
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第26回です。次週、ついに本能寺の変というタイミングです。冒頭で、前週からの続きで土佐の長宗我部元親(演・磯部寛之)が登場しました。
編集者A(以下A):長宗我部元親は土佐弁を使っている通り、土佐の人間です。明智光秀(演・要潤)を取次役として織田政権とつながりを持ち、当初は「四国は切り取り次第」ということで信長の承認を得ていました。それを信長は反故にしたわけです。光秀からすれば見事に梯子を外されたという構図です。
I:劇中ではぼやかされていますが、信長のもとに参じていた三好一族の三好康長(演・妹尾正文)は、秀吉(演・池松壮亮)を頼って巻き返しをはかったといわれています。
A:三好康長という人物は、将軍義昭(演・尾上右近)が襲撃された「本国寺の変」でも三好方の一員として参加している通り、長く信長(演・小栗旬)に反抗していた人物です。その三好康長が秀吉を頼って信長に尻尾を振ってくる。光秀の立場からすれば、「そんな奴、相手にしてほしくない」というところだと思います。にもかかわらず、信長は「四国は切り取り次第」という約束を破り、三好康長=秀吉派閥の意見を取り入れた形になったのです。
I:光秀にとっては激怒案件ですよね。その直後に信長が「刺客」に襲われる事件が勃発しました。なんと僧侶まで刺客の一員になっているというびっくりな展開でした。桑実寺というのは由緒ある古刹で、将軍就任前の足利義昭も滞在したことのある天台宗の寺院。場所は安土になります。
A:この時期に桑実寺で刃傷といえば、天正9年(1581)に実際にあった事件があります。信長好きには有名な「竹生島事件」です。あるとき信長は、琵琶湖にある竹生島に参拝しに出かけました。信長付の侍女らは、信長は宿泊して安土城には戻ってこないだろうと思いこみ、城を出て桑実寺にお参りするなど、羽を伸ばしていたそうです。ところが信長が日帰りで城に戻ってくるのです。城に戻ってみたら侍女らがいない。信長は激怒して、侍女たちだけではなく、彼女らを庇おうとした桑実寺の僧侶まで成敗したと『信長公記』に記されている事件です。
I:なんともおそろしいエピソードですよね。
A:桑実寺で信長暗殺未遂があったという記録はありませんが、桑実寺で成敗された人々は実際にいたわけです。
I:この暗殺未遂事件で負傷した織田信澄(演・緒形敦)というのは信長の甥になります。織田家の家督を争って、信長によって殺害された信勝(かつては信行で知られた/演・中沢元紀)の息子になります。この信澄に娘を嫁がせていたのが、明智光秀。信澄は、織田家中でも一定の地位を得ていたので、織田家と明智家は縁戚関係にあったといえます。2020年の『麒麟がくる』では、信長(演・染谷将太)正室の帰蝶(演・川口春奈)と光秀はいとこという設定でした。ほかに光秀の妹(または義妹)が信長の側室だったという説もあります。
A:羽柴秀吉も信長の五男(四男説もあり)を養子に迎えて秀勝(演・柊木陽太)と名乗らせていましたが、劇中で、信長に秀勝に会ってほしいという流れになりました。信長の子を後継者にすることで、羽柴家を主君信長に「献上」したということになるのですが、前段の「秀吉~三好康長」「光秀~長宗我部元親」という構図の背景には、ともに「織田家の縁戚」というバックボーンがあることを理解するとよりおもしろくなると思います。
I:丹羽長秀(演・池田鉄洋)も織田家の縁戚ですしね。そして今後の話になりますが、柴田勝家(演・山口馬木也)とお市の方(演・宮崎あおい)が結ばれますし、やはり身内は厚遇されるということなんですかね。
A:信長の身内といえば、朝倉・浅井との間で戦われた宇佐山城の戦いでは、重臣森可成(演・水橋研二)や信長実弟の信治も討ち死にしています。『豊臣兄弟!』劇中では描かれませんでしたが、長島一向一揆との戦いでは、信長庶兄の信広、実弟信興、秀成に加え、叔父信次、従兄弟の信成、信昌など織田一族からも多くの死者を出しています。

