文・写真/中川豊

ミケランジェロは1475年3⽉6⽇アレッツォ近郊で⽣まれ、1564年2⽉18⽇ローマで没す(享年88歳)。14歳の頃、豪華王ロレンツォに見出された彼は、メディチ家の庇護の下フィレンツェでその才能を開花させ、21歳の若さでローマ・デビューを果たす。以降紆余曲折を経て1534年以降ほぼローマに暮らしていた。そこで彼の残した彫刻、建築、絵画を⾒て天賦の才を実感し、腐敗しきったヴァチカンへの反逆と妥協の人生に想いを馳せ、彼を癒した最愛の⼆⼈との思い出の場所を尋ねた。

第1回  ローマ旧市街・⻄側〜ヴァチカンを中⼼に歩く ユリウス2世他教皇たちとの確執と融和

「マルタ騎⼠団の館」の鍵⽳からサン・ピエトロ聖堂を望む。

キリスト教の総本⼭サン・ピエトロ⼤聖堂はユリウス2世の命で主任建築家になったブラマンテが1506年に着⼯し、レオ10世がラファエロを、パウロ3世がミケランジェロを主任建築家とした。完成は1626年で実に120年の歳⽉を要した。


クーポラとエジプトから運ばれたオベリスク。

早朝にサン・ピエトロ聖堂を訪れた。まだ観光客が少ない聖堂前の広場からミケランジェロが設計したクーポラを眺める。教皇パウロ3世(78歳)がミケランジェロ(71歳)を主任建築家に任命、彼は断り切れず受ける。クーポラに上がるエレベーターもまだ空いている様だが、そこから先の階段を思うと、もういいかなと躊躇してしまう。

「ピエタ」に刻まれたミケランジェロの名前

24歳のミケランジェロのローマ・デビュー作「ピエタ」は聖堂を⼊ってすぐ右側にある。1499年この作品のお披露⽬の際、観客の作品への称賛の嵐の中で「作者は誰だろう。フィレンツェ⼈以外だろう」と⾔う声が柱の影にいた彼に聞こえてきたという。短気な彼はカッとなり、その夜決死の覚悟で⼤聖堂に忍び込み「フィレンツェ出⾝、ミケランジェロが制作」とマリアの飾り帯に刻んだ。作者の名を刻む事が禁じられていた当時、余程の恐れで慌てたのか、ラテン語で刻んだ⾃分の名前の綴りを間違えた。この一件以降、彼は一切の作品に名を入れる事はなかった。

また1972年精神疾患の男に破壊された部分の修復作業中、マリアの左⼿のひらに⼿相に似せて隠した「M」の⽂字が発⾒された。彼の⾃⼰顕⽰欲が良くわかる。因みに前者は当時教皇に許しを乞い事なきを得たが、後者は教皇庁が認める1973年まで許されていなかった事になる。 その痕跡を確かめようといくら⽬を凝らしても、ガラス越しに遠くから⾒るピエタにそれは叶わない。

この出世作に続いて彼は数々のピエタ(全4体とされている)を作っているが、2体はフィレンツェ、もう1体の死直前まで彫られていた「ロダニーニのピエタ」はローマのアトリ エに残されていた。様々な経過で今はミラノのスフォルツェスコ城にある。


ヴァチカン美術館全景。右下がシスティーナ礼拝堂。
クーポラから。(2016.7撮影)

ユリウス2世の肝⼊りで始まったヴァチカン美術館

悪名⾼いユリウス2世の唯⼀の⻑所は「審美眼」と⾔われている。ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロを⾃在に使って美術館の基礎を作った。ヴァチカン美術館は事前予約でも炎天下の中、⻑い列で待たされてから⼊場するほどの人気だ。ペットボトル売りもいるが、⾏列の途中に無料給⽔機がある。ここはガス⼊り、無しの2種の水が出る。

1⽇ではとても⾒切れないお宝満載の美術館だが、今⽇はミケランジェロに多⼤な影響を与えた⼋⾓形の中庭(ベルベデーレの中庭)にあるギリシア時代の彫像「ラオコーン群像」ミューズの間にある「ベルベデーレのトルソ」だけを⾒て、「ラファエロの間」を通り抜けてシスティーナ礼拝堂に向かう。

