
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第37回です。論功行賞が行なわれ、羽柴秀長(演・仲野太賀)に大和の国が与えられました。
編集者A(以下A):大和の国は、長らく実質的に興福寺が支配する国でした。戦国時代に入り、興福寺の宗徒だった筒井家の筒井順慶(演・永沼伊久也)が支配し、松永久秀(演・竹中直人)との間で抗争を展開しました。抗争の余波で、永禄10年(1567)に東大寺の大仏殿が焼失し、大仏も大きく損壊しました。秀長入府の18年ほど前のことです。余談ですが、東大寺大仏が再建されたのは元禄5年(1692/大仏殿は宝永6年=1709)。戦国時代の焼失から元禄の復興まで100年以上要しました。これは、秀吉(演・池松壮亮)が、東大寺大仏の再建に着手せずに、京都に東大寺大仏をはるかにしのぐ規模の方広寺大仏を造営したためです。
I:余談ついでですが、秀吉造営の初代方広寺大仏は地震で倒壊し、息子の秀頼が秀吉の十七回忌にあわせて再建しました。2023年の『どうする家康』第45回では、金色に輝く方広寺大仏と作間龍斗さん演じる豊臣秀頼が登場したのをご記憶の方も多いでしょう。
A:秀頼による2代目方広寺大仏、3代目大仏も落雷・失火などで損壊し、幕末に造営された4代目が昭和48年に火災によって焼失して今日に至ります。いまのところ5代目再建の動きはないようですが、どなたか発願してくださる方はいないでしょうか。
秀長家臣団、勢ぞろい

I:さて、本題に戻ります。秀長が大和郡山城に入りますが、城は筒井順慶の居城でした。順慶が前年に36歳の若さで病没したため、劇中で描かれたように順慶の養子の筒井定次(演・貴堂寛之)を大和から伊賀に転封させるという形になります。
I:筒井定次は明らかに不本意な表情でしたね。体よく大和から追い出されたという感じでした。
A:秀吉が「羽柴の国造りの象徴に」という意味のことをいっていましたが、それは建前で、実際には、実入りの良い国なので、「羽柴直営」にしたいというところではないかと感じています。このあたり、「秀吉推し」の人と「アンチ秀吉」の人とでは感じ方が異なると思うのですが、アンチの人から見れば、「織田家の権力を簒奪する羽柴一族だから、実入りのいい大和を強引にでも支配するのは当たり前」というふうになるのだと思います。
I:大和郡山城に入った秀長とその家臣団が勢ぞろいしました。藤堂高虎(演・佳久創)、桑山重晴(演・住田隆)のほかに、羽田正親(演・平埜生成)、小堀正次(演・萩原護)などです。これまであまり聞かない名前もありますね。秀長とその家臣団は、大和を長く支配してきた興福寺と対峙するのです。
A:制作陣は、旧態依然とした興福寺と改革をしようとする羽柴秀長を「対」にしようということなのでしょう。領内の米がおいしくないということで、秀長の娘「末(すえ)」(演・池端杏慈)が登場しました。秀長の子どもたちということでいえば、正室慶(演・吉岡里帆)の連れ子という設定の与一郎(演・大西利空)がいましたが、女子もいたようで、『豊臣秀長 「天下人の賢弟」の実像』(中公新書/和田裕弘著)などでも「秀長の妻子」という章が設けられていて検証されているのですが、劇中の「末」というのは、オリジナルキャラに近い存在のようです。
I:「興福寺=悪」という感じで描かれていたのがちょっと気になりました。「般若心経」で羽柴を調伏しているかのような場面も登場しました。『源氏物語』を題材にした能の『葵上』にも般若心経を読経しながら調伏をする場面があったりしますが、「興福寺がここでこんなことする?」という印象でした。確かに長い間大和を支配していたわけですから、なんらかの確執はあったかと思いますが、どうなんでしょう。
A:大河ドラマは「壮大なるエンターテインメント」ですから、わかりやすく「勧善懲悪」的な流れにしたのかもしれません。実際には、興福寺の宗徒(衆徒)出身とはいえ、筒井氏や松永久秀が大和の支配を争っていたことでわかるように、興福寺本体の力は以前ほどのものはなかったと考えられています。
I:ナレーションでももともと治めていた大名を転封させて自分たちが入封していると説明されていました。やっぱり羽柴秀吉らのいいとこどりだったんでしょうか。
A:筒井定次よりもわかりやすい例があります。第35回で、丹羽長秀(演・池田鉄洋)と秀長が語り合う場面がありました。丹羽長秀は、秀長に対して「秀吉に信長公を超えさせよ」と信長死後は一貫して秀吉に与していました。ところが、丹羽長秀は、天正13年(1585)4月16日に病没してしまいます。丹羽家は嫡男で、信長の娘を娶っている長重が継承しました。
I:丹羽家はどうなったのでしょうか。
A:『豊臣兄弟!』劇中では描かれませんでしたが、四国攻めの後に行なわれた佐々成政(演・白洲迅)との戦いで、丹羽長重配下から佐々成政に内通していた人物がいたという難癖をつけられ、若狭、越前、加賀の領地を若狭一国にまで削られてしまったのです。
I:劇中では、秀長と丹羽長秀が心温まるやり取りをして、丹羽長秀登場回を終えましたが、その裏では羽柴による「丹羽権力簒奪」が行なわれていたのですね。恐るべし、羽柴兄弟……。ほんとうは羽柴も悪なのではないかと思わされますね。
A:当欄では折に触れて、「本当の巨悪は、周囲に悪を悟られることなく善人として死んでいく」ということに言及しています。『豊臣兄弟!』は小学生など若い世代から支持されているといいますが、大河ドラマで歴史に触れる際には、「史実か否か」ということよりも、「無為無能無策の為政者の存在が人々を苦しめること」に加えて「本当の悪は誰なのか」ということに気づくためのトレーニングもしてほしいですね。

