
サライ.jpで【日本酒のススメ】を連載する山内祐治さん。日本酒の奥深さを伝え続ける山内さんだが、実はもともと日本酒に夢中だったわけではなかった。四代続く寿司屋の後継ぎとして生まれ、1本の酒との衝撃的な出合いをきっかけに、気づけば日本酒の世界へとしっかり引き込まれていった。今回の番外編では、そんな山内さんの「酒との物語」をたっぷりと語っていただいた。
「人相手の商売がしたい」という原点
東京・湯島に四代続く寿司屋の長男として生まれた山内さん。大学を卒業するまでは、家業を継ぐかどうかはっきりと決めていなかったという。
「大学のゼミを選ぶ段階になると、ある程度その後の職業の方向性が見えてくるような大学でした。金融や経済系もあるし、営業がいいのかな、なんて若い頭で考えていたこともありましたね」
それでも山内さんの心の底にあり続けたのが、「人相手の商売がしたい」「学生時代の友人ともつながりが絶えないような仕事がしたい」という気持ちだった。そのイメージとぴったりと合致したのが、やはり実家の寿司屋だった。
「寿司屋というと職人かたぎで無口、というイメージが強いですよね。うちはお客様とお話しながら仕事をするというのも大切な仕事の一部でした。それが寿司屋を継ごうと思った理由の一つでもあります」
修行先は東銀座。4年ほど腕を磨いてから実家に戻ったのは、2006年のことだった。しかし戻ってきてみると、少しずつ「足りないもの」が見えてきた。日本酒である。
「当時うちのお酒といえば、『久保田』と『八海山』を並べているような感じだったんです。でも両方とも新潟のお酒なのに、そのことすら分かっていなかった。有名だからとりあえず置いておけばいいだろう、というくらいの意識だったんですね」
その当時の寿司業界では、日本酒はあくまでも“寿司の添え物”という位置づけが当たり前だったと山内さんは振り返る。
「寿司を食べた後に口をさっぱりさせてくれて、またもう少しお寿司やおつまみをつまめるような、そのくらいの立ち位置のものでしかなかったんです。お寿司のネタの前に出てくるもの、という感じですね」
そこから本格的に日本酒を勉強しようと、雑誌を買い込み、近くの酒販店へと足を運ぶようになったという。
而今(じこん)との、衝撃の出合い
「『黒龍』や『〆張鶴』を探しに行ったんですが、そこの店主に『ご用意はできますが、よかったら私のおすすめも買っていきませんか』と声をかけてもらったんです」
試しに買ってみたその1本が、三重県の蔵が手掛けた「而今(じこん)」の大吟醸だった。当時の山内さんにとって、一升瓶に8000円(税別)という価格は“夢のまた夢”のような話だったという。

「帰って飲んでみたら、これまで飲んできたすべてのお酒の味を覆してくれるような美味しさに感じました。とにかく美味しい、ずっと飲んでいたい、しか言葉が出てこなかった。それまで自分が飲んでいた一番美味しいお酒より、2〜3倍ぐらい美味しいって感じたんですよね。感覚で2倍・3倍って、とんでもないことですよね。『2倍美味しいラーメン』にはなかなか出合えないじゃないですか」
感動に打ち震えながら、山内さんはすぐに酒販店に電話した。店主は10〜15分にわたって、その蔵について話してくれたという。
「『まだ世に出たばかりの若い造り手なんですが、天下を取れるだけのポテンシャルを持っていると僕は思う。そのうち、この銘柄を置いているという看板を掲げるだけでお客さんが入ってくるようなお酒になる』。そう言うんですよ、かっこいいですよね」
20年前、若い造り手と自分自身の「これから」が重なって見えたそうだ。日本酒そのものへのワクワク、若い蔵人への親しみが、ないまぜになって山内さんの心に刺さった。この出合いから、山内さんの本格的な「日本酒道」が始まる。