システィーナ礼拝堂

コンクラーベの会場としても有名なここは1481年シクストゥス4世の命でエルサレムのソロモン神殿を真似て建てられた。その大きさはソロモン神殿に倣い全長約40メートル、幅約13メートル、高さ約20メートルある。この広大なスペースにミケランジェロが苦悩と苦痛の中で描いたフレスコの傑作、天井画と祭壇画がある。

薄暗く、渋⾕スクランブル交差点以上の⼈の混雑と、感動に声を上げる観客に、警備員の「静粛に」「ビデオ、写真禁⽌」の声が余計に騒⾳となっている。それでもその⽬を盗んで写真、ビデオを撮るしたたかな輩。それが礼拝堂の今だ。混雑でミケランジェロが意味を込めた床のモザイクも⾒られない。⼤修復で蘇ったミケランジェロの輝く⾊彩も霞んで良く⾒られない。それでもなお世界中の人々を魅了し引き付ける所だ。

題名のない天井画

最⼤の天敵「恐怖の教皇」ユリウス2世から命じられた天井画はミケランジェロ(33歳)にとって全くやりたくない仕事だった。「私は彫刻家であって画家ではない」との⾔葉が知られているようにフレスコ画は彼にとって未知に等しい事だった。これは当時ユリウス2世に重⽤されていたブラマンテのミケランジェロに対する嫉妬からくる策略とも⾔われている。

また当時フィレンツェ市庁舎の壁にダ・ヴィンチとミケランジェロがフレスコ画を描くという天才対決企画が進められていた。双⽅下絵まで進めたが結局2⼤対決は共に未完に終わる。ユリウス2世はその下絵を⾒て彼なら描けると思ったに違いない。さてユリウス2世から下されたキリスト教賛美の天井画の構想が、なぜキリスト以前の天地創造、預⾔者、巫⼥に埋め尽くされたのか? どうやって教皇に「好きなように描け」と⾔わせたのか? なぜ天井画には作品名がないのか? そんな事を夢想しながら筋⾁質の巫⼥、⼥性像を眺める。

「世界美術大全集」第12巻「ピエタ」と「システィーナのミケランジェロ」。

「最後の審判」完成後にキリストの腰布はあったのか?

天井画完成から23年後、またまたミケランジェロに無理難題がふりかかる。教皇クレメンス7世の意思を継いだ教皇パウロ3世の命でミケランジェロ(61歳)が1536年に着⼯し5年をかけて完成させた。

1980〜1994年の⼤修復でミケランジェロの⾊彩が甦った天上画に暫し感動し、最近メンテナンスが⾏われた「最後の晩餐」に向かい合う。1541年完成前後から「裸ばかりで卑猥だ」などと⾮難され、急先鋒の教皇の儀典⻑チェゼーナは「神聖なここではなく居酒屋か⾵呂屋に描け」とまで⾔った。ミケランジェロはこれを聞き、画の右下隅に地獄の裁判官「ミノス」の顔をチェゼーナそっくりに描き、さらには体に巻き付いた⼤蛇に陰部を噛ませている。チェゼーナは慌てて教皇に泣きついたが、教皇は「天と地の事は私の仕事だが、地獄の事はそれではない」と⾔って聞き⼊れなかった。礼拝堂に⼊りすぐ振り返り画を⾒上げるとそこにミノスが⾒られる。

その後1563年のトリエント公会議で「宗教美術での裸体表現の制限」が設けられ「最後の審判」にも影響が及んだ。翌年から弟⼦ヴォルテッラによって多くの腰布が付けられ、その後も多くの加筆が⾏われた。⼤修復で蝋燭の煤煙等で煤けていたそれを洗い流し後世の加筆も取りミケランジェロの⾊彩は蘇ったが、腰布の全ては取られた訳ではなかった。

ではそのミケランジェロが描いた画をもう⾒る事はできないのか。実は完成後に弟⼦ヴ ェヌスティによって模写された複製画がナポリにある(この話は第3回にて)。

※堂内は撮影禁⽌で写真をお⾒せできないが、⼤修復直後に発刊された「世界美術⼤全集」第12巻「システィーナのミケランジェロ」を⾒ていただきたい。全集では画の細部が、後者では ⼤修復の過程が良くわかる。

※またヴァチカン美術館公式サイトhttps://www.museivaticani.vaでバーチャルツアーが楽しめる。混雑もなく快適。

サンタンジェロ城 謎の窓枠…なぜこんなに⼩さいのか?

