文・写真/市川美奈子(海外書き人クラブ/台湾在住ライター)
2026年1月~3月、台湾の経済成長率は13.69%を記録した。1987年の第三四半期(7月~9月)、つまり台湾の戒厳令が終了した直後に記録された13.61%を、39年ぶりに塗り替えたことになる。
台湾の経済成長の中核になっているのは、世界最大の半導体受託製造企業であるTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company, Ltd.)に代表される半導体産業だ。そして台湾における半導体産業の一大集積地は、台湾西北部にある新竹(しんちく)である。1980年代、政府主導で新竹にサイエンスパークが開発され、TSMCなどの半導体産業が新竹に拠点を構えた結果、新竹は「台湾のシリコンバレー」と言われるまでに発展した。
ところが新竹には「半導体の街」とは全く異なるもう一つの顔がある。台湾最古の駅舎、歴史ある城門、人々が集う廟。半導体の街とは異なる、新竹のもう一つの魅力を訪ねてみたい。

駅舎と公園に漂う歴史の香り
台北から新竹までは鉄道で1時間半ほど。新竹に降り立つと、青空によく映える新竹駅が出迎えてくれた。
日本統治時代の1913年に完成した新竹駅は、現存している台湾最古の駅舎だ。バロック建築とゴシック建築が織り交ぜられており、中央に据えられた時計台と緑色の屋根が瀟洒な雰囲気を醸し出している。
駅から街の中心部へ続く導線上にあるのは、美しく整備された「護城河(フーチョンハー)親水公園」。「護城河」というのは城を守るための河、つまり「お堀」のこと。清の時代に作られたお堀がいまでも残っている場所は、ここ新竹と、台湾南部の高雄(たかお)市鳳山(ほうざん)区のみ。台湾全土に2箇所しか残っていない。
在りし日のお堀はいまでは地元の人たちの憩いの場となっている。取材に訪れたこの日も、若者たちが芝生に腰を下ろし、笑顔で語らっていた。

風とともに生きてきた城下町
新竹には「風城」という別名がある。台湾西部にある新竹では台湾海峡から吹き込む強い風の影響を受けやすく、冬には瞬間風速が秒速10メートル以上になることも少なくない。この風は人々の生活に大きな影響を与え、米粉やビーフンなど、この土地独自の食文化も生み出してきた。
だが、新竹の歴史は風だけではない。
18世紀、清朝統治時代の新竹は台湾北部の重要都市として発展した。交易と防衛の拠点として城壁が築かれ、都市としての骨格が形成されていったのである。その面影を現在に伝えているのが、街の中心部に残る東門城(とうもんじょう)だ。

1827年に建設されたこの城門は、正式名称を「迎曦門(げいぎもん)」という。「迎曦」とは「朝日を迎える」という意味だ。現在では周囲をロータリーに囲まれており、バイクや車が絶え間なく行き交っている。しかし、その喧騒の真ん中にあってなお、城門は静かな威厳を保っている。
城隍廟に息づく日常
新竹の文化を語るうえで欠かせないのが、新竹都城隍廟(しんちくとじょうこうびょう)だ。
城隍廟とは、街を守る神を祀った廟のこと。台湾各地に存在するが、新竹都城隍廟はその中でも特に格式が高いことで知られている。創建は1748年。長い歴史のなかで人々の信仰を集め続けてきた。

廟の入口に立つと、その彫刻技術の高さに圧倒される。天井一面を覆い尽くすレリーフと、祈りが込められた線香の香り。参拝客たちは真剣な表情で手を合わせ、それぞれの願いを神に伝えていく。

興味深いのは、この場所が単なる宗教施設ではなく、人々の日常生活の中心でもあることだ。廟の周囲には飲食店や屋台が密集し、新竹名物のビーフンや肉圓(バーワン)などをふるまうお店が昼夜問わず参拝客を迎えている。観光客というよりは地元の人々が多い印象。慣れた様子で食事を注文し、店主と近況を語り合っている。

