秀長(演・仲野太賀)が治める大和でも刀狩が行なわれた。(C)NHK

ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第43回では、豊臣政権による「刀狩」が描かれました。歴史教科書などにも登場する豊臣政権の大きなトピックスです。

編集者A(以下A):秀吉(演・池松壮亮)が「侍をのぞく全ての民から、全ての刀、戦道具を召し上げる。さすれば、こたびのような一揆も二度と起きまい」と、九州平定後に肥後で発生した国人一揆を受けての決断であることが強調されました。

I:すでに後継者気取りの秀次(演・山田涼介)は否定的でしたが、秀長(演・仲野太賀)は、「容易なことではないのは、火を見るより明らか」「だが、やるべきじゃ」と推進する立場を鮮明にしました。劇中では、秀長が「殿下が進められている、京の大仏殿建立……差し出された刀や槍は、全て釘やかすがいに作りなおして、その大仏建立のために使うと知らせるのじゃ。差し出した者は皆、子々孫々に至るまで、極楽浄土に行けると」という台詞を発します。

A:『豊臣兄弟!』は、小学生など若い世代の視聴者が多いというふうにいわれていますが、その観点からは、このくだり、ものすごく重要な場面です。山川出版社の教科書『詳説 日本史』を参照すると、秀吉の治績を紹介する中に「1588年(天正16)には百姓から刀・脇差などの武具を取り上げるよう命じる刀狩令を出し、一揆を防止し、百姓を耕作に専念させる意図を示した」という記述があります。同書には、当時の史料も所収されています。天正16年(1588)の7月8日に小早川隆景に出されたものです(小早川文書)。そこには、「諸国百姓、刀、脇差、弓、槍、鉄炮、そのほか武具の類所持候事~」で始まり、「今度大仏建立の釘、かすかひに仰せつけらるべし。然れば、今生の儀は申すに及ばず、来世までも百姓たすかる儀に候事」という文言もあります。

I:劇中でも法令が読み上げられましたが、教科書『詳説 日本史』に掲載された史料に準拠した形になっているのですね。

A:小学生、中学生の視聴者は、この場面を頭にとどめておいたらいいと思います。『詳説 日本史』の秀吉のくだりには、「バテレン追放令」についても「教会がキリシタン大名を通じて力をもち、大村純忠が長崎をイエズス会に寄付していることなどを知って警戒を深め、宣教師に国外退去を命じ(バテレン追放令)」という記述で説明されています。さらに、第43回では、秀長と千利休(演・吉岡秀隆)とのやり取りの中で、利休が興味深いことをいっていました。「この短い間にようここまでおやりになられましたなぁ。(饅頭の上に饅頭をどんどん積み重ねながら)検地……惣無事……バテレンの追放……喧嘩停止……海賊禁止……そして刀狩……」と秀吉の業績を並べました。これも歴史教科書に記されていることなので、子供たちは記憶に留めておいたらよいと思います。

I:それにしても織田信長(演・小栗旬)が斃れてから6年にしてこれだけの業績をあげているのですから、秀吉も秀長も働きづめだったんでしょうね。

A:『豊臣兄弟!』を楽しみにしている子供たちに向けて敢えて言及しますが、豊臣政権が各地の大名に「刀狩令」を発令したのが史実になります。東大の山本博文教授(2020年没)の著書『消された秀吉の真実 徳川史観を越えて』(柏書房)の受け売りですが、「確認できる刀狩令の原本」は13例あるそうです。劇中の大和の事例、秀次の事例などはほぼ創作ということになります。

豊臣兄弟の事績を饅頭で表す利休(演・吉岡秀隆)。(C)NHK

秀吉が方広寺に大仏を

I:さて、秀長が「大仏じゃ」と刀狩を大仏造営に資するというアイディアを思いつきましたが、刀狩で供出された刀剣などを大仏建立のために使うというのは、前述の教科書にも記載された小早川文書にもある通り、これも史実に準じた描写になります。

A:ここでいう大仏は、奈良東大寺の大仏ではないということにご留意ください。奈良の大仏は、永禄10年(1567)に松永弾正久秀らの合戦に巻き込まれて大仏殿が焼失した際、損壊しました。損壊した大仏は長期にわたって野ざらしとなったと伝えられています。治承4年(1180)に平重衡によって焼失した際には、5年後に重源らの勧進、源頼朝の支援により再建されましたが、秀吉らは東大寺の大仏再建は頭になかったようです。

I:ということで、『豊臣兄弟!』で、秀長らによって言及されているのは京都の方広寺にあらたに造像された大仏になります。方広寺の大仏は奈良の大仏よりも大きかったといわれています。秀吉がかかわった大仏は慶長大地震で倒壊して、秀吉の息子の秀頼が二代目を造像します。このとき、大坂の陣のきっかけとなった「君臣豊楽」「国家安康」の銘が刻まれたのですね。

A:東大寺の大仏が再建されるのは、徳川幕府第5代将軍徳川綱吉の時代です。

戦国大名の銅像も供出された戦時下の法律

I:刀狩の余談になりますが、豊臣秀吉の「刀狩令」で想起されるのが、戦時中の昭和16年の「金属類回収令」という法律です。戦時下で金属類が不足し、全国の銅像や貴金属類などが回収されました。

A:全国の学校にあった二宮金次郎像や寺院の梵鐘などが供出されたようです。戦国大名関連では、弘前藩の初代藩主津軽為信銅像が昭和19年(1944)に供出されています。地元紙「陸奥新報」の記事「戦争で消えた為信像」(2018年4月30日)によれば、供出に際して、銅像壮行式が挙行され、祭事や市長の訓示もあったそうです。仙台の伊達政宗像も供出が決まっていたそうですが、一度は供出されたものの、胸から上は難を逃れたそうです。

I:刀狩令から金属類回収令まで350年ほど経過しています。同じような歴史がまた繰り返したりするのですかね。

A:「さすがにもうそんなことは起きませんよ」と言い切れないのが歴史の教訓ですよね。

●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。

●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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