昨年夏『サライ.jp』に連載され好評を博した《実録「青春18きっぷ」で行ける日本縦断列車旅》。九州・枕崎駅から北海道・稚内駅まで、普通列車を乗り継いで行く日本縦断の大旅行を完遂した59歳の鉄道写真家・川井聡さんが、また新たな旅に出発する。今回の舞台は北海道。広大な北の大地を走るJR北海道の在来線全線を、普通列車を乗り継ぎ、10日間かけて完全乗車するのだ。川井さんの新たな挑戦が、いま始まる。

文・写真/川井聡

【0日目~旅の序章】

小学生の時に初めて北海道に行った。当時走っていた急行「ニセコ」号に乗りに行く旅だった。日本最大の蒸気機関車C62が二両重連で峠を行く列車で、今にしても奇跡のような旅だった。

その時の旅が、「北海道に行かないと体調が悪くなる」という「北海道に行きたいぞ!旅行したいぞ!症候群」の原因となったらしい。1980年代から、ヒマさえあれば北海道に行っていた。

当時の旅の中心は周遊券。券面を埋め尽くす下車印は自分だけのエンブレムだった。

その旅には素晴らしい魔法のじゅうたん「北海道周遊券」が使えた。20日間乗り放題、急行も利用可能、学割あり、しかも冬季は2割引きという優れものである。この切符を手に、北海道を鉄道に乗り旅行した。旅行しにいったというより、北海道に身を預けに行っていた、という方が的確かもしれない。

昭和の流行語で言うと「ほとんどビョーキ」である。こうして、何十回北海道を訪れたかわからない。

80年代、札幌~釧路や札幌~函館には、まだ夜行の鈍行なんて言うのもあった。線路の上は実質的な宿だった。

そのころの北海道は「路線の形を書けば北海道になる」と言われたほどで、主だった海岸線には本線・支線を問わず線路が敷かれ、旅客列車から貨物列車・混合列車にいたるまで、いろんな列車が走っていた。

国鉄最後の大型開業とさえ言われた石勝線。旧夕張線の一部を利用して札幌~釧路を結ぶ高速鉄道を実現したものだ。開通初日の石炭貨物列車。手前の橋は旧夕張線

けれど、ある時期「行くたびに」と言っていいほど、路線が縮小される時代があった。国鉄分割民営化の時代である。北海道中くまなく張り巡らされていたような路線の地図。それがあの時期を境にオセロの盤面が変わるような勢いで、あっという間に変わってしまった。

路線図の変化はJRになってから暫くは落ち着いていたのだが、函館支線や深名線・江差線などの廃止が続いた。昭和の最盛期は4000Kmほどもあった総延長も、今は2500㎞だという。

周遊券のペーパーフォルダー。裏面に書かれた路線図が北海道の線路の多さを物語る。

とはいえ、2500㎞はたいした距離だ。直線距離にすれば稚内から那覇までとほぼ同じ。稚内~北京より遠いらしい。100回以上行っている北海道だが、全区間を普通列車だけで回ったことは一度もない。これは「旅」をせねばなるまい。しかもJR北海道の路線は今、危急の状態となっている。鈍行列車の車窓からどんな地平が見えるのか。そう思ってルートを組んだ。

地平線、水平線、山の端に登る太陽や沈む夕日も、「内地」とは違う表情を見せていた。

予想はできたが、実際にスケジュールを組んでみると難儀なことだった。全線を乗りつぶすには、列車の本数が少ないうえに接続時刻が悪すぎるのである。

計画を組む中で「田の字問題」が浮上した。自分で勝手に名付けたものだが、田の字が一筆書きできないように、全線踏破するには同じ路線を幾度も通らねばならないのである。それだけならまだしも、列車の本数が絶望的に少ないのだ。できれば120分以内に収めたい。

いわゆる「盲腸線」も難敵だ。元の所に戻るにはこれを往復しなければならない。北海道には日本最長最北の「盲腸線」である約600kmの宗谷本線がある。時刻表を参考に北海道の鉄道路線図を何枚も使ってスケジュールを組みはじめた。

基本ルールは昨年同様。「青春18きっぷ」で乗車できる列車で移動すること。日の出以降に乗車し、日没以降は新たな列車に乗車しない、というものだ。

満席でもない限り、特急列車より普通列車のボックスシートの方がゆったり自由に楽しめる。鈍行の旅は飽きない旅である。

ただ、今回の相手は、あのJR北海道である。事故が起きないまでも天変地異やシカとの衝突、馬との衝突、クマとの衝突……いったいどんなことが起きるかわからない。

本数が少ないダイヤでは大幅に遅れたときにはえらいことになりかねない。たとえ特急が停まるような駅でも音威子府のように宿の無い街もある。そこでお守り代わりに「一回に限り特急列車の乗車もOKにする」という特別ルールを組み込んだ。「これさえあれば、野宿や早朝や深夜にわたる乗車もしないで済むだろう」という期待である。もちろんこれは使いたくない編集部にも内証の旅のお守りだ。

出発地をどこにするかは悩まされた。「盲腸線」問題を避けるなら稚内がいいのだが、最果てから出発するのも不自然だ。一筆書き問題を減らすには札幌駅始発が便利なようだ。でも今回の旅にはふさわしくない気がする。周遊券の時代の旅を思い出し函館を出発地に選んだ。やはり北海道の旅立ちは函館がふさわしいだろう。

函館の町から見た現役時代の青函連絡船。当時この姿を見るたび、頭の中では北島三郎の声が自動的に再生されていた。

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