文/印南敦史

人間、誰しも強さと弱さを持っているものだが、女将は、その強さと弱さの振り幅が大きいのかもしれない。そう解釈した時に、それまで畏れ多かった「女将」に対して愛おしさが込み上げてきた。(本書「はじめに」より引用)

こう記すのは、『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(山崎まゆみ 著、文春文庫)の著者。「温泉での幸せな一期一会」をテーマに掲げ、世界各国の温泉を巡っては新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど各メディアでレポートを続けている人物である。

注目すべきは、取材を続けていくなかで、次第に温泉旅館を切り盛りする「女将」の生き様に関心を持つようになっていったという点だ。

「私たち、旅館の娘が結婚するってことはね、婚姻届に判を押すというだけじゃないの。夫になってくれる人は、私の旅館が抱える借金の連帯保証人になる、という意味なの。普通の結婚じゃないの。旅館を継ぐって、そういうこと。稼業なんだよ」(本書「はじめに」より引用)

こう語ったある女将は、「でもね、女将って、『女の将軍』ってことなのよ。凄いでしょう」と続け、にっこりと微笑んだそうだ。

考えたこともなかったが、たしかに女将は「女の将軍」と書く。そして実際のところ、人の心に訴えかけるその仕事自体も、繊細さを備えた女の将軍にしかできないことだといえるかもしれない。

著者も、そのことばが頭から離れなくなったと振り返っている。そして結果的には、それが本書を執筆するきっかけにもなったというのだ。

そうしてできあがった本書には、さまざまな要素が盛り込まれている。なかなか明かされる機会のない「温泉旅館の女将の一日」で始まり、5人のベテラン女将が旅館の裏側を語る匿名座談会、閉館した旅館の最後を追った「旅館最後の日」まで、トピックスは多種多様だ。

ちなみに上記のコンテンツと同様に、あるいはそれ以上に興味深いのが、前編と後編に分かれて掲載された16種ものエピソードである。

誰しもが一度は頭に思い浮かべたことがあるような、しかし誰に聞くこともできない「旅館の秘密」が解き明かされているのだ。

なかでも特に興味深いのが、さまざまな逸話が残されている「子宝温泉」についての話だ(余談だが著者自身が、子宝温泉によってこの世に生を受けたらしい)。たとえば伊豆半島最古の温泉である「吉奈温泉」について、次のようなエピソードが紹介されている。

ここに徳川家康の側室のお万の方が逗留したと言われている。お万の方は17歳の時に、56歳の家康の側室となった。数多いる側室の中で、一日も早く子が授かることを祈って、家康が伏見に逗留中に、お万の方が吉奈温泉にやって来た。(本書72ページより引用)

お万の方はその後1602年に紀州藩の初代となる頼宣、翌年に水戸藩の初代となる頼房を生んだ。そのため、この「お万の方伝説」の影響を受け、子宝祈願で吉奈温泉を訪ねる女性が少なくないそうだ。

ところで吉奈温泉によって子どもが授かるかどうかの信憑性について、吉奈温泉「さか屋」の女将・城所美弥公さんは次のように話している。

「うちの温泉はpH7.8なんです。これは人間の身体に一番近いpHと言われているんです。うちのような新鮮で、人間の身体に近い状態の温泉に入ることが効くのだと思うんです」(本書73ページより引用)

「人間の身体は80%が水でしょう。お客様には、pHが7.8に近い水を飲むようにお伝えしています。あと、『体温を下げないこと。夏野菜は体温を下げるので、冬野菜を食べるように』とお話ししますね」(本書74ページより)

栄養士の資格を持つ城所さんは、栄養士の観点から子宝に恵まれるような料理を出しているのだそうだ。温泉も食も万全の態勢にしてお客さんを迎えるわけで、たしかにそれなら子宝温泉の恩恵を受けることができるのかもしれない。

* * *

たとえばこのように、温泉に関する興味深いエピソードがふんだんに盛り込まれている。しかもその背後に感じるのは、女将ひとりひとりの人情味だ。だからこそ、それぞれの話が心をひきつけるのだろう。

コロナの影響で温泉にはなかなか足を運べない時期だからこそ、本書を通じて温泉旅館や女将のありがたみを再確認してみるのもいいかもしれない。

『女将は見た  温泉旅館の表と裏』
山崎まゆみ 著
文春文庫

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文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)などがある。新刊は『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

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