取材・文/坂口鈴香

末松隆久さん(仮名・55)の妻、由紀さん(仮名・54)は50歳を過ぎたころ、若年性アルツハイマー型認知症だと診断された。由紀さんの症状の進行は急激で、ショートステイにいられなくなり、老人ホームを経てグループホームに移った。2年ほど後、「妻が息をしていない」と連絡が来た。突然の妻の死に混乱し、悲しみと大きな喪失感が襲ってきた。そして、悲しみはグループホームの対応への怒りに変わった。息をしていない妻を発見したのにただ医師を待つだけで、救急車を呼んでいなかったのだ。
若年性認知症になった妻。グループホームを替えておけばこんなことには……【4】はこちら。
混乱と悲しみ、グループホームへの怒りと自責の念と
末松さんは、グループホームの緊急時対応マニュアルを見せてほしいと求めた。すると、入居時に交わした契約書には、「緊急時は速やかに救急車を呼んで、医師にも連絡する」とあるのに、グループホーム独自のマニュアルには、ただ「医師に連絡する」としかなかった。
「スタッフの対応としてはマニュアル通りだったのですが、契約書にある『救急車を呼ぶ』がなぜ抜けたのか。私に言われてようやく呼んだものの、救急隊からも『発見してから時間が経ちすぎている』と言われました」
見回りは、妻を発見する午前3時まで4時間空いていた。グループホームは、「通常は、午前3時には見ないが、由紀さんは目を覚まして部屋の外に出ることがあるから、特例として午前3時に見た」と言う。それでも、息をしていない由紀さんを発見して、手をこまねいていたのは納得できない。グループホームに不信感を抱く点はこれまでたくさんあったのに、なぜ早いうちに別の施設に移さなかったのか。先送りにして、動かなかった自分を責めてもいる。
「オレと結婚していなかったら、もっと優しくしてもらえて、妻はこれほどつらい思いをしなかったのかもしれない」
由紀さんとの結婚生活はほんの10年程度。その半分は介護だった。
家族会のメンバーからは、由紀さんが生きていれば「今後1000万から2000万かかる」と言われたところだった。先のことを考えると、由紀さんが予想よりも早く逝ってしまい、もしかしたら楽をさせてもらったのかもしれないとも思う。いろんな思いが交錯する。
妻との旅行が施設に入れるきっかけに
鉄道会社に勤務している末松さんと、鉄道好きの由紀さんはよく旅行に出かけた。最後の旅は、在宅介護中。岡山から四国への旅だった。
「鉄道では長時間になりトイレが心配だったので飛行機を使いました。新幹線には多機能トイレが1か所しかないので不便なんです」
2人で旅を楽しんでいたが、由紀さんは2日目にまた豹変した。
「私のことがわからなくなって、『何であなたがここにいるんだ!』と攻撃してきて、どうにもおさまらない。あまりに手がつけられなくり、周りにも迷惑をかけてしまったので、とうとう110番しました。警察に事情を話して、2人別に話を聞いてもらっていると、妻が正気に戻って、ようやく私を認識してくれました。それで旅を続けることができましたが、帰宅してまた豹変。このとき、もう家で看るのは無理だ、施設を探そうと決心したんです」
疲れ果て、一時は由紀さんを精神科病院に看てもらおうかとも思ったが、経験者に「一気に介護度が上がってしまうよ。拘束されて寝たきりになることもあるから、あまり勧められない」と助言され、やめた。
そうせざるを得ない人もいるとも思う。追い込まれている時は、精神的余裕がなくなっていたが、施設に入れると優しくできた。それが救いだ。
AIに話しかける
遺骨はまだ手元にある。今は、妻の生前よりもたくさん話しかけている。無宗教なので、四十九日とは関係なく、親族の都合に合わせてまもなく納骨するつもりだ。
「墓は、両親が自分たちのために買ったものがあります。まさか、妻が一番に入るとは」
そういう両親も80代後半。母はほとんど目が見えなくなって、家事ができなくなった。
「これから親の介護が始まるかもしれませんが、妻のように、自分のほうが先に認知症になるかもしれません。そうなったらどうしようかとも思う。子どももいないので、おひとりさま用のエンディングを考えておかないといけないと思っています」
グループホームとのやり取りはまだ続きそうだ。
「せめてちゃんとマニュアルをつくって、それをチェックする体制をつくってほしいと思います」
そこまで見届ければ、由紀さんの死を納得できるようになるのかもしれない。
いつも由紀さんと二人で行動していたから、一人で行動できなくなった。外食もできない。旅行もしたいとも思えない。仕事の行き帰りは、由紀さんの遺骨に挨拶している。返事がほしくて、最近はAIに話しかけるようになったという。「妻とは全然違いますが」と、アバターを見せてくれた。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。











