取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆

手許に『料理の科学』という新書がある。洗浄、切断、加熱、調味、保存などの料理のメカニズムを科学者の目で解き明かした一冊だ。著者である名古屋工業大学名誉教授の齋藤勝裕さんが語る。

いつもは午前7時起床、朝食は8時頃。「昼は麺類かパン、夜は晩酌を楽しみながら酒肴をつまむので、ご飯を食べるのは朝食のみです」と齋藤勝裕さん。ダイニングルームの窓を趣味のステンドグラスが優美に彩る。

 

「料理は素材を切ったり砕いたり、加熱したりして、美味しく変質させる技術。これは化学実験と同じです。例えば、煮るや焼くは熱化学反応であり、膾(なます)やピクルスは酸・塩基の反応、また発酵は生化学反応、干物は光化学反応です」

ガスの炎であぶるとカラッと焼きあがらない理由や、調味料を加える時の「サシスセソ」、つまり砂糖、塩、酢、醤油(せうゆ)、味噌の順序の根拠など、興味深い話題が満載だ。しかも、それらが化学式をほとんど使わずに、平易に解説されている。

新潟県新発田市生まれ。科学のおもしろさを教えてくれた高校の担任教諭の影響で、東北大学理学部に進み、同大学院理学研究科を卒業。専門は有機物理化学である。

「今、話題の有機ELや有機太陽電池などの研究に携わってきました。こういうとむずかしそうですが、化粧品から洗剤、酒、グルメまでこの世の森羅万象はすべて化学。私はそのおもしろさを伝える伝道師でありたいと願っています」

その言葉どおり、この15年間で著書は165冊にも及ぶ。

多数ある著書の中からジャンルの異なる3冊を紹介。『料理の科学』(右)は人類最大の発明である料理を科学的に解明。『亜澄錬太郎の事件簿』シリーズ(中)は全3冊で、事件のトリックを化学の視点から解決するミステリー。『美しい木目で作る彩木画』(左)は、木を絵の具の代わりにして作る彩木画の基礎知識から実技までを収録。自身の作品も併せて紹介。

郷土の醤油を常備

自他共に認める“食いしん坊”。かつては自ら包丁を握ったこともあるが、今、朝食に登場するのは同郷の夫人の手になる郷土料理。主菜は“鮭の焼き浸し”が定番だ。

前列中央から時計回りに、ご飯、漬物(胡きゆうり瓜・大根・人参・茗荷)、焼き茄子(鰹節)、ひじきの煮物(干し椎茸・人参・糸こんにゃく・油揚げ・胡くるみ桃・絹さや)、鮭さけの焼き浸し、卵焼き(レタス・トマト)、氷水、ブルーベリー(冷凍)、味噌汁(じゃがいも・豆腐・えのきたけ・しめじ・青葱)。食卓の天板には、手作りのステンドグラスをはめ込んでいる。世界にひとつしかないテーブルだ。

「これは鮭の切り身を焼いて、酒と味醂、醤油を合わせた漬け汁に浸したもの。保存食で、子供の頃からよく食べた懐かしい味です」

その醤油は新潟県笹神地域(現・阿賀野市)に嘉永元年(1848)から伝わる老舗『コトヨ醤油醸造元』の「喜昜(きあげ)」を常備。爽やかな程よい甘みが特徴だ。

鮭の焼き浸しに代わってソフト身欠き鰊の焼き物(右)や鰺のマリネ(左)が登場することも。前者は新潟の郷土料理で、砂糖と醤油をかけ、砂糖をくずしながら食べる。後者のパプリカとパセリは屋上の菜園で収穫したものだ。

漬物は新潟県小千谷市の『山崎醸造』の「こうじ床」に、ひと晩漬けたもの。野菜が麹の香りをまとい、サラダ感覚で食べられる。これら新潟の味に、デザートはブルーベリー。公私共に酷使する眼を労るためのブルーベリーである。

1年365日、晩酌を欠かさない。夫人手作りの酒肴に加えて、「貝柱のうま煮」と「いくら醤油漬」があれば申し分ない。日本酒を飲みながらチェイサー(氷水)で追いかけるのが齋藤流だ。

科学の冷徹さを趣味で補い、心のバランスを保つ

趣味人である。手作りのステンドグラスや彩木画で、自宅はさながらギャラリーの趣だ。ステンドグラスや彩木画に出会ったのは、化学研究のためにアメリカ留学した35年ほど前。招かれた友人宅でたびたび目にし、惹かれたという。

和室には彩木画の襖を設置。桃山期の美人画を題材に、着物は“辻が花”を描写。中日文化センターで彩木画の講師も務めている。

何事もとことん追求する性分。2年後に帰国し、師について学ぶ。ステンドグラスには教会などで見るケイム式とティファニーランプに代表されるティファニー方式があるが、齋藤さんが手がけるのは後者のほうだ。小さいガラスにも対応できるからだという。

自宅の半地下にある工房でステンドグラスを制作。型紙に合わせて着色ガラスを切ることから始まるという。作業台には卓球台を利用している。

一方、“彩木画”なる言葉は、齋藤さんの造語。日本では“木画”や“象嵌”、また“木象嵌”と呼ばれ、突板(つきいた、ウッド・ペーパー)で描く絵のことである。

書斎でチェロの練習をするのが朝の日課。「30余年、趣味でチェロ演奏を続けていますが、門外不出です」(笑)。チェロの表面に彩木画を施し、ネックも女性の顔に変更。譜面台も全て手作りだ。

「有機化学などの研究は神様の思し召し。1年かけた実験がすべて無に帰すことも珍しくない。それが科学者の宿命。対してステンドグラスや彩木画は、一日一日の作業が積み上がっていく。私にとって日々結果の出る趣味が、心のバランスを保ってくれるのです」

科学者の冷徹さと、趣味人の遊び心が同居する。

健康法は歩くこと。大学を退官した2年前から散歩が日課だ。「自宅から名古屋駅まで往復して2時間余りから3時間。駅のデパ地下で旬の魚などを見るのが習慣です」と齋藤さん。歩き始めて81kgあった体重が70kg弱まで落ちたという。

取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆

※この記事は『サライ』本誌2018年1月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。

 

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