合戦続きの秀吉たち

I:ところで、いつの間にか鳥取攻めが終わっていました。
A:絵面(えづら)としては三木城攻めと同じですし、省略ということでしょう。「三木の干殺し」「鳥取の渇え殺し」と称される羽柴秀吉による代表的な兵糧攻めで知られる戦いですから、取り上げてほしかったですけどね。鳥取城は、日本城郭協会選定の「日本百名城」に選定されています。
I:ところで、信澄が長宗我部と通じていたと信長に疑われて謹慎ということになりました。「これまで明智殿が繋いできた織田と長宗我部の絆を、断ち切ってはなりませぬ」ということのようでしたが、この「光秀~信澄」の苦境を救うべく計画されたのが「信長を笑わせろ」です。「羽柴女性陣の絆」については別稿にまとめましたが、ああいうバカ騒ぎって、秀吉ものにはつきものですから、楽しかったです。
A:1996年の大河ドラマ『秀吉』でもけっこうバカ騒ぎの回がありました。なんなら「本能寺の変」の際も、石川五右衛門(演・赤井英和)が本能寺に潜入して盗みを働こうとしていたという、大河ドラマ史上屈指の珍場面もありましたからね。
I:鳥取攻めが終わり、長浜で信長を笑わせた後に、羽柴軍は備中攻めに出陣することになりました。
A:ここで秀吉の合戦履歴に触れたいと思います。劇中でも描かれましたが、北陸の戦場で柴田勝家と「喧嘩」をして長浜に戻ったのは、天正5年(1577)の9月になります。信長の勘気に触れますが、松永弾正久秀(演・竹中直人)が謀反し、その討伐のために大和信貴山城を攻めます。翌年には播磨の戦線に動員され、上月城(兵庫県佐用町)、三木城(兵庫県三木市)を攻めています。三木城攻めは2年に及び、三木城を包囲する付け城をかなりたくさん「築城」しています。この間、荒木村重(演・トータス松本)が謀反して、織田軍は有岡城とも対峙することになりました。秀吉は有岡城には出陣していませんが、配下の黒田官兵衛(演・倉悠貴)は派遣しています(牢に閉じ込められる)。
I:三木合戦は天正8年(1580)1月に終結しますが、秀吉は6月には鳥取城攻めに転戦します。城主山名豊国は降伏しますが、毛利方は吉川経家を城主として再び秀吉と対峙します。この時の「兵糧攻め」が「渇え殺し」として有名な合戦になります。
A:鳥取城の降伏が天正9年(1581)10月です。この鳥取城は因幡国になります。信長が光秀に対して、「近江・丹波を召し上げて、石見、出雲は切り取り次第」といったといわれますが、それが事実であれば、「因幡・伯耆は秀吉」「石見・出雲は光秀」ということだったのでしょうか。
I:天正9年10月末まで鳥取城を攻めていた秀吉ですが、天正10年(1582)3月に姫路城から出陣して備中高松に陣を敷きます。対するのは毛利方の武将清水宗治でした。こうしてみると、秀吉は合戦の連続ですね。そうとう疲れていたのではないでしょうか。
本能寺前週の「余興」

I:今週は、本能寺の変の前週になります。
A:じつは9年前の2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも、本能寺の変を描く前週に「信長、浜松きたいってよ」という副題がつけられ「余興」が演じられました。具体的には、武田攻めを終えた信長(演・市川海老蔵/現十三代目市川團十郎白猿)が、帰路に家康(演・阿部サダヲ)のもてなしで富士山を遊覧し、浜松に立ち寄った際に「余興」が行なわれたのです。その余興を担当したのが、家康の旧主今川氏真(演・尾上松也)。三河の偉丈夫5人を集め、信長に相撲をみてもらうという趣向でした。
I:「信長―相撲好き―余興―コミカルな副題」……。これは『豊臣兄弟!』と共通するのですが、両作とも制作統括が松川博敬さんなんですよね。
A:きっとドラマの打ち上げでも、参加者をうならせる「余興」が出るんでしょうね。
織田信澄という「悪魔」が黒幕なのか?
I:さて、信澄のことを信長が許しましたが、その直後に衝撃的な展開になりました。なんと、光秀に渡っていた将軍足利義昭の御内書ですが、それを信澄が偽造していたという告白です。
A:うーん。そう来ましたかという思いです。これまで本能寺の変を描いた大河ドラマでは「八上城での光秀の母見殺し問題」「家康饗応で供された腐った魚問題」「諏訪法華寺での信長による折檻」など、江戸時代に創作されたと思われるエピソードからの「流用」が多かったですから、それらと比べると「実際にそんなことあったかも?」という素材で、ミステリアスな感じがして、ドギマギしますね。
I:当欄ではずっと「これまでに見たことがない本能寺の変」に対する期待を表してきました。ついに来週ですね。

※宮崎あおいの「崎」は正しくは「たつさき」。
●編集者A:書籍編集者。かつて『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











