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「これからも自由に酒場詩人の道を歩む」
芸術家たちに囲まれて育った幼少期にセンタクしたことは、個性をバネにして生きること。以来、絵、詩、俳句の創作と旅を重ね、ついには日本讃歌の酒場詩人として昇華。その奔放で自由な人生を追った。
←よしだ・るい 昭和24年、高知県生まれ。BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』等に出演。俳句会「舟」主宰他、全国各地で講演やイベントに出演。著書に『酒場歳時記』(NHK出版)、『酒場詩人の流儀』(中央公論新社)等。『中央公論』にて「吉田類の酒は人の上に人を造らず」を連載中。責任編集の北海道観光本『旅人類 vol.2』(3月25日発売)では文中にあるイトウ釣りの詳細を掲載。
北海道の野生の豊かさも酒場讃句として発信
吉田類さんの故郷は、日本一の清流として名高い高知県・仁淀川上流域の奥深い山里。父親は3歳の時に亡くなったという。
「母が俳句を詠んでいたこともあり、家は俳人や画家などのサロンとなっていて、僕が絵を描こう志したのも自然なセンタクでした」
その後、吉田さんはシュールアートの画家としての拠点をパリに移し、約10年間ヨーロッパで活動。そして30代半ばから日本とパリを行き来しながら、下町の酒場を訪ね歩いて詩を添えたイラストを雑誌などに掲載。その傍ら、編集者や新聞記者などの仲間と渓流釣りや、単独での登山にも没頭した。
「僕は、渓流釣りや登山を通じて日本の自然と水の豊かさに驚きました。その感動が日本に戻ろうというセンタクに繫がったのです」
と同時に、俳句を詠むのは子供時分以来だったが、編集者や新聞記者仲間との句会にも参加。その少し後、下町の酒場を訪ね歩いて書いた立ち呑み本がテレビ局の目に留まり、平成12年からBSテレビに酒場巡りの案内役として出演。番組の最後に酒場に纏(まつ)わる俳句を一句詠むというスタイルも好評で、『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS)として人気を博している。
「番組では、750か所ほどの酒場を巡りましたから、プライベートも含めると酒場を詠んだ俳句は1000以上になります。自由人として生きることをセンタクしてずっと歩んできたからこそ、何事にも囚(とら)われずに詠んでいます」
吉田さんが、いま北海道の酒場案内とともに力を入れているのが北海道の大自然へのいざないだ。
「幻の魚といわれるイトウを北の原始林に囲まれた湖で1時間30分の間に3匹釣り上げました。釣り仲間も信じませんが、釣った様子は責任編集の雑誌に紹介します」
放浪の末、酒場詩人が聖地としてセンタクしたのは北海道。北海道の酒場から野生の豊かさを世界に発信する句の数々も待ち遠しい。
←日本アルプスの雪山や北海道の日高山脈へは、いつも単独での登山を楽しんだ。山には17年間一緒に暮らした猫の「カラシ」も必ず同行した。写真は雪が残る越後山脈の朝日連峰にて。
←パリ滞在中には、宗教画を求めてヨーロッパ各地の美術館も精力的に巡った。写真は20代後半の時に訪れた、美しいバロック宮殿と庭園美で名高い、ウィーンのシェーンブルン宮殿。
●自然と芸術家に囲まれた幼少期から、日本の美しい水への感動、渓流釣りの様子、ヒグマとの遭遇など、ここでは書ききれない話は「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
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提供/東和薬品