祖母に告げ口したことで母親との関係は修復不可能に
女の子は小学校高学年から少しずつ体が女性に変化していく。暁子さんもシンプルな服を好むようになったのと同じくらいの時期から胸の成長痛を感じるようになり、母親に下着をお願いしたことがあった。そのときに母親が用意したのは、レースを全面にあしらったものだった。
「そのブラジャー単体で見るとかわいかったけれど、それよりもTシャツや体操着から透けることが嫌で仕方ありませんでした。それにみんなはスポーツブラのようなシンプルなものばかりだったので、体育などの着替えのときには恥ずかしくて。母親にそのことを抗議したら、『かわいいじゃない。高かったのだから文句を言うな』と言われてしまったんです……。ブラジャーのことなので父親には恥ずかしくて伝えることができず、そのことを近所に暮らしていた父方の祖母に伝えて、新しいシンプルなものを買ってもらいました。私は祖母には母親に文句を言わないでほしいとお願いしたのですが、祖母は伝えてしまい、そのことがきっかけで母親から完全に嫌われてしまいました」
母親とは必要最低限の会話しかなくなり、そのまま中学生になった暁子さんは反抗期もあり、母親を嫌うように。初めて生理がきたときには、母親ではなく友人の姉に相談するなどして乗り越えたという。
「また祖母に相談すると私と母だけでなく、祖母と母の関係もこじれる可能性があったので、生理のときは親友のお姉ちゃんに聞き、生理用品の買い物にも付き合ってもらいました。生理用品は自分のお小遣いやお年玉で作った貯金でまかないました」
生理用品は母親にバレないように隠し、使用後のものはまとめて学校で捨てていた。それほど、母親に自分の何かを知られることが嫌だったという。同時期ぐらいから母親は暁子さんが学校から帰って来たときに自宅にいないことが増えていき、顔を合わせる機会は減っていった。
「母親は専業主婦で、家に居ることが多かったんです。友人の家に行くより、自宅に招いてお茶をしていた印象でした。でも、私が中学生になったぐらいから母親は私が帰宅時にいないことが増えていきました。私にとっては母親がいないことは嬉しいことだったので、母親がその間に何をしていたかなんてまったく気にしていませんでした」
母親はその間、不倫相手に会っていた。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
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