文・絵/牧野良幸

俳優の渡辺裕之さんが5月に亡くなられた。またひとり名俳優がいなくなってしまったことが残念でならない。

渡辺裕之さんというと昔のCMの“ファイトー、イッパーツ!”も浮かぶが、やはり映画やテレビドラマでの姿が忘れ難い。顔立ちからは責任感や強い意志が感じられ、頼れる男の役柄が印象深い。僕の知る限りでも怪獣特撮映画での沈着で冷静な隊長とか、自衛隊の隊員などが印象に残る。近年なら大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』でのユーモラスで温かみのある上等兵役が印象的だった。

しかし今回取り上げるのは時代劇での渡辺裕之さんである。2010年公開の『桜田門外ノ変』。吉村昭の小説を原作とした映画で監督は佐藤純彌だった。

『桜田門外ノ変』が描くのはいうまでもなく幕末に起きた歴史的事件である。安政7年3月3日、水戸藩浪士が大老井伊直弼を江戸城の桜田門外で殺害した。諸外国と通商条約を結んだ幕府への不満、安政の大獄、その他にもいろいろな不満が重なり水戸藩を脱藩した浪士たちと薩摩藩士1名が、江戸城に登城する井伊直弼を桜田門の前で暗殺した。

渡辺裕之が演じるのは井伊直弼を襲撃する水戸浪士のひとり岡部三十郎だ。映画の主人公は襲撃の現場指揮をとった関鉄之介(大沢たかお)であるが、このエッセイでは岡部三十郎にそって話を進めてみようと思う。

江戸の旅籠であろう。水戸藩士たちがひそかに集まっている。井伊直弼の暗殺計画を話し合っているのだ。岡部三十郎もその中にいる。セリフこそないが一番前に座している姿をカメラは捉えている。この座り位置だけでも岡部三十郎が物語の上で重要な人物とわかる。

岡部は襲撃隊に加わるが戦闘はしない。井伊直弼の斬首を確認する見届け役だ。なるほど、全員が刀を振り回していては結果を見逃しかねない。こういうところが歴史の教科書ではわからないリアリティを感じて面白い。

そして3月3日、江戸は雪で白一色だった。巨大なオープンセットに作られた桜田門と武家屋敷が映し出される。彦根藩主である井伊直弼の住む彦根藩の屋敷は桜田門の目の前、すぐ近くだ。距離にして数百メートルと思われる。こんな短い距離の移動中に襲撃が行われたのかと、また一つ勉強になる。

雪の降りしきる中、水戸浪士たちは江戸城に登城する大名を見物するふりをする。岡部もじっとその時を待つ。襲撃シーンのはじまりは岡部三十郎のこの一言。

「出てきた」

彦根藩の門がゆっくりと開き、井伊直弼をのせた籠を含む行列が出てくる。

ざ、ざ、ざ、ざ、ざ、ざ。

雪の中を黙々と進む彦根藩の隊列。降る雪を避けるために雨合羽もつけている。これから起きる事を知っているわれわれはこのシーンだけで緊張してしまう。

襲撃が始まった。井伊直弼を守ろうと抵抗する彦根藩士たちだったが、壮絶な戦闘の末、浪士たちは井伊直弼の斬首をなしとげる。それを見た見届け役の岡部が関のもとに走った。

「しかと見届けたぞ。まずはこの場を離れよう、すぐに追っ手がくる」

逃走した浪士たちであるが、深手を負い自決するものもいれば、幕府に捉えられる者もいた。無事に逃げられたのは数名。そのなかに岡部三十郎や関鉄之介もいた。岡部はここから主役の関鉄之介と一緒に逃亡するのだから、このあとも渡辺裕之の出番は多い。セリフこそ少ないが要所要所で存在感を出すことになる。

水戸浪士たちの計画では、井伊直弼暗殺と同時に薩摩藩が兵を京に向ける約束だったが、薩摩藩は出兵しなかった。また水戸藩主徳川斉昭(北大路欣也)も、幕府と対立しているものの浪士の起こした事件には驚き、彼らを捉えて罰するよう命ずる。浪士たちは行くところがなくなった。

大阪の旅籠の一室。追っ手を逃れてきた三人の浪士がいる。左に関鉄之介、右に野村常之介(西村雅彦)そして中央に岡部三十郎。

「今さら、どこに行けば……」と岡部。

そこに水戸から使者があらわれ、浪士たちをかくまう用意があると伝える。安堵する三人。

「水戸には同志がいる、彼らをまとめて再起を図ろう」

野村の言葉に岡部も賛同した。

「私も、それが良いと思います」

映画だから登場人物は個性的だったり整った顔立ちであるが、渡辺裕之のキリッとした顔立ちは、他の俳優にはない存在感があり画面を引き締める。静かな語り口も印象的である。

しかしついに岡部も捕まる時が来た。場所は吉原。御用聞きに追われ遊郭の階段を駆け降りてくるところからアクションがスタート。御用だ、御用だ!

岡部は華麗な立ち回りをして役人たちを手こずらせる。しかし最後は逃げられないと悟ったのか、武士らしく堂々とお縄につく。ぽんと着物を整えると静かに地面に座った。とらえー! 棒でおさえられ縄で縛られても微動だにしない岡部三十郎。

岡部は他の浪士とともに裁かれ、主人公の関鉄之助ものちに捉えられ処刑される。こうして桜田門外ノ変は収束したものの、日本はここから明治維新へ向かうことになる。

映画は歴史的事実を丁寧に描きながら人間模様もドラマチックに描いているが、その中で渡辺裕之の演じた岡部三十郎の存在は大きい。脇役ながら渡辺裕之の姿が映るだけで画面が引き締まるのだから不思議だ。その意味でも貴重な俳優だった。改めてご冥福をお祈りします。

【今日の面白すぎる日本映画】
『桜田門外ノ変』
2010年
上映時間:137分
監督:佐藤純彌
原作: 吉村昭『桜田門外ノ変』
脚本:江良至、佐藤純彌
出演:大沢たかお、渡辺裕之、長谷川京子、伊武雅刀、北大路欣也、ほか
音楽:長岡成貢

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。ホームページ http://mackie.jp

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