文・絵/牧野良幸

映画監督の森崎東さんが7月にお亡くなりになった。お悔やみを申し上げるとともに、今回は森崎監督の代表作『時代屋の女房』を取り上げたい。これは村松友視の小説を映画化した作品。主演は夏目雅子と渡瀬恒彦である。

夏目雅子。この名前を聞いただけで様々な思いが去来する。

70年代末のテレビドラマ『西遊記』が夏目雅子を見た最初だった。三蔵法師の役だから坊主頭。もちろんカツラであるが、かたちのよい頭が神々しかった。その頭の下には一度見たら忘れられない神秘的な目があった。続く映画『鬼龍院花子の生涯』で「なめたらいかんぜよ」と言った夏目雅子も、また夏目雅子であるが。

そして1983年公開の『時代屋の女房』。舞台は東京大井町の三ツ又交差点にある骨董店「時代屋」である。夏目雅子はある時ふらっと「時代屋」にあらわれる女の役だ。陽気だけれど、どこかミステリアスなその女は真弓といった。「時代屋」の主人は安さん。安さんと真弓、そして“あぶさん”という名前の野良猫は一緒に暮らし始める。こうして真弓は「時代屋」の女房になった。

半年たった。真弓のおかげで「時代屋」は持っているようなものだ。真弓は和服も似合えば、エプロンをして買い物をする姿も似合う。何より明るいところがいい。まさに三拍子揃った女房である。それが夏目雅子なのだから、男なら誰でも安さんになったつもりで映画を見ることだろう。

しかしこの女房には問題がひとつあった。真弓はふらっとどこかに行ってしまうことがあるのだ。

「ちょっと出てきます。あぶさんの餌、忘れないでね」

こうテープレコーダーに残された真弓の声。そのたびに犬の置き物を店の前のお地蔵様に置いていく。これがいつもの真弓のやり方だ。犬の置き物はこれで3つになった。1回目は4日帰らなかった。2回目は4日目に帰ってきた。そして3回目は今朝帰ってきた。

「あぶさん、お前どう思う?」

安さんはこう猫に聞くだけで、帰ってきた真弓には何も問わない。父親とも疎遠な安さんは、男と女なんて軽いのにかぎる。その場かぎりが一番、そう思っていた。それが今は真弓のことでモンモンとしているのが丸わかりだ。

しばらくは店番をし、買い物に行って夕飯を作る真弓だった。しかし真弓はまた突然いなくなる。残されたテープレコーダーのメッセージはこれまでと違い、

「安さん、あんまり飲まないでね。さようなら」

今回はお地蔵様に犬の置き物も置いていない。そういえば少し前に若い男が夕食時にやってきて、その男と出かけたことがあった。その晩は帰ってきたが、今回はもう帰ってこないかもしれない。

この映画は言ってみれば女に振りまわされる男を描いた映画だ。夏目雅子のようないい女がある時消えてしまったら残された男はどうするか。酒を飲んでまわりに愚痴をこぼす。3週間は閉じこもるかもしれない。現実は映画とは違う。いやたとえ映画でも普通の二枚目俳優だったら絵にならないところだ。

しかし安さんは絵になる。なにせヤクザ映画では主役を食ってしまうくらいアブナイ男が似合う渡瀬恒彦である。女房に逃げられた亭主を演じつつも、どこか腰がすわっている。情けない目つきにも男の哀愁が漂う。

「焦ったってしょうがないでしょ。待ってるより仕方がないから」

夏目雅子が女として魅力的なら、渡瀬恒彦も男として魅力的である。最初はいい女房と暮らしているから感情移入していたけれど、ここからは女房に逃げられたあとの男の美学に共感して見てしまう。

そんな生活が続いたある日、仲のいい喫茶店のマスター(津川雅彦)に真弓から電話がある。安さんへの伝言で「“のぞきからくり”を売ってくれるから」と、それだけ。

しかし安さんはピンときた。去年の夏、二人で盛岡に旅行して泊まった旅館にあった古道具のことだ。いろりにはいい南部鉄瓶もあったけれど主人は売ってくれなかった。真弓はその旅館に行くのに違いない。安さんと喫茶店のマスターは盛岡に向かう。しかし真弓とはすれ違いだった。

映画はこの旅館でひと騒動があったり、のぞきからくりを手に入れて東京に帰ってくる時に、真弓にまとわりつく青年があらわれて、二人の関係が真弓の同情だけに過ぎなかったことを知ったり、疎遠だった父親が亡くなったりと続くが、ここは話を進めよう。

あぶさんも家出してしまい、今日も一人で骨董品を仕入れてきた安さん。ふと見ると、そのあぶさんが家に戻っているではないか。外を見ると、はたして真弓が帰ってきた。最初に「時代屋」にあらわれた時のように、軽やかに歩きながら微笑んでいる。手にはあの南部鉄瓶が。

「安さーん!」

安さんの目にうつる真弓の姿、それが映画のエンディングである。それは僕たちが見る夏目雅子のエンディングに近い姿でもある。映画公開から2年後の1985年、夏目雅子は白血病により亡くなる。享年27歳の若さだった。森崎監督はもちろんそのことを予感してこのシーンを撮っていないだろう。しかし歩道橋の上という何の変哲もない風景なのに、笑顔を浮かべて歩く夏目雅子の姿が目に焼き付いて消えない。

その森崎東監督も92歳で亡くなられた。渡瀬恒彦さんも、津川雅彦さんも近年亡くなられている。舞台となり実在した「時代屋」も移転したため今はロケ地にはない。人も風景も少しずつこの世界から消えていく、ただスクリーンに残るのみである。

【今日の面白すぎる日本映画】
『時代屋の女房』
公開:1983年
製作・配給:松竹
カラー/97分
出演者:、夏目雅子、渡瀬恒彦、津川雅彦、ほか
原作:村松友視、監督: 森崎 東、脚本‎: ‎荒井晴彦‎、長尾啓司、音楽:木森敏之

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。ホームページ http://mackie.jp

 

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