
信長四男の羽柴於次秀勝はどうなった?
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』も第37回。なんだか今年もあっという間ですが、終盤になってくると、そういえば、あの人はどうしたのだろう? という人物がちらちら浮かんできます。まずは、信長(演・小栗旬)四男で、秀吉(演・池松壮亮)の養子となっていた羽柴秀勝(演・柊木陽太)です。羽柴秀勝は3名いるのですが、於次秀勝と呼ばれる人物で、京都大徳寺で行なわれた信長葬儀では喪主を務めたんですよね。ここまでは劇中で確認できます。
編集者A(以下A):小牧・長久手の戦いにも出陣しています。『豊臣兄弟!』劇中では、三好信吉(演・山田涼介)の去就がメインだったので、於次秀勝は登場していませんでしたが、同合戦が和議となった天正12年(1584)11月の翌12月に毛利輝元(演・濱正悟)の養女と大坂城で婚礼の儀を行ないました。
I:毛利家の姫と婚礼とは、やはり期待されていたのですね。
A:ところが、於次秀勝は病に倒れ天正13年(1585)12月に亡くなります。享年18。なんでこんなに早く逝ってしまったのでしょうか。土佐の長宗我部が降伏したのが7月、佐々成政(演・白洲迅)との戦いが8月、秀長(演・仲野太賀)の大和郡山入りが9月。於次秀勝の死はそうした慌ただしい中での出来事でした。彼が健在であれば、羽柴家の行く末もずいぶん違ったものになったと思われます。
I:でも『豊臣兄弟!』では於次秀勝の死はスルーなんですね。
A:於次秀勝は病弱だったようで、秀吉もどこかで見切りをつけたのでしょう。三好康長(演・妹尾正文)の養子になっていた三好信吉を重用するなど、シフトチェンジもしていたようです。於次秀勝の死をスルーするのは、当時の羽柴一族の「空気感」を再現しているような気もします。
宮部継潤はどうなった?
I:織田信長が近江の浅井氏と争っている際に、調略の対象となったのが宮部継潤(演・ドンペイ)。羽柴家から秀吉と小一郎の姉とも(演・宮澤エマ)の長男万丸(後の三好信吉、秀次)を人質含みの養子として差出した人物です。そういえばいつの間にか登場しなくなりました。
A:宮部継潤は、秀吉のそば近くに仕える近臣となり、各地を転戦します。中国攻めの後は、鳥取城主として一国一城の主に抜擢されていました。羽柴軍の四国攻めの後に勃発した佐々成政との合戦にも九州平定の際にも出陣していますし、もっと登場していてもおかしくないのですけどね。
I:なんだか印象深いキャラだったので、登場しなくなって寂しいという視聴者もいるかと思います。
A:ほんとうですね。
有馬温泉の描写
I:1996年の大河ドラマ『秀吉』で印象に残っている場面があります。「温泉に行きたく候」という副題がついた第25回です。播磨攻めを終えた秀吉(演・竹中直人)とおね(演・沢口靖子)が、乳白色のお湯に夫婦水入らずで入浴する場面が描かれました。
A:秀吉といえば有馬温泉なのですが、『豊臣兄弟!』では、有馬温泉の場面が出てこないですね。
I:1995年の阪神淡路大震災の際に被災した極楽寺の修繕に絡んで発見されたのが、太閤秀吉が実際に入湯したと伝承されてきた湯山御殿の遺構です。翌年放送の『秀吉』第25回冒頭でも、湯殿発見のニュースが言及されていました。
A:記録に残っている秀吉の有馬入湯は9回だそうですが、『秀吉』劇中で描かれたのは、その9回とは別の設定でした。実は1981年の『おんな太閤記』でも秀吉(演・西田敏行)とねね(演・佐久間良子)が有馬へ湯治に行く場面が描かれました。この時は秀吉の入浴シーンばかりでしたが、秀吉とねねがふたりだけで食事をし、食後に秀吉が音を出して放屁するくつろいだ場面も登場したのです。
I:『豊臣兄弟!』でも有馬温泉の場面があったら良かったですよね。秀吉と秀長兄弟、寧々(演・浜辺美波)と慶(演・吉岡里帆)がそろって有馬温泉というアレンジはあってもよかったかなとは思いますね。
