はじめに-有岡城の戦いとはどのような事件だったのか

「有岡城の戦い」とは、天正6年(1578)、摂津国の有力武将・荒木村重が織田信長に反旗を翻し、有岡城に籠城したことから始まった戦いです。

有岡城は、現在の兵庫県伊丹市にあった城で、もとは伊丹城と呼ばれていました。山陽道の要衝に位置し、荒木村重が入城後に大改修を行い、町場をも取り込んだ大規模な惣構の城へと整えられました。

この戦いは、単なる一武将の反乱とは言い切れません。石山本願寺や毛利氏との戦いが続く中、信長の畿内支配を大きく揺るがした事件でした。

また、羽柴秀吉にとっても、参謀・黒田官兵衛が有岡城に幽閉されるという深刻な事態を招いた、苦い出来事でもあります。

この記事では、「有岡城の戦い」についてご紹介します。

史跡 有岡城跡
史跡 有岡城跡

有岡城の戦いはなぜ起こったのか

荒木村重は、もとは摂津(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)の池田氏に仕えた武将でした。その後、織田信長に従い、摂津一国の支配を任されるほどに重用されます。天正2年(1574)には伊丹城を攻略し、有岡城と改めて本拠としました。

村重は以後、石山本願寺攻めや播磨(現在の兵庫県南部)方面の戦いなど、信長の命に従って各地を転戦します。羽柴秀吉とともに播磨経略にも関わり、上月(こうづき)城の救援や神吉城攻めなどにも参加しました。

ところが天正6年(1578)、村重が信長に背くという噂が広まります。配下の者が、兵糧に苦しむ石山本願寺へ密かに米を売ったという風説があったようです。村重は釈明のため信長のもとへ赴こうとしたものの、「安土へ行けば処刑されるのではないか」と周囲に止められ、ついに反乱を決意したといわれています。

この反乱の背後には、石山本願寺や毛利氏、足利義昭ら反信長勢力とのつながりもありました。信長にとって村重の離反は、畿内と西国戦線を結ぶ重要地点で起きた重大な裏切りだったのです。

関わった人物

有岡城の戦いに関わった主な人物についてご紹介します。

【荒木方】

荒木村重

荒木村重
荒木村重

摂津の有力武将。信長に従って頭角を現し、摂津一国の支配を任されました。有岡城を本拠とし、大規模な城郭へと改修します。

しかし天正6年(1578)、本願寺や毛利氏と結び、信長に反旗を翻しました。有岡城に籠城しますが、翌年、城を脱出して尼崎城へ逃れます。その後、毛利氏を頼って落ち延び、信長の死後は茶人として生きました。

荒木村次(あらき・むらつぐ)

村重の嫡子。尼崎城を守っていたとされ、有岡城脱出後の村重が頼った人物でもあります。明智光秀の娘を妻としていたため、有岡城落城後、村次の妻は処刑を免れました。

荒木だし

荒木だし
荒木だし

荒木村重の妻。「今楊貴妃」と称されるほどの美貌を持っていたといわれています。有岡城落城後、村重の一族とともに捕らえられ、京都六条河原で処刑されました。村重本人が逃れた一方で、妻子や一族が苛烈な処罰を受けたことは、この戦いの悲劇性を強く印象づけています。

山脇重信(やまわき・しげのぶ)

荒木村重方の足軽大将。のちに変節し、有岡城落城の原因をつくった人物とされています。内部からの崩れが、長期籠城の終わりを早めたことがうかがえます。

【織田方】

織田信長

織田信長
織田信長

荒木村重の反乱を鎮圧した人物です。当時、信長は石山本願寺や毛利氏との戦いを進めており、村重の離反は大きな打撃でした。

信長は有岡城を包囲し、高山右近・中川清秀ら村重方の有力武将を降伏させます。落城後には村重の一族や家臣の妻子に厳しい処罰を下しました。

織田信忠

織田信忠
織田信忠

信長の嫡男。播磨攻め、石山合戦、有岡城攻めなどに参陣し、信長の後継者として軍事経験を重ねていました。

織田信孝

織田信孝
織田信孝

信長の三男。荒木村重の有岡城攻略にも従軍したとされます。のちに本能寺の変後、羽柴秀吉とともに明智光秀を討つことになります。

明智光秀

明智光秀

信長の重臣。荒木村重討伐にも加わりました。光秀の娘は荒木村次に嫁いでいたため、この反乱は光秀にとっても複雑な意味を持つ出来事でした。

高山右近

高山右近
高山右近

高槻城主で、荒木村重に従っていましたが、信長方に降伏しました。キリシタン大名として知られ、信仰と武将としての立場の間で苦しい選択を迫られた人物です。

中川清秀

中川清秀
中川清秀

茨木城主で、当初は村重方に加わりましたが、のちに信長に降伏しました。中川清秀の離反は、村重の孤立を決定づける大きな要因となりました。

羽柴秀吉

豊臣秀吉
羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)

