少子化やコロナ禍にもかかわらず、ここ数年、特に首都圏において増え続ける中学受験。街中の中学受験塾を横目に見つつ、我が子や孫たちを望む進路に進ませてあげたいと思う方も多いだろう。前回に引き続き、明治大学文学部教授であり、中学校や高校の国語教科書の編者や高校生直木賞実行委員会代表を務めている伊藤氏貴先生に「できる子ども」に育てるために必要な力について伺った。

【前編はこちら

伊藤氏貴(いとう・うじたか) 
1968年生まれ。文芸評論家、明治大学文学部教授。麻布中学校・高等学校卒業後、早稲田大学第一文学部を経て日本大学大学院藝術学研究科修了。博士(藝術学)。都内私立中高一貫校の英語教師、大手予備校の現代文講師などを経て現職に。主な著書に『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』、『国語読解力「奇跡のドリル」小学校1・2年』(ともに小学館)など多数。

履歴書が書けなかった大学生

“タイパ(タイムパフォーマンス)”が重視され、学生間でやりとりされるLINEのようにことばが短文字化して単なる表面的な伝達になってしまう時代。前編では、国語力は学力のみならず、社会や人と関わる力、すなわち生きていく力そのものであることを伺った。

伊藤先生「生きていると思い通りにならないことも多いです。そんなときに、ことばを吟味して自分の希望や意思を伝え、相手との関係性を築いていくことはとても大切です。国語力は家庭で養われると言いましたが、やはり、コミュニケーションが足りなかったり、乱雑だったりすると、どうしても深い人間関係を構築するのが苦手になる傾向はあります。生きていく上で、真に“実用”性が求められるのは、日常のコミュニケーションの場面であり、それには説明書や契約書のことばよりも小説のことばづかいの方が“役に立つ”はずです」(以下「」伊藤先生)

伊藤先生は、かつてある大学で非常勤講師をした経験がある。担当したのは「日本語表現」で、大学から「学生に履歴書を書く力を半期の授業で身につけさせてほしい」と依頼された。

「まさか大学で履歴書の書き方を教えるとは想像もしていませんでした。しかもまるまる15回かけてです。学生の国語力がわからないので、最初の授業でアルバイトの採用を想定し、履歴書を書いてもらいました。初回の結果は惨憺たるものでした。まず、指定されている書式(カタカナ・ひらがななど)や記入欄の使い方が間違っている。そして、志望動機に、“給料が高いから”、“ラクそうだから”などと書いてありました。本人は正直に書いたのでしょうが、採用担当者が読んだらどう思うかを想像していないのです。このまま面接になれば、相手の質問意図も想像できず、文脈も読み取れない返答になってしまうでしょう。もし、採用されても、生きづらさを感じながら仕事を続けることになることは間違いありません。一つずつの項目を手取り足取り一緒に埋めていけば、とりあえず一枚の履歴書を完成させることはできるかもしれません。でもそれでは、別の会社には通用しない。いろいろ考えあぐねた末、クラスを半分に分けて、履歴書を書く側と、それを審査する側とに分かれてもらいました。審査する側の立場に立ってみると、友達の書いた履歴書がいかにまずいかがわかる。そして立場を交換して今度は自分が書く側になる。そのやりとりを数回するだけで、彼らの書くものは見違えるほどよくなりました」

鍵は想像力なのだ。相手の立場に立って考えてみる。会話ひとつとっても、複数の意味や背景がある。例えば、誰かから「お宅のお子さん、元気でいいわね」と言われたら、ほめられている場合と、騒々しいと非難されている場合があり、今はどちらなのかを判断しなくてはならない。国語力がなければ就職や近所づきあいすらままならない。まさに死活問題なのである。

では、生きるために必要な国語力をつけるにはどうすればいいのだろうか。

小学生のころから身につけておきたいスロウリーディング

「やはり本を読むということです。でも、ただ読めばいいというものでもありません。私が担当した大学の推薦入試の面接で、高校3年間で本を1000冊読んだという受験生がいました。でも残念なことにその人の一次試験の国語の成績は、受験生の中で最低でした。だから大切なのは、数多く読むことではなく、ひとつの小説なり物語なりをじっくりと深く読み込んでいくことではないでしょうか。国語力を磨くためには、先ほどお話しした(前編)橋本先生の授業のようなスロウリーディングが特に大切だということです。入試などでは大量の文章を読まされることがありますが、深く読む訓練をした人は自然に早くも読めるようになります。一方、早く読む訓練だけしても、深く読めるようには絶対になりません