知識の深堀り、お燗酒の世界、そして醸造学へ
「なぜこんなに美味しいのか」という問いが、知的好奇心に火をつけた。山内さんは図書館に走り、日本酒コーナーの本を片っ端から借りてきた。日本酒を特集する雑誌も欠かさず読み込み、少しずつ知識を積み上げていった。
掘れば掘るほど、日本酒の奥深さが見えてくる。特定名称や米の品種といった「現在の枠組み」だけでなく、歴史の中で日本酒がどう扱われてきたか、祭りや神事との関わり、江戸時代の文化との結びつき——どの切り口から入っても面白くて仕方がなかった。
「すべての文脈のなかに良さがあることに気づいてしまって。掘り切れないと思うぐらい奥深かったんです。オタクが、次へ次へ情報を探していくかのごとく探しても途切れない、という感じですね」
そしてある時、冷酒の世界とはまた別の扉が開く。「お燗酒」との出合いだ。
「お燗酒の世界は、ワインで言えば白ワインしか勉強してこなかった、というくらいの違いがあって、また深い世界が広がっていたんですよ。自分で熱を加えるというのは、ある意味調理に似ているところがあって、育てる楽しみみたいなものがある」
お燗酒を入り口に、山内さんはそれまで注目していなかった地域の酒、そして「熟成」という概念へと知的関心を広げていった。さらにJSAソムリエ取得を経て、料理と酒を合わせる「文法」を体系的に学んだ。
「ワインのソムリエの勉強をすれば、料理とお酒を合わせる考え方を学んで、それを日本酒に翻訳して応用できるんじゃないかと思ったんです。それがワインスクールの門を叩いた動機でした」
その後、縁が重なりアカデミー・デュ・ヴァンで日本酒講師としてスカウトされる。2017年の創設初年度から「SAKE DIPLOMA」資格を取得し、正式な講師として教壇に立つことになった。
さらに醸造学の視点から日本酒を学んだことで、知識は一気に体系化されていった。
「酵母がアルコールを作るというメインの働きの裏側で、例えばグルコースが変化して、最終的にエタノールとか、脂肪酸エステルであるカプロン酸エチルと呼ばれる華やかな香り成分ができる。原材料は一緒なのに、実はさまざまなものが造られているという事実を知った時は、ショックに近いものがありましたね」
なぜ吟醸香が生まれるのか。麹と酵母はそれぞれ何をしているのか。感覚で「美味しい」と感じていたことが、科学的な裏づけを持って再び整理されていく。その快感が、さらに山内さんを先へと駆り立てた。

日本酒の幅を知るために、まず試してほしい3本
連載をご覧になって「日本酒を飲んでみたいけれど、どこからはじめればいいのか」と迷っている方も多いはず。山内さんに、初めて日本酒を手に取る方々が、まず試してほしい3本を選んでいただいた。
1本目は、福井の「黒龍(こくりゅう)」。

https://www.kokuryu.co.jp/ja
「華やかさと爽やかさが共存していて、かつ透明感がある。規模感の大きい酒蔵でありながら、誰が飲んでも美味しいという普遍性みたいなものを兼ね備えつつ、個性もきちんと見せてくれるお蔵さんです。手頃な『いっちょらい』でも、その価格ではあり得ないほどの質の高さを持っています」
2本目は、岩手の「南部美人(なんぶびじん)」。「純米大吟醸 心白(しんぱく)」が特におすすめだという。

https://www.nanbubijin.co.jp
「リンゴや洋ナシを思わせる華やかな香りがあって、ふくよかさと丸さ、そして綺麗さを併せ持っています。日本酒ってこんなに香り豊かなんだ、という驚きを感じてもらいやすい1本だと思います」
3本目は、少し個性的な「剣菱(けんびし)」。

https://www.kenbishi.co.jp
「深みがあって、旨みがあって、コクがある。常温かお燗で、蕎麦猪口みたいな器で飲んでもらうと面白さが伝わります。肉じゃがや煮込みはもちろん、ビーフシチューやカレーとも相性が取れるくらい幅が広い。実はコンビニでも買えて、そのままレンジでお燗ができる瓶もあるんです」
「この3本を飲んでもらうと、日本酒の幅の広さが見えてくると思います。まったく違う方向性のお酒ですから」
山内さんが「而今」の1本に衝撃を受けた日から、もう二十年もの歳月が流れた。それでも日本酒への好奇心はいまだ尽きることがない。読者のみなさんも、まずは1本、その扉を開けてみてはいかがだろうか。きっと、日本酒は想像以上に、豊かな世界を見せてくれるはずだ。

山内祐治(やまうち・ゆうじ)/「湯島天神下 すし初」四代目。講師、テイスター。第1回 日本ソムリエ協会SAKE DIPLOMAコンクール優勝。同協会機関誌『Sommelier』にて日本酒記事を執筆。ソムリエ、チーズプロフェッショナルの資格も持ち、大手ワインスクールにて、日本酒の授業を行なっている。また、新潟大学大学院にて日本酒学の修士論文を執筆。研究対象は日本酒ペアリング。一貫ごとに解説が入る講義のような店舗での体験が好評を博しており、味わいの背景から蔵元のストーリーまでを交えた丁寧なペアリングを継続している。多岐にわたる食材に対して重なりあう日本酒を提案し、「寿司店というより日本酒ペアリングの店」と評されることも。
構成/土田貴史