サンタンジェロ城の先端にある大天使ミカエル像。

サン・ピエトロ聖堂から歩いて10数分で到着。サンタンジェロ城とヴァチカン宮殿との間には教皇の避難路として秘密の抜け道が今もある。城には事前予約をしなくてもスムーズに⼊れる。城内にカフェがあるが、喉を潤す泉は⼊り⼝近くにしかない。

ミケランジェロの建築家としての最初の仕事と⾔われる「レオ10世の礼拝堂」の窓枠(ファサード)は、天使の中庭にこじんまりとある。フィレンツェ時代の幼馴染みレオ10世(メディチ家出⾝)の命で1516年に作られた。窓枠は彫刻家ミケランジェロらしく立体的で力強く陰影を感じさせる。思いの外小振りなのは、当時教皇はラファエロを寵愛し、気難しいミケランジェロを冷遇していたからなのか。だが後年メディチ家の菩提寺サン・ロレンツォ聖堂を彼に造らせた。教皇はミケランジェロの才能を認めざるを得なかったのだろう。

「レオ10世の礼拝堂」窓枠(ファサード)。

集めに集めた宝の⼭ ファルネーゼ宮殿

ヴァチカンの財政を握ったファルネーゼ⼀族は正に欲しいままに芸術品、宝飾、貴⾦属などを集めた。 建物はパウロ3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ)の私邸でジョーバネからミケランジェロが引き継いで完成させた。正⾯ファサードの蛇腹(コーニス)など圧倒的な外観に驚く。


「ファルネーゼ宮殿」ファサード。

現在はフランス⼤使館として使われているため、内部の⾒学は事前予約が必要だ。少⼈数のガイド付きツアーが適宜催⾏されており、今回は運良く予約ができ空港より厳しい検査を受け内部に⼊る事ができた。

中庭から⾒るジョーバネが作った1階とミケランジェロが作った2階とは明らかに違う。また彼はそこから望むテヴェレ川に橋を掛け教皇の別邸・ファルネジーナ荘につながる空中ギャラリーを計画していた。それが実現していればフィレンツェの「ヴァザーリの回廊」の様だったのでは、との妄想にかられる。現在別邸は美術館として公開され、ラファエロのフレスコ画などで観光客を楽しませている。

宮殿内にはヘラクレスの間(ここにある巨像はレプリカで本物はナポリ国⽴考古学博物館にある)などがあり、またプッチーニがここで構想を練った「トスカ」第2幕の舞台としても知られている。内部の装飾にはファルネーゼ家の紋章「百合の花」が散りばめられている。フランスの紋章も同じ「百合の花」だが何かの因縁なのだろうか。また地下にはネロの時代の遺跡が近年発掘され⾒る事ができた。ローマの深さを実感する。内部は写真撮影が禁⽌のため、お⾒せできないのが残念だ。

左がファルネーゼ宮殿裏。アーチを通り橋をトラステベレ側まで架ける計画だった。

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会 抜け道にミケランジェロのキリスト像が!


左手が抜け道。(2016.7撮影)

教会は大混雑のパンテオン裏手にひっそりとある。正⾯祭壇の左側から街への抜け道がある。その⼿前に何気なくあるキリスト像。この「贖いのキリスト」はフィレンツェで作られローマに運ばれた後、弟⼦の⼿によって完成した。不恰好な腰布はもちろん後でつけられた物だ。無料で⼊れるが、今回訪れた際は教会の修復中で抜け道は塞がれていた。教会の前庭にはベルニーニの象の像、フィリピーノ・リッピのフレスコ画など⾒所は多い。パンテオンは最近有料化されたが、いつも混んでいるので事前予約が望ましい。近くには夜も楽しいナボーナ広場があり昼夜を問わず観光客で賑わう。