日本では寺社と商業エリアが明確に分離されている場所もあるが、台湾では、信仰と生活が非常に近い距離で共存している。城隍廟周辺を歩いていると、そのことを強く実感する。
若者たちの姿が目立ったことも印象的だった。台湾の伝統宗教というと高齢者中心のイメージを抱く人もいるかもしれない。しかし実際には、若い世代もごく自然に廟を訪れ、思い思いに祈りをささげている。受験、恋愛、仕事、人生の節目。祈りの文化はいまなお現役なのだ。
古い建物に宿る、新たな文化価値
新竹を歩いていると、「古いものを壊して新しくする」のではなく、「古いものを活かして新しい価値を生み出す」という台湾らしい感覚に何度も出会う。
そのひとつが、文化複合空間「或者新州屋(フオジャー シンジョウウー)」だ。

1階は台湾各地の良質な商材を扱うセレクトショップ。2階がレストランで、3階がブック&イベントスペース、4階はギャラリー。3階にはキッチンもあり、料理関連のワークショップが開催されることもあるそうだ。

「或者新州屋」はもともと、1934年に開業した百貨店「新州屋」だった。創業者は、すぐ近くにある東門市場で洋品店を経営していた戴呉獅(ダイ・ウーシー)氏。新州屋は新竹初の百貨店であり、そして、台湾初の「台湾人自身が創業した百貨店」でもあった。
新州屋は戦後、店舗の一部が薬局として使われていたこともある。2023年、ここを或者新州屋としてオープンするにあたって、関係者は当時の空気感をそのまま残すことを選択した。或者新州屋の壁面に残る「皮膚」の文字は、この建物が薬局だったころの名残である。

内装は、古い建築の質感を残しながら、現代的なデザインを自然に融合させている。2階のカフェのコンクリートの奥に見えるのは、百貨店だった頃の内壁。木材の温もり、柔らかな照明、静かな音楽。それらが融合したこの空間には、穏やかで優しい時間が流れている。

「産業と文化」が融合する新竹の現在地
ここ数年、新竹は産業都市として著しく発展し続けている。2020年から2024年の5年間で、新竹(県および市)の不動産価格上昇率は58.4%増となった。台湾の政治と経済の中心地である台北市や、台北市に隣接する新北市における同時期の不動産価格上昇率は、台北市が‐1.1%、新北市が17.5%だった。このことからも、新竹が驚異的な成長を遂げていることがわかるだろう。
世界の半導体産業を牽引する街として発展を続ける一方で、至るところに、歴史と文化に彩られた街並みがある。興味深いのは、こうした歴史や文化が、半導体産業によって形成された比較的若い知識層とも結びついている点だ。
「或者新州屋」を経営する鴻梅(ホンメイ)文創志業股份有限公司および「或者OR」ブランドの創設者である陳添順(チェン・ティエンシュン)氏は、これまで30年以上、台湾や欧米で半導体関連産業に従事してきた。なんとも新竹らしいバックグラウンドの持ち主だ。

半導体産業と文化の両面に精通している陳氏は、台湾の半導体産業の発展の歴史を描いた映画『チップ・オデッセイ 台湾の賭け』の共同プロデューサーでもある。産業と文化の申し子のようなこの映画が生まれたのも、新たな文化都市として台頭する新竹の「場の力」なのかもしれない。
新竹は決して新しいだけの産業都市ではない。むしろ、長い歴史と人々の営みが折り重なった、奥行きの深い文化都市である。
このギャップこそ、新竹の魅力であり面白さである。
新竹へのアクセス
台北駅から台湾鉄道の自強号(特急)で1時間10分、料金は253元(約1265円)。東門城、新竹都城隍廟、或者新州屋はいずれも新竹駅から徒歩5分~10分。
新竹都城隍廟
住所:新竹市北区中山路75号
URL:https://www.weiling.org.tw/
或者新州屋
住所:新竹市東区東前街16号
営業時間:11:00~20:30(月・火曜日休み)
URL:https://www.orlifestyles.com/
文・写真/市川美奈子 (台湾在住ライター)
民間企業、外務省外郭団体などの勤務を経て、2023年4月から行政機関の職員として台湾に駐在。早稲田大学第一文学部卒。台湾の奥深さに魅了され、台湾各地のさまざまな街を旅行&取材。訪れた先々で、その土地ならではの美食を堪能するのが楽しみ。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の会員。