大和郡山城と大河ドラマ館

I:大和郡山城の普請現場も描かれました。石垣工事です。
A:大和郡山では『豊臣兄弟!』放送に併せて、大河ドラマ館が運営されています。大河ドラマファンの中には、毎年各地の大河ドラマ館を訪れるのを楽しみにされている方も大勢いますから、大和郡山城の石垣工事のくだりは、そうした大河ドラマファンにとっては見どころのひとつだと思います。
I:どういうことでしょう。
A:秀長が石垣の前に跪き、手をあわせていました。これは、石仏を石垣として転用したことで、石仏に対して手をあわせているのだと思われます。石垣に転用された石仏はいまもそのままです。石垣などに石仏を転用するのは安土城などでも行なわれていることですが、大和郡山城の石垣には、平城宮でつかわれていた石材も転用されているというのです。
I:平城宮! 秀長たちの時代から見ても850年以上前!
A:平城宮跡で野ざらしになっていたそうですよ。そうしたことを現地で確認するのも楽しいと思います。そして大和郡山城に登城すると、柳沢神社があることに驚かれると思います。
I:柳沢とは、徳川幕府第5代将軍綱吉の側近として権勢を振るった柳沢吉保の柳沢ですね。吉保の息子の吉里の代に甲府から大和郡山に転封されたということです。本丸跡にある柳沢神社は維新後の明治13年に旧藩士らの手により創建されたそうです。
A:大和郡山市内にある春岳院は、秀長の菩提寺ですが、秀長の200回忌の際に肖像画が描かれました。江戸東京博物館で開催中の『江戸東京博物館リニューアル記念・NHK大河ドラマ特別展「豊臣兄弟!」』で展示されているのです。この200回忌には柳沢家のみならず、藩祖藤堂高虎が秀長家臣だった縁で、津藩藤堂家も支援していたといいます。
I:なんだか胸熱になるいい話ですね。
良い人秀長のどんでん返し
A:さて、大和郡山に入った秀長と絡んだのが地元の庄屋石川清兵衛(演・伊藤健太郎)です。私は、仲野太賀さんと伊藤健太郎さんが共演した『今日から俺は!!』の世界観、特に仲野さんが演じていたキャラが好きだったので、このふたりが大河ドラマで共演するのは感慨深いですね。
I:同作で仲野太賀さんとコンビを組んでいた矢本悠馬さんも昨年の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で佐野政言を演じていましたね。
A:そうなんですよ。『豊臣兄弟!』の秀長は徹頭徹尾良い人キャラなのですが、『今日から俺は!!』のようにハチャメチャでもいいかと思うのですが……。
I:もしかしたら、今後秀長キャラの大どんでん返しがあるかもしれないですよ。
A:うーん。どうでしょう。そうなったらおもしろいですけどね。

●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