A:1996年の『秀吉』では、「秀吉の有馬入湯記録」と題して、記録に残る9回のうち、秀吉が合戦終了の節目に訪れたという4度の記録を提示しました。「天正11年 賤ヶ岳の合戦 11日」「天正12年 小牧長久手の戦い 7日」「天正13年 四国平定 7日」「天正18年 関東・奥州平定 20日」です。
大河主人公の山内一豊も登場せず
I:2006年の『功名が辻』は、秀吉家臣山内一豊の正室千代が主人公の大河ドラマでした。一豊を上川隆也さん、千代を仲間由紀恵さんが演じました。原作小説は司馬遼太郎さんの『功名が辻』ですが、同作は1973年の『国盗り物語』の原作にもなっていて、一豊を東野英心さん、千代を樫山文枝さんが演じています。
A:2006年の『功名が辻』では主人公ということで、当然ながら常に秀吉(演・柄本明)に近侍して活躍していたのですが、『豊臣兄弟!』ではキャスティングすらされていません。
I:2014年の『軍師官兵衛』で主役となった黒田官兵衛(演・岡田准一)は、『豊臣兄弟!』でも登場しているのですけどね(演・倉悠貴)。山内一豊は千代とセットのような印象を持たれているのかもしれないですね。
A:第37回で蜂須賀小六正勝(演・高橋努)が、論功行賞で阿波一国を与えられたのを固辞して嫡男家政に与えてほしいといったというのは事実です。後に、阿波の隣国土佐が山内一豊の領地となり、阿波と土佐は幕末まで蜂須賀、山内で支配していくわけです。
将軍足利義昭
I:当欄では幾度も言及していますが、元亀四年(1573)に京都から追放された室町幕府第15代将軍足利義昭(演・尾上右近)は、未だ現職将軍として備後国鞆の浦(広島県福山市)に滞在していました。鞆の浦は毛利領になります。
A:1996年の『秀吉』最終回では、僧形の足利義昭(演・玉置浩二)と秀吉が大坂城内の広間で蹴鞠に興じる場面が描かれました。将軍職を返上したのちは、秀吉の御伽衆として近侍したようです。足利義昭の系統は、孫たちがいずれも僧籍に入ったため断絶しています。江戸時代に喜連川藩として維新まで存続したのは、鎌倉公方→古河公方の足利家の末裔です。
I:『豊臣兄弟!』で足利義昭を演じた尾上右近さんは、骨太の義昭を演じてくれました。それだけに、秀吉の御伽衆になるまで登場してほしかったですね。
A:秀吉が初めて上洛した際には、その身分差が逆転することになるとは思いもよらなかったでしょう。晩年のふたりの間でどのようなやり取りが交わされたのか。気になりますね。
丹羽長秀の三男と秀長・藤堂高虎
I:丹羽長秀(演・池田鉄洋)は、第35回で秀長との間でほのぼのとしたやり取りが交わされました。
A:劇中では描かれませんでしたが、丹羽長秀の三男高吉が秀長の養子となっていました。その後、高吉は、男子のいなかった藤堂高虎(演・佳久創)の養子になって藤堂高吉を名乗ります。
I:高虎の養子になった後に、高虎に実子が誕生してしまい、藤堂高吉は藤堂家を継ぐことができませんでした。
A:紆余曲折があって、藤堂高吉は現在の三重県名張市を拠点とする名張藤堂家の祖となります。津藩藤堂家と名張藤堂家はあまり仲がよくなかったようですね。名張藤堂家は一時、藤堂家の通字「高」の字ではなく丹羽家の通字「長」を使用していたといいます。
I:名張といえば、赤目四十八滝。ここでは「忍者体験」ができることで知られています。一度行ってみたいのですが……。
A:せっかく大河ドラマに藤堂高虎が登場しているのですから、藤堂高吉もキャスティングしてほしかったですね。そうしたら35回の秀長と丹羽長秀の場面もより意義深いものになったのではないかなと思ったりします。
●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