中国方面の攻略を進めていた信長の重臣です。荒木村重はそれまで秀吉とともに播磨戦線で働いており、村重の反乱は秀吉にとっても大きな痛手でした。

特に、秀吉の参謀であった黒田官兵衛が村重説得のため有岡城へ向かい、そのまま捕らえられて幽閉されたことは重大でした。官兵衛不在のまま、秀吉は三木城攻めなどの難局に向き合うことになります。

黒田官兵衛

黒田官兵衛
黒田官兵衛

秀吉に仕えた軍師です。荒木村重を説得するため有岡城へ赴きましたが、逆に捕らえられ、城内に幽閉されました。

官兵衛は翌天正7年(1579)、有岡城落城の際に救出されます。長期の幽閉で身体に大きな後遺症を負ったとされますが、その後も秀吉の中国攻めや天下取りを支える重要人物となりました。

この戦いの内容と結果

天正6年(1578)10月、荒木村重は石山本願寺の顕如らと結び、信長に背いて有岡城に籠りました。

信長はただちに安土城を発ち、11月には古屋野(こやの)の陣に入り、有岡城を包囲します。12月には主力部隊を塚口に置き、有岡城を総攻撃するものの、落ちませんでした。

しかし、やがて村重に従っていた高山右近や中川清秀は相次いで降伏し、村重は次第に孤立していきます。

有岡城は、伊丹城をもとに村重が大改修した城で、町場を外郭に取り込む惣構の構造を備えていました。宣教師ルイス・フロイスも、天正5年(1577)にこの城を訪れ、「壮大で見事な城」と記しています。それほどの堅城であったため、籠城は長期化しました。

有岡城石垣
有岡城石垣

しかし天正7年(1579)9月、形勢不利と見た村重は、ひそかに有岡城を脱出して尼崎城へ移ります。そこで、本願寺、雑賀、毛利方へ援軍派遣を要請しますが、村重が望んだように援軍は来なかったといわれています。

有岡城の町は信長方に取られ、10月、上臈塚砦から信長軍が侵入し、侍町に火が放たれます。主将を失った有岡城はなお抵抗を続けましたが、もはや守りきれず、同年11月に落城しました。

その後、信長は村重の一族や家臣の妻子に苛烈な処罰を下します。『信長公記』によると、天正7年(1579)12月13日、村重の家臣の妻子500余人を尼崎で処刑。さらに16日には、村重の妻・だしをはじめ一族36人が京都六条河原で磔にされ処刑されたといいます。このとき、だしは首を斬られる際、髪を結い直し、毅然とした態度で首を差し出したともいわれています。

この処罰は、当時の人々にとっても前代未聞のもので過酷なものでした。『立入左京亮入道隆佐記』には「かやうのおそろしき御せいはいは、仏之御代より此方のはしめ也」と記述され、当時の人々に与えた衝撃の大きさを物語っています。

「有岡城の戦い」その後

有岡城の落城によって、荒木村重の反乱は事実上終息しました。村重は尼崎城からさらに花隈城へ移りますが、最終的には毛利氏を頼って落ち延びます。

一方、信長にとっては、摂津の重要拠点を回復したことで、石山本願寺への圧力を強めることができました。荒木村重の反乱は一時的に本願寺側に有利な状況をつくりましたが、有岡城の落城後、本願寺はさらに追い詰められていきます。

秀吉にとっては、黒田官兵衛の救出が大きな意味を持ちました。官兵衛は幽閉によって大きな苦難を受けましたが、その後も秀吉の軍師として活躍します。有岡城の戦いは、秀吉陣営にとっても忘れがたい事件だったといえるでしょう。

なお、有岡城はその後、城としての役割を失っていきます。現在は伊丹市に有岡城跡として残り、国の史跡にも指定されています。

まとめ

有岡城の戦いは、荒木村重が織田信長に反旗を翻したことで起こった、畿内を揺るがす大事件でした。

また、この戦いでは黒田官兵衛が有岡城に幽閉されるという、秀吉にとっても重大な出来事が起こりました。官兵衛の救出後、秀吉は再び中国攻めを進めていきます。

有岡城の戦いは、信長の畿内支配、本願寺との戦い、そして秀吉の中国攻略が複雑に交差した事件でした。戦国の政治と人間関係の厳しさを物語る、重要な戦いだといえるでしょう。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

●取材・執筆/末原美裕

1300年の歴史を持つ京都に住むようになって早くも10年以上が経つ。「戦国武将の生き字引」を目指し、実際に武将たちのゆかりの地を訪ね歩きながら「日本史人物伝」「日本史事件録」などの記事を執筆している歴女。歴史好きが高じて『京都学問所紀要 鴨長明の世界』『京都学問所紀要 方丈記』(ともに賀茂御祖神社京都学問所)の書籍を編集。京都の奥深い歴史と文化を日々探究中。

note:@kyoto_monokaki Instagram:@kyoto_monokaki
Facebook:@kyotomedialine

肖像画/ぐう(京都メディアライン)
写真/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『日本歴史地名大系』(平凡社)
有岡城跡内案内板

 

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