ついでに訪れたい、ナボーナ広場周辺の巨匠作品が無料で⾒られる三つの教会

サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会


カラバッジョ「聖マタイの三部作」。

教会左奥のコンタレッリ礼拝堂にあるカラバッジョの「聖マタイの三部作」。彼の出世作であり美術史に⾰命を起こした作品だ。⼊場は無料だが、照明料⾦⽤に数ユーロコインを持つ事をお勧めする。

サンタゴスティーノ教会

ラファエロ「預⾔者イザヤ」。

体の⼤きな捻りは、システィーナ礼拝堂天井画を盗み見たラファエロがミケランジェロの⾁体表現に多いに影響された事が⾒て取れる。

カラバッジョ「ロレートの聖⺟」。

マリアのモデルがカラバッジョの愛⼈で⾼級娼婦レーナだった事からローマ中を驚かせた。それにしても艶めかしいマリアだ。

サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会

ラファエロ「シュビラ(異教の巫⼥)たちと天使」。

主題から⾒てもミケランジェロの影響⼤な作品だが、筋⾁質のミケランジェロに対してラファエロは優美だ。

※ローマで見られるカラバッジョ作品についてはhttps://serai.jp/tour/80780で。

本好きにはここも

アンジェリカ図書館

アンジェリカ図書館閲覧室。

1604年修道⼠ロッカによって作られた。公⽴図書館の先駆けとされ、20万冊に及ぶ古書・写本の宝庫だ。

本の泉で喉を潤そう

本の泉。

ローマにはたくさんの泉があるのでペットボトルの必要はない。道端にある泉は本やワイン樽の形など様々だ。

今⽇の⼆⽫…散歩の後に。明⽇のために!

「Zia Restaurant の⽣シャコ ポルチーニ、パセリソース」

茶色はポルチーニ、緑はパセリのソース。

ナボーナ広場、パンテオンからシスト橋を渡るとトラステベレ地区だ。近年⼤観光地化しており夜は⼤変な賑わいだ。その喧騒を抜けた住宅街にある注⽬のレストラン。アラカルトもあるが初訪問なので5⽫の定⾷、ワインのペアリングを頼んだ。その⼀⽫が「⽣シャコ」。寿司屋でも滅多にお⽬に掛からない⽣のシャコ、何とも滑らかでポルチーニの深い味とパセリの⾹りがその⽢味を⼀層際⽴たせる。シェフに寿司にインスパイアされたのかと聞くと「いやローマの料理だ」との事だが、⽣でシャコを出す技術には驚かされた。

輸⼊禁⽌のプロシュートでアペリティーボを!

2022年以来⽇本への輸⼊禁⽌のプロシュートをつまみにアペリティーボを是非楽しもう。街⾓のサルメリアで⾓打ち⾵にやっている店が多く⾒られる。輸⼊禁⽌の原因は猪からの伝染病豚コレラだが、⽇本での⿃インフルエンザの様に厳重に管理されているので、問題なく⾷べられる。

写真は左からプロシュート(サンダニエーレ)、ブレザオーラ(⽜)、チンギアーレ(猪)。

第2回はミケランジェロの⼆⼈の愛⼈、コロンナ夫人と美⻘年カヴァリエーリ所縁の地を歩く。

※データは2026年6⽉現在

【参考⽂献】
「システィーナのミケランジェロ」⻘⽊昭(⼩学館)、「世界美術⼤全集」第12巻(⼩学館刊)、「ルネサンス画⼈伝」ヴァザーリ(⽩⽔社)、「ミケランジェロの暗号」ベンジャミン・ブレックロイ・ドリナー(早川書房)

文・写真/中川豊
1949年生まれ。旅人、メディア・プロデューサー。1971年5月から約9か月をかけキャンピングカー(三菱J-30を改造)で走破。経路はインド・コルカタから中近東、北アフリカを経てジブラルタル海峡を渡り、最終地はポルトガル・リスボン。以来旅を続け、訪れた国は80を超える。

 

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