取材・文/沢木文
結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、妻と突然の別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。
お話を伺ったのは、一史さん(仮名・65歳・会社経営)。
2歳年上の妻が子宮がんで66歳の生涯を閉じたのは1年前のこと。
【その1はこちら】
彼女の父に乗り込まれて結婚。新婚旅行は横浜だった
一史さんは、大手家電メーカーに、彼女は外資系の資材関連会社に就職し、キャリアをスタートさせた。
「彼女は英語ができるから、スタートラインが違う。僕以上に忙しく、人の2倍の仕事をしていた。あの時代はとても好景気で、めちゃくちゃだった。会議中に取っ組み合いのケンカをする人もいたんだよ。僕は野球をやっていたから、集団で一つの目標に向かって頑張るのが楽しかった。彼女も毎日イキイキしていた」
就職して会える時間が激減し、なし崩し的に同棲を始める。
「彼女の代々木上原のマンションに入り浸るようになったのは、付き合って3年目くらいのこと。朝起きると、親父さんが枕元にいて、『君は何だ!』と怒鳴る。当時は、“未婚の女性をキズモノにしたら男が責任を取る”という風潮が残っていた。その足で、僕の両親のところにあいさつに行き、とんとん拍子で結婚。後で聞いたら、僕の態度が煮え切らないから、父親と一芝居打ったんだとか。おかげで僕は25歳、彼女は27歳で結婚した。彼女の望み通り、横浜の老舗ホテルの宿泊が新婚旅行だった。すぐに娘も生まれ、3年後に息子も授かった。結婚生活で苦労したことは何一つない。彼女は仕事を続け、近くに住む義母や私の母が子育てを手伝った。子供たちは、働く両親の背中を見て育った。自分で目標を決め、それに向かって努力をした。娘はカナダに留学し、今は国連関連の仕事をしている。息子は小学生の頃からボーイスカウトの活動に夢中になり国際大会にも出た。今は、日本企業のロンドン法人で働いている。私の姉が『アンタの家庭は苦労がない。生活は苦労の連続なのに。今にドカンと悪いことが来るわよ』とよく言っていたけれど、それが妻の死という形で来るとは思わなかった」
40年間、一緒にいたので、妻は風景の一部になっていた。
「休みの日はいつも一緒にいて、誕生日や結婚記念日をともに祝い、庭の手入れをして、デッキで酒を飲んだ。妻は風景の一部なんだよね。結婚10年目くらいまでは、子供も小さかったし、家事や育児の配分を巡って言い争いもあった。でも30代後半になると、お互いそんなことのために、時間を使いたくないという気持ちになってくる。その頃から妻は『パパ、愛してる。私のことは?』と聞いてくるようになったんだけれど、どうしても『愛してる』と言えなかった。妻はきっとその言葉が欲しかった。男はバカだから、自分の感情を言葉に出せない。このことは、僕の人生の中で最も激しくて苦い後悔。墓に向かって『愛してる』と言っても、意味はないよ」
【気が付いた時には手遅れだった……。次ページに続きます】