若い頃に成熟した男と遊びすぎて、婚期を逃す

30年前の日本は、今よりも結婚へのプレッシャーが強い時代だったという。

「さすがに、“24歳はクリスマスケーキの売れ残り”とは言わなかったけれど、普通なら30歳までに結婚して、子供を産むのが“当たり前”の時代だった。男女雇用機会均等法があったとはいえ、結婚したら会社を辞めるのが当然のこと。大手ほどその傾向は強かった。

勤めていた会社は、とにかくコンサバで、私もちょっとしたいじめに遭い、会社を辞めました」

いじめの内容は、仕事が回ってこない、手がけた仕事を取り上げられる、閑職への異動などだ。

「若手社員から“ババア”とか“お局”などとあからさまに言われました。親会社から出向してきた男性上司に結婚しろと圧をかけられ、見合い話を断ったら、嫌われました。今だったらあれはセクハラですよ。だんだん、居場所がなくなっていったので、31歳の時に退職。父から“仕事を手伝え”と言われたことも後押ししました」

当時の父は機械製造に欠かせない部品の輸入を手掛けており、社員も10人以上いた。全員男性で統率が取れており、由紀代さんの居場所はなかった。

「ヒマだから、テレビ局で働く同級生の手伝いをしていたら、そのうちにいろんな会社とつながって、ヨーロッパ家具の輸出入、ジュエリーのバイイングに関わるようになりました」

イタリアとタイに頻繁に行くようになる。30歳をすぎても相変わらず男性にはモテており、33歳から2年間、3人の男性からのプロポーズを受けた。しかし、若い頃に成熟した男性と遊び、彼らの財力と胆力に慣れすぎていたので断ってしまったという。

「どの人も、100万円のバッグをお土産に買ってくれそうにない。外見もパッとしないから、お断りしました」

由紀代さんは都内の実家に住み続けていた。結婚すれば、当時の常識として相手の家庭に入って家事や育児をしなければならないことも、独身でいる理由だった。

「母は頑張って家事を教えてくれていましたが、私にやる気がなくて全然ダメ。お湯も沸かしたくないんです。あと、ジュエリーの仕事も面白くなってきて、気がつけば40歳になっていました。その時に、これまで切らしたことがなかった恋人が途切れた。さらに、突然、子供が欲しくなり、苦しい数年間を過ごしました」

子供が欲しくなったきっかけは、「一生独身だよね」と言い合っていた女友達が、密かに結婚と不妊治療を進め、41歳で子供を授かったことだという。

「悔しくて、その子とはずっと絶交しています。今は当たり前ですが、当時は40代で妊娠すると好奇の目で見られていました。さらに“問題がある子が生まれる”など悪口を言われたものでした」

それから数年、一向に恋人はできず、46歳の時に鏡を見るとおでこと眉間に深いシワが刻まれている。

「毎月、エステに入っていましたが、それでは消えないシワやシミと直面するようになったのです。鏡を見て暗い気持ちになっていたら、テレビで美容外科の広告がやっていた。藁にも縋るような気持ちで、病院へ行きました」

【シワは伸びても眉が動かない……〜その2〜に続きます】

取材・文/沢木文

1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(小学館新書)がある。

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