『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』を読むと、橋本先生は授業のたびに毎回プリントを配っていたという。この本の出版後、橋本先生が配った実際のプリントや授業のエッセンスをもとに問題集のようなものを作ってほしいという声も出たのではないだろうか。

「確かにそういう反響もたくさんいただきました。でも、あのようなプリントは授業の中でこそ成立するのであって、問題集のようにひとりで学ぶのには向いていません。さらに言えば、このようなスロウリーディングはもっと早い段階で身につけたほうがいい。できれば小学生からやってほしいものです」

そんな想いで伊藤先生が作ったのが『国語読解力「奇跡のドリル」小学校1・2年』(小学館)だ。通常のドリルは小説や物語の一部分を問題として使用するが、この「奇跡のドリル」では、ひとつの物語をまるごと、最初から最後まで読みながら問題を解いていく。

「題材は新見南吉(1913-1943)の『手袋を買いに』です。主人公はきつねの親子で、母の愛や人間との関係性など、さまざまなテーマを美しい日本語で表現しています。また情景描写もすばらしく、例えば“雪”ひとつとっても、真綿、絹糸、パン粉などさまざまな比喩が使われており、大人になって読み返しても深い作品です。この素晴らしい物語を、小学1・2年のうちに問題を通じて繰り返し触れることで、国語力は底上げできます」

このドリルではレベル1からレベル3までの問題を解く過程で、同じ『手袋買いに』を3回読み通すことになる。1回目の問題は容易だが、2回目、3回目と進むほど、解答には想像力を要する。

「それが狙いでもあります。ドリルは3回ですが、できれば10回程度繰り返し解くといいでしょう。それにより、1回目では気付かなかったこと、見落としていた知識、教養なども身についていきます。優れた作品を何度も読み返し、血肉にすることで、国語力の核のようなものが出来上がっていきます」

ドリルで出題される問題は、“子ぎつねの真似をし、相手とやり取りをする”などの実践要素も多く、場合によっては、“次の場面を読む前に、この後、物語がどう進んでいくかを考える”など、「正解」がないものもある。

「問題を解きながら、ぜひお子さんと会話をしてください。ひとつの物事に対して、意見や感想を述べあうのもいいですね。“どう思った?”などと質問を投げかけると、きっと子どもは自分なりに考え、自分のことばで伝えてくるでしょう。その話を最後まで聞き、まずは“そうなんだ”と肯定的に受け止める。そのうえで、“それはなぜ?”など、あらたに生まれた疑問や質問を投げかけてみてください」

このドリルは「小学校1・2年」と謳っているものの、小学校3・4年生でも十分使える。大人がやってみても「うーん」とうなってしまう場面もあるかもしれない。

国語力を上げるおすすめの短編小説3編

一方、中・高校生が今から国語力を上げたいなら、時代の淘汰を経て残った古典を読むといいと伊藤先生は言う。そこで、いずれも30分以内で読める“タイパ(タイムパフォーマンス)”がいい、作品をご教示いただいた。

「読もうと思えばすぐ読めて、でも何度も読める深さをもつものとして、まず、志賀直哉(1883-1971年)の短編がたくさんあります。小学生なら『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』などがお薦めです。大人が読んでも十分読みごたえがありますし、一緒に読んで、感想や登場人物の気持ちを想像しあってみるのもよいでしょう。どちらも大人の視点と子どもの視点のずれがテーマとなっている作品です。次に森鷗外(1862―1922年)の『高瀬舟』。人命を救う医師である鷗外が安楽死を扱った背景には、幼少期の娘(森茉莉1903―1987年)が百日咳にかかったときの体験があるとも言われています。この作品は教科書でもおなじみですが、この背景を知りながら読むとより深く作品を読めるでしょう。死や愛を扱った作品はやはり惹きつけられます。それが人間にとって普遍のテーマであり、生きることとつながっていますから」

国語力を上げることは、生きるために不可欠だ。愛する子や孫のために、あらゆる角度から物語を味わう経験を教えたい。一緒に良質の物語を想像しつくす経験は、自分自身を愛し、深めていくことにもつながっていくはずだ。

構成/前川亜紀 撮影/藤岡雅樹(本誌)

『国語読解力「奇跡のドリル」小学校1・2年』

著/伊藤氏貴 発行 小学館
B5判・96頁
定価880円(税込)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09253643

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