりかねないと、王妃は間もなく気づいたはずである。友人らの取り巻きをつくり、宮殿の本館から馬車で10分くらいのところにあるプチ・トリアノンという建物で過ごす時間が増えていった。ここなら、自分のプライバシーを守ることができたからである。
やがて、彼女の好みに合わせて施設が拡張していく。まず、「王妃の村里」と呼ぶ観賞用の村が造られた。コテージやダミーの風車が置かれ、アルプスから連れてこられた牛がのんびりと草を食む、古き良き時代を演出したものであった。さらに、秘密の洞窟と小劇場も造った。薄暗い洞窟の入り口は鉄格子で仕切られ、内部は石のベンチなどがある簡素なものだ。小劇場は、外側は「使用人やスタッフ用の別棟に見える」素朴なもので、中は小さいながらもそれなりに立派なつくりとなっている。彼女は、ひとりの役者として舞台に立ち、王妃以外の役を楽しんだはずだ。
1789年10月5日、パンを求めて怒れる大勢のパリ市民が、ヴェルサイユ宮殿へ行進してきた。役人と群衆の話し合いが夜までなされ、最悪の事態は免れたかに思えた。夜が明けると、暴徒と化した群衆が宮殿になだれこんで来た。このとき王妃は、寝室にいたようだ。
本書では、「秘密の通路につながる隠し扉が王妃の命を救った可能性がある」と書かれ、次のように説明がなされている。
隠し扉から寝室を出たマリー・アントワネットは、護衛と侍女とともに短い通路を通って逃げた。それから鏡の回廊にある鏡に見せかけた別の隠し扉を通り抜けた。そして素足のまま忍び足で何もない広大な鏡の回廊を通り抜け、宮殿の反対側にある夫の居室にたどり着く。必死に扉を叩き続けること5分、ようやく従者が鍵を開けに来た。
(本書257pより)
王妃とその家族は、馬車に乗り込んで宮殿を去った。彼女は、もうここに戻ることはなく、1793年10月、ギロチン台の露と消えたのである。
* * *
このように本書には、ほとんど知られていない“隠し部屋”にまつわる話が多数盛り込まれ、思わず時間を忘れ読みふけってしまう。秋の夜長を過ごすのに、おすすめしたい1冊である。
【今日の教養を高める1冊】
『驚異の隠し部屋 世界各地の内緒の部屋・秘密の抜け道・迷宮・秘宝』

定価3850円
日経ナショナル ジオグラフィック
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。











